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- 2016年05月07日 00:00
「憲法記念日」に憲法とは何かを問う
「憲法記念日」があったので、憲法について書いておく。
まず、憲法に関して、昨年は認識を深める事例が表れた年であった。
その事例とは、「憲法学者」には馬鹿が多いということを国民が知ったことだ。
あの安保法制議論において国会で「違憲」と発言した「憲法学者」である。
しかし、その「憲法学者」の名誉のために言っておくが、もともとの馬鹿ではない。
「憲法」を学び、それを飯の種にしたから馬鹿になった。
つまり、馬鹿になる原因は「憲法」にあって彼らにはない。
では、その「憲法」とは何か。
これに関して、次の事実のみ記しておく。
(1)書いた者は誰か。
日本を占領統治していた占領軍総司令部(GHQ)民政局のアメリカ国籍のチャールズ・ケーディス以下二十五名。
(2)何時書いたのか。
昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間。
(3)その時の我が国の状況。
天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国総司令官の制限下に置かれていた(降伏文書)
つまり、日本国は連合国の占領下に置かれ「主権」は剥奪されていた。
これが、馬鹿になる原因の文書誕生の経緯(いきさつ)である。
このようにして書かれた文書が、我が国の憲法であるのかどうかは横に置いて、そもそも憲法とは、如何にして存在しているのか。
その存在形態は如何?
まず、歴史と伝統のなかの不文の規範として存在している。
これを不文法という。
次ぎに、紙に書かれて存在している。
これを成文法という。
成文法は、不文法を法的文章にしたものであり、十九世紀に起こった成文法主義によって各国で成文憲法が作られた。
従って、憲法を学ぶとは、まず第一に、国家の歴史と伝統と慣例を学び、そこに流れている国家の姿、根本規範即ち国体を認識することである。
そのうえで、それを如何に法的に表現するか、また、その表現が適切かどうかを判断することである。
そして、具体的には、昭和二十二年五月三日に施行された「憲法」の文章が我が国の国家の姿、根本規範即ち国体に照らして適切か否か、我が国の歴史と伝統と慣例からみて、ウソを書いているのか真実を書いているのか、を点検することである。
私は、この観点から、四月の終わりから五月五日まで、山桜を遠くに望む広島、そして、満開が終わりつつある札幌、さらに蝦夷山桜がつぼみから咲きかけている旭川において、我が国の歴史と伝統のなかにある根本規範・国体を語ることによって、我が国の憲法を語ってきた。
ここ数年、五月三日は、札幌で憲法を語ってきたが、話し終わってから質問があった。
一体、今日は、「憲法」を祝うべき日なのか。
私は答えた。
昭和二十二年五月三日は、東京裁判審議開始一周年に当たる日である。
従って、GHQは、この日に「憲法」を施行した。
ちなみに、東京裁判の起訴は、昭和二十一年四月二十九日の天皇誕生日に行われて四日後に審理が開始された。
従って、我々は、今日、GHQの書いた「憲法」を祝うのではなく、我が国の歴史と伝統のなかにある不文の憲法を祝うべきである。
まず、憲法に関して、昨年は認識を深める事例が表れた年であった。
その事例とは、「憲法学者」には馬鹿が多いということを国民が知ったことだ。
あの安保法制議論において国会で「違憲」と発言した「憲法学者」である。
しかし、その「憲法学者」の名誉のために言っておくが、もともとの馬鹿ではない。
「憲法」を学び、それを飯の種にしたから馬鹿になった。
つまり、馬鹿になる原因は「憲法」にあって彼らにはない。
では、その「憲法」とは何か。
これに関して、次の事実のみ記しておく。
(1)書いた者は誰か。
日本を占領統治していた占領軍総司令部(GHQ)民政局のアメリカ国籍のチャールズ・ケーディス以下二十五名。
(2)何時書いたのか。
昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間。
(3)その時の我が国の状況。
天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国総司令官の制限下に置かれていた(降伏文書)
つまり、日本国は連合国の占領下に置かれ「主権」は剥奪されていた。
これが、馬鹿になる原因の文書誕生の経緯(いきさつ)である。
このようにして書かれた文書が、我が国の憲法であるのかどうかは横に置いて、そもそも憲法とは、如何にして存在しているのか。
その存在形態は如何?
まず、歴史と伝統のなかの不文の規範として存在している。
これを不文法という。
次ぎに、紙に書かれて存在している。
これを成文法という。
成文法は、不文法を法的文章にしたものであり、十九世紀に起こった成文法主義によって各国で成文憲法が作られた。
従って、憲法を学ぶとは、まず第一に、国家の歴史と伝統と慣例を学び、そこに流れている国家の姿、根本規範即ち国体を認識することである。
そのうえで、それを如何に法的に表現するか、また、その表現が適切かどうかを判断することである。
そして、具体的には、昭和二十二年五月三日に施行された「憲法」の文章が我が国の国家の姿、根本規範即ち国体に照らして適切か否か、我が国の歴史と伝統と慣例からみて、ウソを書いているのか真実を書いているのか、を点検することである。
私は、この観点から、四月の終わりから五月五日まで、山桜を遠くに望む広島、そして、満開が終わりつつある札幌、さらに蝦夷山桜がつぼみから咲きかけている旭川において、我が国の歴史と伝統のなかにある根本規範・国体を語ることによって、我が国の憲法を語ってきた。
ここ数年、五月三日は、札幌で憲法を語ってきたが、話し終わってから質問があった。
一体、今日は、「憲法」を祝うべき日なのか。
私は答えた。
昭和二十二年五月三日は、東京裁判審議開始一周年に当たる日である。
従って、GHQは、この日に「憲法」を施行した。
ちなみに、東京裁判の起訴は、昭和二十一年四月二十九日の天皇誕生日に行われて四日後に審理が開始された。
従って、我々は、今日、GHQの書いた「憲法」を祝うのではなく、我が国の歴史と伝統のなかにある不文の憲法を祝うべきである。



