- 2016年03月26日 08:59
なぜ日銀はマイナス金利導入をしてでも 2%の物価上昇を目指すのか - ジョン太郎 (現役金融マン)
1/2デフレ期の日本で起きたこと
日本では1990年代後半以降、15年に渡ってデフレが続いてきた。この間に何が起きたのか。OECDの対日審査報告書2015年版に記された文言を一部ご紹介したい。
「20年にわたる低成長と継続するデフレは、日本の生活水準をOECDの平均以下に低下させた」
「過去20年間経済成長は低迷し、1990年代初頭にOECD諸国の上位半数の平均にあった日本の一人当たり収入は、今では14%下回る水準になっている」
「1980年代半ば以降、最も低い所得層が実質収入の絶対額で減少した国は、OECD諸国の中で日本しかない。さらに、すべての勤労者世帯とすべての子供のいる世帯の貧困率が、税及び社会保障制度を考慮した後高まる国はOECD諸国で日本しかない」
デフレの何が問題か、あるいはそもそもデフレは問題なのか、ということはひとまずおいておいて、長期的・持続的なデフレが発生した日本で暮らしてきた人々にとってOECDの報告書に記されたこれらの文言は、実感として当てはまっているだろうか、それとも当てはまっていないだろうか。私がこの期間に日本で暮らしてきた中で見聞きし、感じてきたことは、これらの文言と比して違和感なく、「まぁ、そうだっただろうな」と思えるものだった。
お金の価値と物価
では、デフレの何が問題なのか。国の物価全体が下落するデフレは、直感的に「ものの値段が下がって、同じものを安く買えるようになるのだから、良いことではないか」と思えるかもしれない。あるいは、「国全体はどうであれ、少なくとも私にとっては、物価が下がって安くものが買えるようになることはありがたいことだ」と思うかもしれない。ところが、先程のOECD報告書の文言がこの間の日本に起きたことを正しく表現しているのならば、デフレは日本の社会全体としては良いことでもありがたいことでもなく、あなた自身も含めた日本の社会全体を長期にわたって蝕んできた可能性がある。
10年前、20年前と比べて私達日本人の暮らしは豊かになっただろうか。最近海外に行かれた方は10年前、20年前に海外に行った時と比べて、日本の豊かさは高まったと感じるだろうか。10年前、20年前と比べて、あなたの収入あるいは使えるお金は、あなたがその間に努力した分だけ、苦労した分だけ、増えただろうか。そうした分だけ暮らし向きが良くなったと感じられるだろうか。
デフレの何が問題なのか
そもそもお金の価値は、そのお金で何が買えるか、で決まる。そのため、物価が上がることはお金の価値が下がることを意味し、物価が下がることはお金の価値が上がることを意味する。日本で長期にわたる継続的なデフレが発生したということは、日本で流通するお金日本円の価値、現預金の価値が長期にわたって継続的に上がり続けてきたということだ。物価が下がり続けて、現預金の価値が上がり続けるとしたら、あなただったらどういう行動をとるだろう。例えば車を買おうとするとき、毎年、車の値段が1%ずつ下がっていくなら、もう1年か2年待ってから買おうと考えないだろうか。中にはそういう人も出てくるだろう。買い控えの発生だ。
あるいは、物価が下がり、現預金の価値が上がっていく中でリスクをとって投資をしたいと考えるだろうか。例えば100万円もっている人がリスクをとって投資をしても結果が100万円以上になるか、100万円以下になるかは分からないが、無理してリスクをとらず100万円を100万円のままとっておくことができるなら、物価が1%下がればそれまで100万円だったものを99万円で買えるようになるのだから、同じものを買っても1万円のお釣りが来る、つまり実質的にお金が増えることになるのだ。こうして、デフレの環境下では、お金を貯め込んだ人は消費や投資にお金を回さずにタンス預金や銀行預金にしておこうとする。
お金を借りて家や車を買おうとする場合はどうだろうか。3000万円の住宅ローンを組んで家を買おうとする時、もし物価が毎年1%ずつ下がっていくならば10年後には物価は10%も下がり、月10万円の食費・光熱費は10年後には9万円になる。すると、3000万円の借金は月10万円の食費・光熱費の300カ月分から、月9万円の食費・光熱費の333か月分に実質的な価値が増えてしまう。
ここまでのことを現役世代とリタイア世代の立場で考えてみよう。現役世代にとっては、デフレは消費を先送りすることを促して本来旺盛な消費意欲を削ぎ、資産形成のための投資意欲を減退させる。また、借金を抱えることが多い現役世代の負担を重くし、お金を借りて住宅や車などを買うハードルを高くする。
一方で借金が少なく、金融資産を貯めたリタイア世代にとっては、もともと現役世代に比べて旺盛ではない消費を先送りすることを促される一方、現預金にしておけばお金の実質的な価値が増えていくので、金融資産を消費や投資に回さず現預金にしておこうとする気持ちが強くなる。借金は少ないのでデフレによって借金の価値が増えてしまう負担感はあまり感じない。
デフレの15年間によく耳にした話
企業にとってはどうだろうか。世の中全体の物価が上昇していれば、値上げして売上単価を上げ、同じ数量を売っても売上高を増やすことができる。物価上昇に合わせて従業員の給料を上げても利益額は増える。しかし、物価が下がっている環境下では、値下げをせざるを得なくなり、売上単価が下がり、同じ数量を売っても売上高が減少してしまう。すると従業員の給料も下げなくてはならなくなる。給料を引き下げることが難しい正社員よりも、より柔軟性のある派遣社員など非正規雇用を増やしたくなる。
デフレの15年間によく耳にした話だ。こうして現役世代の労働意欲が削がれる。名目賃金は増えず、場合によっては減り、非正規雇用が増え、消費・投資意欲は削がれ、何のために頑張るのか、頑張って何を得られるのかが分からなくなり、明るい未来を思い描きにくくなる。
一方で、企業が持っている現預金の価値はデフレによって実質的に増えていく。すると、企業にとっては現預金を投資に回す意欲が減退する。借金の負担は重くなるため、借金をして投資をする意欲はさらに減退する。起業するインセンティブも減る。こうして企業活動は活発さを失っていく。
さらに、政府部門について考えると、デフレの進行で政府が抱える借金が実質的に増えていき、財政政策による景気刺激を行うことが難しくなる。たとえ無理をして財政出動をしても、民間企業の投資意欲が減退していては波及効果は限定的になる。政府の借金が実質的に増えれば現役世代の将来負担は重くなる。物価が下がることで税収も目減りし、政府財政はさらに悪化する。社会保障は削減を余儀なくされる。これも既に受益者となっているリタイア層よりも現役世代により大きなダメージを与えることになる。
こうしてデフレは経済・社会に深刻なネガティブインパクトを与え、デフレによる経済活動の不活性化がさらなるデフレを招くというスパイラルに陥り、抜け出すことが難しくなる。そして、その期間が長期化するほど、人々の頭にデフレマインドが刷り込まれていき、さらにデフレスパイラルからの脱却が困難になっていく。
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