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- 2016年04月27日 19:19
「熊本地震」の現場へ。
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先日、日曜日から月曜日、熊本地震の震災の影響をこの目で確認するため、大分に飛んで参りました。
「熊本地震」の被災状況を見るのになぜ大分なのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはほかでもありません。このたびの「熊本地震」で被災しているのは熊本に限りません。その影響は、大分、宮崎、福岡に及んでいます。しかしながら、周辺地域の情報があまりにも少なく、支援の手が熊本ばかりに集中しているのではないかという声もありました。そこで、周辺地域の中でも被害が大きかったとされている大分の実情をこの目で確認しに伺った次第です。
今回の日程で伺えたのは、大分県別府市、由布市湯布院町、そして熊本県阿蘇市の3自治体。そして、被災地の一つでもある別府市の長野恭紘市長からお話を伺う機会も頂きました。
1.被災地の状況について
≪大分県別府市≫
まず、日曜日の午前中に伺ったのが別府市。表通りを走っている限りはあまり気づきませんが、別府市北部に関しては、一歩道路を入ると多くの石塀が崩壊しています。また、ブルーシートで覆われた屋根や倒壊しそうな家屋やコンクリート塀も見られます。他方、南部に行けば行くほどいわゆる被災した建物や石塀は目立たなくなります。
別府では3か所の避難所にも伺いました。いずれの場所もその時いらっしゃる方が0から数人と、避難者の方が少ない印象も受けましたが、お昼は仕事や家の片付けに出て、夜になると戻ってくる方が多いとのこと。避難者の方の数は減ってきているものの、まだまだ需要はあるようでした。
さらに、支援物資が貯蔵されている市立体育館、そして市立別府商業高校へ。物資は必ずしも潤沢と言えないようにも思いましたが、全国からの物資が集まっている様子にはとても心強い思いをしました。
ちなみに、別府市には全国からの救援物資が運び込まれていますが、中でも岐阜県美濃加茂市からの物資が目につきました。というのも、別府市長の長野恭紘さんは、美濃加茂市長の藤井浩人さんと「龍馬プロジェクト」という志を同じくする仲間同士だとのこと。こういうつながりで各地の自治体が助け合えるのは素晴らしいことだと改めて実感しました。
また、その後立命館アジア太平洋大学(APU)にも伺いました。ここも、校舎や敷地は非常に新しいにもかかわらず、様々な場所でひび割れや隆起などが起きており、やはり震災の力の大きさを示していました。
≪大分県由布市≫
次に、その日の午後、別府を離れて由布市湯布院町へ。こちらは、やはり震源地に近い分だけ、より震災の影響が出ておりました。
まず、由布院駅前の避難所では、そこの責任者の方から話を伺う機会を頂きました。最大時には約1300人、本日のお昼の時点でもまだ40~50人、夜になればさらに相当数の方が避難しており、自衛隊による炊き出しも続けられている様子でした。
家だと不安だから避難所に来ているという方もいらっしゃいましたが、別府市とは異なり、家が倒壊して物理的に戻るところがない方が少なくないとの話を聞いたため市内住宅街を歩いてみました。すると、瓦が壊れ屋根をブルーシートで覆っている住宅がいくつも目に入るだけではなく、全壊、半壊をしている建物が次々に見つかりました。湯布院での被害の深刻さに言葉を失いました。

≪熊本県阿蘇市≫
その日は由布院駅近くの民宿にて夜を過ごした後、二日目は早朝から移動を開始して熊本県の阿蘇市へ。別府や湯布院とは比べものにならないくらい多くの自衛隊車両が走っており、また各所に震災の影響で通れない道がある様子などを目にし、ただ事ではない様子が嫌でも伝わってきました。
阿蘇に着いてまず目に飛び込んできたのが阿蘇駅の駅舎。そして、阿蘇神社の楼門にも言葉を失いました。
その後避難所にも向かいましたが、避難所の大きさ、避難されている方の数などの点で、別府や由布院駅前のそれとは段違い。震災により今なお現在進行形で多くの人々が大変苦しんでいること、それを実感として理解できました。

