- 2016年04月08日 14:29
八田氏国賠訴訟、「控訴違法」で窮地に追い込まれた国・検察
2/2一般に、官公庁では、その長である大臣が有する権限を各部局が分掌するという形で権限が配分されているが、検察庁では、検事総長、検事長、検事正などの職にあるからといって、刑訴法上、特別の権限があるわけではない。勾留請求、起訴、上訴など刑訴法上の権限は、全て「検察官」個人に与えられている。
検察庁法1条は、「検察庁」と「検察官」の関係について、「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」としている。これは、個々の検察官は独立して検察事務を行う「独任制の官庁」であり、そのような個々の検察官の事務を統括するのが組織としての「検察庁」だという趣旨だ。
検察庁内部では、上司は各検察官に対して、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に担当を替えたりできる権限)を有している。だから、主任検察官と上司との意見が異なる場合は、上司が引取移転権を行使することで、主任検察官とは異なった処分を行うことはあり得るが、部下に自分の意見を強制することはできない。
事件を担当する検察官は、証拠を精査・検討して、権限を行使するかどうかを判断する。その検察官個人の判断については、検察庁内部の決裁システムによって「組織としての承認」を受けた上で、実際の権限を行使することになるが、刑訴法に基づく権限自体は、検察官個人に帰属しているので、権限行使についての責任も、組織ではなく検察官個人に帰属するのである。
控訴するか否かは、検察庁にとって極めて重要な判断であり、地検の内部での検討の後に上級庁の高検との協議を行い、場合によっては最高検との協議も行われる。そして、事件を起訴した検察官や公判を担当した検察官ではなく、その地方検察庁の検察事務を統括する立場の次席検事が自ら検討した上で控訴を決定し、控訴申立書に署名して控訴を行うのが通例だ。本件では、控訴申立書を書いて、裁判所に対して控訴の手続きをとった当時の東京地検次席検事のI検事が、控訴申立ての責任を負うのであり、過失の有無・違法性も、I検事個人の認識や行為から判断されることになる。
当然、一般的には、控訴の責任を負う立場にある検察官自身が、一審無罪判決の内容や証拠関係を検討した上で、控訴審で無罪判決を覆せる見通しが十分にあると判断して、控訴が行われる。
しかし、本件に関しては、そのような慎重な検討が行われないまま、I検事が控訴申立てを行った可能性がある。
国税当局と検察とはかねてから深い関係にある。国税が告発相当と判断した事件については、必ず両者で「告発要否勘案協議会」が開かれた上で、告発するかどうかが判断される。その告発要否勘案協議会で検察官の了承を得て国税局が告発した事件については、不起訴にはしないというのが「不文律」である。その告発事件に対して一審無罪判決が出た場合、国税局との関係からは、控訴せずに一審で無罪を確定させることなどできないというのが「検察の立場」であろう。そうなると、東京地検次席検事として、「検察の立場」を守るべき中心的地位にあるI検事は、判決内容や証拠関係とはかかわりなく、「控訴しかあり得ない」と判断して、一審判決を覆せる見込みが全くないにもかかわらず無謀な控訴を行ったのではないか。
そのように推測するもう一つの根拠は、控訴の違法性の判断基準に関する被告の国側の主張内容だ。前述したように、被告は、「検察官は、第一審の事実認定が不合理であることを『具体的に』示すことができない場合に控訴申立てをしても国賠法上違法ではない」などという凡そ世の中に受け入れられるはずもない主張を続けている。そのような判断基準を前提にしないと、I検事が行った控訴の違法性を否定することができないからだとしか考えられない。
これらの根拠に基づいて、東京地検次席検事だったI検事の控訴申立てについて、原告は、次のような具体的事実を主張した。東京地方検察庁検察官(I次席検事)は、本件一審無罪判決が出された時点で、東京国税局が告発し東京地検特捜部が起訴した脱税事件についての一審無罪判決は承服し難いものと考え、控訴することを決断したものであり、判決書を検討することも、証拠関係を直接確認することもせず、第1審判決の事実認定が論理則・経験則に照らして不合理であることを具体的に示すことができるか否か、控訴審において有罪判決を得る見込みがあるか否かなどの検討を行わないまま、本件控訴申立てを行った。ところが、被告は、この具体的事実について、
原告の主張する判断枠組みは採用し得ない独自の見解であり、これによって控訴申立てが国賠法上違法であるかが判断される余地はない(そのため、上記に対して認否を行う必要を認めないものである。)
などと述べているのである。
原告の「法的枠組みの主張」は、平成24年最高裁判例を踏まえた、十分に根拠のあるもので、「独自の見解」などと言って済ませられるようなものではない。裁判所が採用する可能性がないなどとは到底言えないはずだ。ところが、被告・国は、原告の主張事実に認否をしようとせず、最終的に、裁判長から「被告は原告の事実主張に対して『沈黙』でよいのか」と念押しされて、ようやく「検討する」と言っている始末だ。
認否についても、当然、検察庁側の意向を確認しているものと思われるが、「I検事が判決内容も証拠も検討せずに、控訴申立てを行った」と主張されているのに、それをただちに否定すらできないというのは、この事件での控訴が、いかに不当極まりないものであったのかを端的に示していると言える。
有罪率99.9%という圧倒的に不利な状況の下で、無実を訴え続けて裁判を戦い抜いた者にとって、また潔白を信じて支援してきた者にとって、一審無罪判決は、まさに「待ちわびた春」だ。その「春」を土足で踏みにじる権限が、検察官に与えられていいはずはない。無罪判決を覆す見通しもないのに、組織の面子維持、結論先送りのために控訴することなど、絶対に許されてはならない。そのような控訴を行った検察官と検察の組織は、当然の控訴棄却という結果に対して、厳しい責任を問われるべきだ。
一審無罪判決を覆す見込みがないのに行われた無謀な控訴について、その権限行使を行った検察官が、判決内容や証拠関係をどれだけ検討し、どの時点で控訴を決断したのか。八田氏の国賠訴訟で真相を明らかにすべき重要なポイントだ。


