記事

不倫問題報道が映す現代人の病理

ハンナ・アーレントによると古代ギリシアに端を発する政治的共同体は公的領域に属し、私的領域と区別される。

公的領域では、

①他の人々が居合わせ、その人たちに見たり聞いたりされることで、「可能な限り広範な公共性が当の現象に授けられる。」=リアリティが保障される。

②人々が共通世界に関与する。

といった特徴がみられる。
「(公的)世界では、それをその都度共有している人々を、結合させるとともに、分離させる。」
(「活動的生」より)
イメージとしては、机を囲んで話し合っている構図(結合させ、分離させる)がよく持ち出される。

一方、私的領域では、基本的に「他者」が欠如している。
(privacyには「奪われた」という意味がある。)

私的なモノ(私有財産)として、人々が関与する共通世界から隠されており(私有財産の不可侵性)、その秘匿された領域では、(象徴的には「誕生と死」が)公的なものの光から保護される。

アーレントは私的領域のイメージに「トイレと寝室」を挙げている。

さて、現在日本を席巻するニュースの多く、ゲス&ベッキー及び乙武氏の不倫問題や芸能プロダクションのスキャンダルなどは「私的領域」に属するものとみられる。

これらのニュースの影響力(人気)は、例えば(机を介して話し合われるべきテーマである)東シナ海の安全保障政策や社会保障費の分配政策を軽く上回る。

例えば、街角で通行人にマイナス金利政策と不倫問題についてインタビューすると、彼/彼女はおそらく後者のテーマについて饒舌に語るだろう。

もともと「政治」を意味する「ポリス」では、私的領域のテーマは議論の対象にはならない。

ポリスに参画するひと=政治的人間(ゾーン・ポリティコン)の私的領域は完全に隠されており、(「トイレと寝室」を含む)私的財産の運用はポリス(政治)が関与する案件とはならない。

といった古代ギリシア的な理想形態は現在で通用するはずもなく、私的領域と公的領域の境はあいまいとなり見分けがつかなくなっている。

これは何も日本特有の現象ではない。

ヨーロッパを揺るがすテロ事件の背景に宗教原理主義、自尊心の欠如といった「私的領域」の問題が指摘され、アメリカ大統領選では候補者の「人格」や「来歴」がその政策以上に注目を集めている。

アーレントはこうした公的/私的領域のあいまい化を「大衆社会化」と称し、こういった社会は公的空間のみならず私的領域をも破壊する、と批判している。

彼女が言うには、公的/私的領域が破壊されると、人々は「自分がこの世界にまったく属していないという経験」=「世界疎外」(英語では単にloneliness)=「見捨てられた存在」として個々に分断される。

このあたりは何となく理解しにくいが、感覚的にはわからないことはない。

私的領域(家族内コミュニケーション)がうまくいっていて、公的領域(会社内外でのコミュニケーション)がしっかり確立されており、両方の領域がきっちり切り分けられていれば、その立場にいる人が「世界疎外」の領分に足を踏み入れることはないだろう。

しかし、公的/私的領域が崩れた大衆社会では、机を囲んで議論するテーマが私的生活のアラ探しにとってかわられ、コミュニケーションは錯綜し、関係者は領域をまたいで入り乱れ、人々はそれぞれの領域のルールではなく欲望に従って行動する結果、家庭(私)でも会社(公=古代ギリシアでいう「民会」に相当する)でも個々人は分断される(孤立化する)。

例えば、大衆社会においては、家庭では(公の領域で)「いい就職」をさせるための教育が個人に対してなされ、会社では全人格的な経験に裏付けられた個人の生産性に対して評価が与えられる。

(それに対して、公的/私的領域が区別された世界においては、家庭では役割に応じて居場所が与えられ、公では意見を戦わせる「場」に評価が与えられる。個人の自由はその「場」に現れる。)

否応なく大衆社会に投げ込まれる現代人は、誰もかれもがもともと「見捨てられた存在」なのかもしれない。

しかし、だからと言って、公的領域の問題に議論する価値がなくなったわけではない。

「公的領域」と「私的領域」それに「公私をつなぐ領域」(ハーバーマスのいう「公共圏」だが、これはなかなか微妙なので、機会があれば別に採り上げたい。)では、それぞれの問題を可能ならば切り分け、それぞれのルールに従ってその場所(公、私、公共圏)で議論されることが望ましいだろう。

従って、乙武氏が価値のある政策を考えているのなら、政治の場で議論するチャンスが与えられるべきだし、彼の不倫問題は家庭内で話し合えばいいことであって、外に出して議論するルールの枠外と結論していいのではないかと思う。

ニュースの視聴者や作り手もひとそれぞれだが、それぞれの領域による切り分けをもう少し意識しても良いのではないかと、(最近は特に私的ネタが多いようなので)感じる昨今であります。


蛇足

アーレントは公/私の区分を肯定していたので、歴史的に私的領域の被抑圧者であった女性の権利擁護者(フェミニスト)からの評判は良くない。

あわせて読みたい

「不倫」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    小池知事は検査数少なさ説明せよ

    大串博志

  2. 2

    官邸の思い付きで日本は大混乱に

    篠原孝

  3. 3

    自粛ムダに…百貨店へ並ぶ高齢者

    佐々木康彦 / ITmedia オルタナティブ・ブログ

  4. 4

    岩田医師 東京都は血清検査せよ

    岩田健太郎

  5. 5

    自粛要請も休業判断は店任せの謎

    内藤忍

  6. 6

    中国のコロナ感染「第2波」懸念

    ロイター

  7. 7

    布マスク普及呼びかけに医師指摘

    名取宏(なとろむ)

  8. 8

    韓国がコロナ詳報を公開する背景

    WEDGE Infinity

  9. 9

    ロックダウン=都市封鎖は誤訳?

    かさこ

  10. 10

    ロックダウン寸前 法改正が急務

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。