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練習中の怪我で車椅子生活に それでも競技続ける情熱の源は ラグビー選手 金澤功貴さん - 大元よしき

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「僕が真ん中でボールを持っていたんですが、本来なら体から倒れなければいけないところ頭を下げて落ちてしまって、それで首が……」

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ラグビー選手の金澤功貴さん「生涯ラグビーと関わっていきたい」と語る

 2013年8月の菅平。夏合宿中の出来事である。高校一年生には事態の深刻さが理解できなかった。

 「ボールが出て先輩たちが離れていったときに、視界が止まったまんま動かないんで、どういうことやって思ったんですけど。痛みは感じないし、一瞬で体が動かなくなったので、何が起きたのかまったくわかりませんでした。

 うつぶせに倒れていたので、トレーナーさんが『仰向けにせなあかん』と言っていたのが聞こえたので、首を怪我したんやなって気づいたのです。手を触って『これわかるか?』って聞かれたのですが、首から下の感覚がまったくなく、何が起きたのかわからなくて、あのときは不安だけだったです」

 本稿のテーマはそれぞれのアスリートに競技人生最大の「敗北」を振り返っていただき、その負けから何を学び、何を克服して立ち上がっていったのか、その心のあり様に焦点を当てるというものだが、今回のアスリートのターニングポイントは「負け」ではない。

 高校1年生の夏合宿で頸椎の脱臼骨折という大怪我を負って、現在進行形で怪我との戦いに挑んでいるラグビー選手の金澤功貴さんを取り上げたい。

ラグビーと出会った衝撃

 金澤功貴(かなざわ こうき)。大阪府吹田市生れ。

 功貴は年末年始の風物詩にもなっている、「全国高等学校ラグビーフットボール大会(通称『花園』)」に2015年度の大阪第3地区代表として出場した常翔学園ラグビー部のキャプテンである。

 父親に連れて行かれたラグビーカーニバルで見たトップリーグの試合が、あまりにも衝撃的で小学4年生だった功貴の心を動かした。それがラグビーとの出合いである。

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「車椅子だからって負けられへん!」と意気込む

 「目の前で見たラグビーがめちゃカッコ良かったんです。人と人がぶつかり合うのを見て、凄いな、カッコいいなって思って、憧れというか、やってみたいって思ったんです。父も高校時代にラグビーをやっていたものですから、『どうや、おまえもラグビーやってみるか?』と聞かれたので、ちょっとやってみよ、と思ったのがキッカケでした」

 ラグビーに出合う前の功貴は野球少年だったが、「当たったら飛ぶんですよ、でも、なかなか当たらなかったんです(笑)」と、ちょっと不器用なタイプだったという。

 試合にもあまり出ることはなかった。

 吹田ラグビースクールでラグビーを始めたあとも、その不器用さは健在だった。功貴の初めてのポジションはセンター。しかし、「パスができないってことで、ウイングになったんですよ、でも今度はキックが取れへんってことで、最終的にフォワードに回されて、そのまま高校生までフォワードをやっていました。僕はラグビーをやってもめちゃ不器用だったんです」

不器用な少年が覚醒

 摂津第一中学に進学した功貴はラグビー部に入り、休日は吹田ラグビースクールに通って毎日のように楕円球を追った。

 功貴の頭の中はラグビーで一杯。生活の全てがラグビー一色に染まった。
そして中学3年で大阪代表に選抜されキャプテンに就任する。功貴に対する信頼は高く、そのリーダーシップは誰もが認めるものだった。

 「大阪には2つの選抜チームがあって、そのひとつは中学校のラグビー部の選抜チームで『大阪府中学校選抜』で『オール大阪』と呼ばれているものです。もう一つが『大阪府ラグビースクール選抜』で『大阪スクール選抜』と呼ばれています。

 大阪はこの2つのチームが全国ジュニアラグビーフットボール大会に出場して、僕は大阪スクール選抜で優勝しました。その初戦が大阪対大阪だったのですが、合同練習したこともあるので、お互いに知っている選手が多くてやりづらい相手でした」

 その大阪スクール選抜の練習会場が、後に功貴が進学することになる常翔学園だった。常翔学園といえば全国優勝5回を誇る高校ラグビー界の名門である。ましてや功貴が中学3年のときの常翔学園は日本一になった代だったこともあって、そのレベルの高さに驚き、奔放で攻撃的なラグビーに憧れを抱いた。

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チームメイトの思いが車椅子に

 「もともと紺と赤の(常翔学園の)ジャージがカッコよくて、あれを着て試合に出たいと中学2年から、『常翔へ行こう』と決めていたのですが、大阪スクール選抜として一緒に練習させてもらってからは、それがもっと強くなりました。特にキャプテンの山田有樹(同志社大学)さんに憧れて、僕も常翔に入って、キャプテンになって全国大会に行きたいと思ったのです」

