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アラブ民族主義の(最終的)没落

今朝の大ニュースは勿論カッダーフィの死ですが、朝日等も随分大きくアラブ民族主義がどうのと書いていますので(朝も書いた通り、チュニジアを含めるのは間違いだが)、整理の意味で、アラブ民族主義について簡単な解説(などと偉そうなものではなく、単なる覚え書きみたいなもの)を書いておくのも、一つの墓標銘としての意味があるかと思います。

但し、記憶のママに書くので、間違い等があったら詳しい方訂正してください。

次に墓標銘を書くのはアサドになるのでしょうか、サーレハになるのでしょうか?

アラブ民族主義と言うのはナセル大統領がその代表だが、1950年代からアラブ世界を風靡した思潮です。

基本的には、世俗主義のアラブ世界近代化へのイデオロギーですが、その主要な点は

・アラブ統一(アラブの文化、文明の覚醒、アラビア語の重要視等を含む)、・欧州の植民地主義排斥、・社会主義的手法を通じての近代化・経済開発・社会的公正の3本の柱からなっていたと思います。

このイデオロギーの代表は勿論ナセル大統領(確か「ナイルの革命」という本を書いていると思う)ですが、その以前からの運動としてはバース党があります。

バース党もイデオロギー的には以上の柱からなりますが、創始者が(確か)シリア人(2人いて、1人がキリスト教徒、もう一人がムスリム)で、ベイルートが拠点であったこともあり、その影響はレバント地方で最も強いが、イエメン等にもその影響力があり、勿論イデオロギー的にはナセル主義とともにマシュラクに限らず、全アラブの統一を目標としていました。

アラブ民族主義政権の大部分が軍事政権であったため、その一つの要件が軍事政権と見られることもあるが、イラクのフセインに見られるように、軍人主導がその要件ではありません。(因みに、エジプト、リビア、イエメン、が陸軍軍人で、シリアのアサドは空軍軍人)

このアラブ民族主義の最盛期は1956年のスエズ戦争後60年代半ばまでで、当時エジプトのナセルの放送局「アラブの声・・voice of arabs 」はアラブ中の青年の血を沸かしたもので、エジプトとシリアの統合も行われ(tだし2年後には離婚したが)、イエメンの青年将校、リビアのカッダーフィはアラブ民族主義のイデオロギーをもった青年将校のクーデターがったが、特にカッダーフィはナセルに心酔していました。

しかし、アラブ民族主義の全盛期は長くは続かなかったが、その要因は冷戦の中で親ソ路線をとったために米国から徹底的に嫌われたことがあげられますが、他方それまで歴代政権から相手にされていなかった一般国民の福祉(教育、医療)とうで大きな成果を上げながら、経済が恒常的に悪かったこと、ソ連のまねをして秘密警察を使う恐怖政治が国民を離反させたこと等があげられます。

しかし、最大の要因はアラブ政治における、統一の理想の破綻で、最大の事件が67年のいわゆる6日戦争でのアラブ軍(特にエジプト軍)の惨敗です。この時アラブ民族主義と言う理念からイエメンの反革命に対してイエメン政権を救うべく現地に派遣されていたエジプト軍も帰国します。

この後のアラブ民族主義は、基本的に過去の残照にしがみつきながら、強権体質をもって、それぞれの政権の維持を図る(または国益を守る)独裁政権であるに過ぎないものになっていきます。またはイエメンのように、自分がクーデターで倒した王制と妥協をしてかろうじて生き延びる存在になって行きました。

エジプトではサダトが73年戦争後、イスラエルと単独和平に踏み切り、逆にその他のアラブ諸国からボイコットされ、アラブ連盟も一時チュニジアに移ると言う状況が生じ、サダトはイデオロギー的にはアラブ主義からエジプト中心主義に移し、古代エジプトを称賛したりしました。

もっとひどいのはバース党の方で、アラブ統一どころか、同じバース党政権でありながら、イラクとシリアが不倶戴天の敵の関係になったばかりか、シリアの方はアラウィ派と言う少数派の独裁政権、イラクの方はティクリチと言うサッダムの出身地、さらにh彼の親族だけによる地縁的、血縁的独裁政権になると言う状況で、イデオロギーとしてのアラブ民族主義とは似ても似つかない存在に堕して行きました。

カッダーフィの方は、そのクーデターが1969年と言うナセルの晩年だったこともあり、ナセルの理想に忠実にアラブ諸国の統一を実現しようと、エジプトとの国境廃止を強引に実現しようとしたり、とにかくドンキホーテ的行動が目立ったが、リビア石油の利権を産油国に有利に改定させ、その後の産油国による石油利権の回復の先駆けとなったり、豊富な石油収入からアフリカや世界中の解放組織(テロ組織も含む)に資金、武器援助をしたりして、欧米の目の上のたんこぶになって行きました。この過去の実績がアラブ諸国に見捨てられた時に南アフリカ等アフリカの一部諸国が彼を支持し続けた理由です。

いずれにしてもイデオロギーとしてのアラブ民族主義が何らかの役割を果たしたのはここまでです。

アラブ民族主義政権は、70年代後半以降、その存在理由を失って、自己変革の不可能な独裁強権国家になり下がっていきましたが、その極めつけが、独裁者の家族による国家の私物化、即ち息子への権力移譲、不正蓄財による国家の富の収奪です。

シリアでは既にアサド(父)から息子へ権力が移譲しましたが、イラクでもサッダム政権が存続して入れば息子(長男のウダイは病的なサディストだったので、二男のクサイが有力と言われていた)への移譲となるはずだったし、エジプトもカッダーフィもともに次男に移譲されることが確実と見られていました。これはイエメンでも全く同じで、息子の革命警備隊長に大統領職を移譲するために、これまでも驚異の粘り腰で権力にしがみついてきています。

これら独裁者が不正蓄財で巨額の富を懐に入れていたことはエジプト、リビア等没落した者の資産が解ってきたことで公になりましたが、アサド一族が莫大な富を蓄積したこともばれています。

アラブ世界有数の貧乏国イエメンのサーレハ一族が、どの程度の蓄財をしているかは不明ですが、イエメンには似つかわしくない多額の資産をどこかに有していると考えた方が正しいでしょう。

このように見てくると、アラブ民族主義の政権は、いずれもイデオロギー的には既にとうの昔に破産しており、国民にまともな生活を保証することなど殆ど眼中になく、己と取り巻きの権力維持と不正蓄財のみに励んできた政権ばかりで、その意味では権力維持の正当性を失って久しい政権ばかりだと思います。
それが、チュニジアでの事件を契機にガタガタと倒れて行きましたが、ある意味ではむしろ倒れるのが遅すぎたとさえ言えるのではないでしょうか?

これらアラブ民族主義政権が、時代の変化に合わせて、自己変革できなかったのはこれらの国民にとって、不幸以外の何物でもなかったとおもいますが、アラブ民族主義全盛の頃、過去の遺物と言う評価があった王制国家の方が、何のかんのと言っても、とにかく改革を進めようとしている(最適の例はモロッコ)ように見えるのは、ある意味で歴史の皮肉です。

長くなったので、何故チュニジアはアラブ民族主義政権ではない、と言う話は別に書くことにします。

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