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「家族は私の仕事を理解し、支えてくれた」なんてウソである

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GW、終了。飛び石状態の今日、5月6日は大学で講義。夜は飯田泰之先生とのイベントもある。日曜日にも、アリさんマークの引越社に関するイベントがあり。

今回のGWで誇れることは、仕事をしなかったことである。いや、大学のBBQイベントがあったり、連載の原稿をちょろっと書いたり、昨晩は今日の講義やイベントに関する予習をしたりしたし、仕事のための読書はしたのだけど。

でも、なんせ、今年は書籍の執筆をしなかった、GWに。いや、執筆のオファーはあり。GW明けからもともととりかかっていた書籍の準備を本格化させるのだけど。昨年まではそれなりに遊びつつも、執筆モードで。いや、執筆モードだけだった年もあった。GWに書いた本で売れた本はない。なんて不健全だったのだろうと思う。何より、ポロリと「毎年、GWに執筆をされるのは嫌だった」と家族が言っており。よくぞ言ってくれたと思う。

よく書籍のあとがきで「妻の花子、娘の陽子、犬のポチは、書斎にこもる私の仕事を理解してくれ、いつも支えてくれた。この家族のおかげでこの本を世に出すことができた」みたいなものがあるし、私もそんなことを書いたことがよくあるが、いま思うと何とエゴに満ちた文章なのだろう。「支えてくれた」というのは事実かもしれないが、「理解してくれた」はエゴだろう。

人の気持ちをとことん理解しようとするのは人間関係を円滑にするために努力するべきことだし、自分ではない他人(あるいはその束)に対して関心を持ち解き明かそうとするのは学問やジャーナリズムの仕事ではある。ただ、普段の処世術においては、「自分は相手の気持ちを理解しきれていないに違いない」という謙虚さというか、自分の無能さに自覚的であることが大事なのだ。

「支えてくれた」「理解してくれた」と言いだす傲慢さの背景には「俺が稼いでいるから」という奢りがある。そんなもの、稼げなくなったら簡単に崩壊してしまう論理である。

もちろん、仕事は大切なものだ。特にお金を稼ぐという以上の意味と快楽を自分にもたらす。とはいえ、家庭も大事なわけで。

というわけで、「家庭」というカタチにかぎらず、愛する人(これは男女間とは限らず、周りの仲間含めて)は自分を理解してくれている、支えてくれているなんてことはエゴなんだから、冷静になれよ。大人になれよ。

さあ、今日も真剣勝負しますかね。

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