憧れの常翔学園進学で夢への階段登る

 同期には大阪スクール選抜の優勝メンバーもいた。「もう1回、このメンバーで優勝目指して頑張ろうな」と励まし合っていた。だが、当然のことながら高校生のレベルは高く、毎日の練習が激しいポジション争いである。そのレベルは功貴が中学時代に想像していたものを遥かに超えたものだった。

 そんな中から1年生数名が選手に選ばれ、功貴の心がざわつきはじめた。

 「先輩たちのレベルがもの凄く高いんですよ。それなのに中学時代いっしょにやっていた仲間がメンバーに選ばれて、素直に凄いなって思う反面、自分が選ばれなかったことがショックでした。選ばれる気、満々だったですからね。でも、それが刺激になって『自分も負けられへんぞ』となりました」

 常翔学園でキャプテンになって日本一になることが中学時代からの夢であり、すでに走り始めている目標なのである。その前に越えなければならない壁が熾烈なポジション争いだ。一歩出遅れた感は否めないが、甘かったなどとは微塵も思っていない。目の前の現実に功貴は激しく突き動かされた。

 「このままの自分じゃ勝たれへん、もっと頑張らなあかん!」

 「まずは試合に出るところからや」

 それからの功貴は、練習後に家に帰ってからもランニングや身体作りのトレーニングに励み、体重を増やすために食事の量を増やした。また、本職であるフランカー(背番号6,7番)以外のポジションにもチャレンジしていった。

 季節は夏となり、常翔学園の夏合宿が長野県の安曇野と菅平で行われた。功貴にとっては正念場の夏である。事故はその菅平合宿で起こった。本稿冒頭の述懐がそれである。

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キャプテンを中心に円陣組む常翔学園(春の全国選抜大会)

「これから先、どうなるんやろ」

 首から下の感覚がまったく無かったことが不安と恐怖をかき立てた。首は一番怪我をしてはならないところだと教わってきただけに、ただ事ではない事が起きていることだけはわかっていた。上田の病院に救急搬送された。が、その後、長野の赤十字病院に移された。

 「上田の病院にいる頃から痛みはじめて、長野に移送中の救急車の中では何か叫んでいたみたいです。意識が朦朧としていて寝そうになってしまうのですが、意識がないのか、寝ているのか、わからないという理由で『寝たらあかん、寝たらあかん』と声を掛けられていたことだけは覚えています。それ以外の記憶はありません」

 しばらくして病状が安定しICUから一般病棟に移ったが、痰が切れず呼吸困難に陥って再度ICUに戻された。その後、喉から酸素吸入器を差し込む手術を行った。一カ月後に大阪に戻り、そのあとは手術や治療でいくつか病院を転院した。

 「2013年の8月に怪我をして入院生活は1年ちょっとになりました。長かったですね。それを支えてくれた一番大きな要因はラグビー部の仲間でした。
練習のあとや、休みの日にもお見舞いに来てくれて『早くグラウンドに戻って来い。お前が戻ってくるのをみんな待ってるからな』って声を掛けてくれたんです。慰めの言葉じゃないんですよ。それが嬉しかった。

 その時はまだ動けなかったのですが、絶対にグラウンドに戻ってやるというのが僕の目標になりました。それがあってリハビリに励めたんです。仲間の言葉は頑張る活力になりました」

一つずつ壁を乗り越えたリハビリテーション

 「リハビリは呼吸器を外して自分で呼吸をするところからで、『やっと外せた』と思っても、頭を少し起しただけで血圧が下がってしまって意識が無くなってしまうんです。起立性低血圧というのだそうです。首から下が麻痺しているので座ることもできません。

 最初は大きな背もたれの付いた車椅子に乗ることから始めて、姿勢を起していられるようになったら、今度は普通の車椅子に座って体幹を保持する練習になりました。ですが、体幹も麻痺しているから身体がグラグラして座っていられないんです。車椅子を漕ぐ練習でも、最初はまったく進めませんでした。

 そういうステップを一つひとつ踏んでいくんですが、できることが増えていく過程で、できないことも見えてきました。『なんで、怪我したんだろう……』みたいな後悔はなかったのですが、体が動かないもどかしさを感じていました」

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大阪第3地区代表として『花園』へ臨む金澤功貴さん

 功貴には車椅子に座ることだけでも高いハードルなのである。一つの壁を乗り越えたら、また一つ壁が現れる。しかし、こうした気の遠くなるようなステップの一つひとつがグラウンドへと繋がる道程だった。『早くグラウンドに戻って来い。お前が戻ってくるのをみんな待ってるからな』という仲間との絆が支えだった。

 少しずつでも車椅子が漕げるようになると、「ここから、ここまで5分以内!」それを達成すると「今度は3分以内や!」と課題が出された。

 「タイムをクリアできるとすごく嬉しいんです。先生(理学療法士)は『今は動かなくても、ガンガン動かしていこう』と常に僕が前を向けるように目標を立ててくれて、甘やかさずにラグビー部員として扱ってくれたんです。厳しい言葉を掛けられることもありましたが、そのおかげで落ち込んだりする時期もなく過ごせたのだと思います」

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