「熊本地震」の被災状況を見るのになぜ大分なのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはほかでもありません。このたびの「熊本地震」で被災しているのは熊本に限りません。その影響は、大分、宮崎、福岡に及んでいます。しかしながら、周辺地域の情報があまりにも少なく、支援の手が熊本ばかりに集中しているのではないかという声もありました。そこで、周辺地域の中でも被害が大きかったとされている大分の実情をこの目で確認しに伺った次第です。
今回の日程で伺えたのは、大分県別府市、由布市湯布院町、そして熊本県阿蘇市の3自治体。そして、被災地の一つでもある別府市の長野恭紘市長からお話を伺う機会も頂きました。
1.被災地の状況について
≪大分県別府市≫
まず、日曜日の午前中に伺ったのが別府市。表通りを走っている限りはあまり気づきませんが、別府市北部に関しては、一歩道路を入ると多くの石塀が崩壊しています。また、ブルーシートで覆われた屋根や倒壊しそうな家屋やコンクリート塀も見られます。他方、南部に行けば行くほどいわゆる被災した建物や石塀は目立たなくなります。
別府では3か所の避難所にも伺いました。いずれの場所もその時いらっしゃる方が0から数人と、避難者の方が少ない印象も受けましたが、お昼は仕事や家の片付けに出て、夜になると戻ってくる方が多いとのこと。避難者の方の数は減ってきているものの、まだまだ需要はあるようでした。
さらに、支援物資が貯蔵されている市立体育館、そして市立別府商業高校へ。物資は必ずしも潤沢と言えないようにも思いましたが、全国からの物資が集まっている様子にはとても心強い思いをしました。
ちなみに、別府市には全国からの救援物資が運び込まれていますが、中でも岐阜県美濃加茂市からの物資が目につきました。というのも、別府市長の長野恭紘さんは、美濃加茂市長の藤井浩人さんと「龍馬プロジェクト」という志を同じくする仲間同士だとのこと。こういうつながりで各地の自治体が助け合えるのは素晴らしいことだと改めて実感しました。また、その後立命館アジア太平洋大学(APU)にも伺いました。ここも、校舎や敷地は非常に新しいにもかかわらず、様々な場所でひび割れや隆起などが起きており、やはり震災の力の大きさを示していました。
≪大分県由布市≫
次に、その日の午後、別府を離れて由布市湯布院町へ。こちらは、やはり震源地に近い分だけ、より震災の影響が出ておりました。
まず、由布院駅前の避難所では、そこの責任者の方から話を伺う機会を頂きました。最大時には約1300人、本日のお昼の時点でもまだ40~50人、夜になればさらに相当数の方が避難しており、自衛隊による炊き出しも続けられている様子でした。
家だと不安だから避難所に来ているという方もいらっしゃいましたが、別府市とは異なり、家が倒壊して物理的に戻るところがない方が少なくないとの話を聞いたため市内住宅街を歩いてみました。すると、瓦が壊れ屋根をブルーシートで覆っている住宅がいくつも目に入るだけではなく、全壊、半壊をしている建物が次々に見つかりました。湯布院での被害の深刻さに言葉を失いました。

≪熊本県阿蘇市≫
その日は由布院駅近くの民宿にて夜を過ごした後、二日目は早朝から移動を開始して熊本県の阿蘇市へ。別府や湯布院とは比べものにならないくらい多くの自衛隊車両が走っており、また各所に震災の影響で通れない道がある様子などを目にし、ただ事ではない様子が嫌でも伝わってきました。
阿蘇に着いてまず目に飛び込んできたのが阿蘇駅の駅舎。そして、阿蘇神社の楼門にも言葉を失いました。
その後避難所にも向かいましたが、避難所の大きさ、避難されている方の数などの点で、別府や由布院駅前のそれとは段違い。震災により今なお現在進行形で多くの人々が大変苦しんでいること、それを実感として理解できました。




