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弁護士「食えない」論をめぐる視点

弁護士「食えない」論の扱いが、最近、また弁護士会内で話題になっています。ただ、印象で語ってしまえば、このテーマをめぐっては、視点が定まらないまま、さまざまな立場の人が、さまざまな忖度を加えた議論をすることで、延々と会内の議論は続いている。どの世代の、どういう立場の、そして、どういう程度の現実が語られているのか。アンケート結果や統計的な数値も、どこまで弁護士の経済的な現実を映しだしているのか、その分析もさまざま。激増政策の影響という、それこそ「全体」にかかわる問題でありながら、弁護士という仕事が、ますます「全体」として語れなくなってきているということは、先般の日弁連臨時総会の議論を見ても感じることです。

 「食えない」論をめぐる、会内論議の多事争論ぶり、あるいは錯綜ぶりは、最近の弁護士法人岩田法律事務所のコラムで書かれた架空対話(「対話篇・弁護士食えない論」)に、非常に分かりやすく、網羅的に再現されているように思います。是非、お読み頂きたいと思います。

 ただ、改めていうまでもないことですが、この「食えない」論の扱いをめぐっては、三つの異なる視点があることを、まず確認する必要があります。つまり、現職の弁護士の視点、これから弁護士になることを検討対象に入れている志望者の視点、そして、弁護士利用者の視点です。端的に言えば、弁護士にとって、利益と生存にかかわる問題として、志望者にとっては選択の条件、そして利用者にとっては、このこと自体には意味がなく、関心はその先の結果だけです(「『食えるか食えないか』というテーマの前提」)。

 当たり前のことといわれそうですが、弁護士会の錯綜した議論、あるいはさまざまな忖度を加えた意見を聞くうちに、どこまでこのことを前提としているのかが分からなくなってくる感覚に陥るのです。弁護士が自らの生存や利益を追及するための可能性を探り、そこにサービス業として当然のメリットや、職業として選択したうえでの個人的な使命感達成を絡めて、「食える」「食えない」という経済的現実を議論することは、ある意味、当然のことです。

 そして、経済的な影響の程度が、本当に生存にかかわるようなことなのか、それともそれほどではないが減収しているという話なのか、ということで意見がばらつくのも当たり前かもしれません。ここは、「食える」「食えない」を「やれてる」「やれてない」「やれているけれど厳しい」という自らの状況を基準にして「全体」を語ろうとしても、かみ合うわけはありません。

 しかし、問題はさらにここから先です。他の二つの視点を、弁護士という仕事の未来とつなげて、どう忖度しているのか、ということです。志望者に、とって弁護士という仕事はあくまで選択肢。あるのは資金をどこまで投下してしまったのか、後戻りができるのかどうかの個々人の違いだけです。彼らのこだわりは、あくまで「価値」であり、それはもちろんこの世界の現実に照らして読みとっています。もちろん、ブログなどのネットも含めてさまざまなソースからの情報が、その判断材料になります。

 ただ、弁護士会内の「改革」肯定派がしはしばいうように、可能性についてのポジティブな情報が発信されさえすれば、彼らをつなぎとめられるというのは、かなり楽観的な見方といわなければなりません。「やれてる」「食えている」「前より減収でおいしい仕事ではなくなったかもしれないが、まだまだやれる」というのが事実だとしても、それでいけるとみるのは、そもそもが前記弁護士の生存や利益追求の視点で語られた結果に傾斜した結論にとれます。

 志望者にとっては、投下する資金と時間に見合う「価値」、職業としての経済的な妙味という要素は、現実的に前提として加味されるとみるべきです。それでも職業的な「価値」を優先させる人が、この世界にふさわしいというのは結構ですが、多くの人材から選抜するということや、現実問題として優秀な人材が流出するリスクは直視する必要があるはずです(「志望者にとっての『価値』と『改革』の『価値』」)。

 そして、大事なことは、前記さまざまな経済的な状況の弁護士の現実と、そこに向う法曹養成へのコストに対して、志望者の結論は出ている、ということです。となれば、可能性に対する彼らの「無理解」を正せば、あるいは現在の弁護士の状況が大きく好転するのを信じるに足る情報によって、志望者のこの世界の目線は変わるといえる問題なのかという話になってしまうように思えるのです。肯定的なバイアスのかかった情報の効果もさることながら、少なくとも志望者にとって有り難いものにはならない可能性は高いというべきです。

 一方、利用者はどうかといえば、基本的に弁護士が「食える」か「食えない」かに多くの人は関心がない。どちらでもいい。ただ、かかわらざるを得ない人間にとっては、その先に関する情報だけに耳をそばだてます。「食えない」のは淘汰による良質化・低額化の過程という「改革」肯定派の情報をうのみにすれば、あるいは目線は、弁護士業の他のサービス業との一般化や、これまでの数が少なかった「恵まれた環境」といった捉え方からの期待感につながるものになるのかもしれません。「改革」の結論が出ている今でも極力そちらに向けようとする方々もいます。そして、その目線を憂慮すればこそ、「食えない」論は封印した方が得策という見方が弁護士会内にあるのも事実です。

 しかし、「食えない」現実のまま続く増員政策が、本来、利用者が全く求めているとはいえない余裕のない弁護士の量産化に終わり、その先に良質化・低額化は生まれないまま、むしろ質の均一化がともなわないことによる選択の自己責任が回って来るだけでなく、利用者にとって危険が増すというのであれば、肯定する「前提」は全くなくなります。ここでも肯定的情報だけ流されることは、決して有り難いことではありません(「弁護士の『食える食えない』に巻き込まれる社会」 「弁護士の『余裕』が支えるもの」)。

 前記岩田法律事務所の架空対話で、その中の登場人物がこんな風に語ります。

 「資格のない人が食えないのと、資格のある人が食えないのでは、全くその意味が違うという問題はあるだろうな。弁護士の資格を与えられてしまうとかなり色々なことができてしまうから、それが正しい方向に使われればいいのだけれど、間違った方向に使われてしまうと不祥事のオンパレードになりかねない。そこをどう考えるかだね」

 さまざまな立場で意見を出している弁護士も、これら視点の違いを分かっていないわけではないと思います。ただ、「全体」をますます語りづらくなっている弁護士たちが、それらを「前提」にすることも出来づらくなっているようにみえます。誰のための「改革」と言ったのか。その言葉で束ねたはずの職業的集団に対して、皮肉にもその「改革」がもたらしている混迷です。

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