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ブリュッセル・テロが突き付けたもの - 大野ゆり子

ブリュッセルに自宅があるのだが、ちょうど今週、滞在先のバルセロナからフライトで一時帰宅しようと考えていた。3月22日の朝のフライトにしなかったのは、たまたまその日の夜に予定が入ったからである。

 それだけに、テレビをつけた途端に目に飛び込んできた、爆風ではがれ落ちた天井材や窓ガラスが散乱しているブリュッセル空港の映像には言葉を失った。思わず電話をとって、友人ひとりひとりの安否を確認し、また世界中から安否を気遣って連絡をくれた友人に返事をして半日が過ぎた。携帯電話の番号はつながりにくくなっており、ベルギーにいる日本人には、2011年3月11日に日本に連絡をとったときと同じような不安が、心に蘇ってきた。

 ブリュッセルに拠点を置いて14年になるが、夫は自宅にピアノと指揮者用総スコアを置き、ここからほぼ月に2回、多いときは毎週客演指揮に出かけているので、この出発ロビーの利用回数は数えきれない。空港のガラス張りのドアを入ってから、左に曲がって、スターバックスのスタンドを通り過ぎ、その右にあるルフトハンザのカウンターに行く――目をつぶっても行けるぐらい、おそらく100回以上は通っている、使い慣れた出発ロビーだ。

 ブリュッセルの空港は、ほかの大都市の空港に比べて、ひどく混雑をすることは少ないが、とにかく空間がだだっ広く、相当歩かなくてはならない印象がある。そして死角になる場所が多い。

 これはブリュッセル全般に言えることなのだが、まるでマグリットの絵のように、非常によく作られた空間があると思うと、ポッカリと何もない空間がある。ベルギー人に言わせると、この不思議な「都市計画の不在」は、「ワロン政府とフラマン政府、連邦政府という当事者が多くてコンセンサスが取れないせいだ」という。

 実は11月、パリ同時多発テロを受けてベルギーの警戒レベルが上げられた1週間後、ウィーンからブリュッセル空港に降り立ったときに、軍人が歩き回ってはいるものの、どこか焦点の定まらないこの警戒態勢の中で、何か起きても大丈夫なのかな、という思いがふと頭をかすめたことがあった。

 この空港はテロ警戒を主眼に立てられたわけではないので、何かがあった時にはあまりに無防備だ。パリの北駅、シャルル・ド・ゴール空港などは、隙間空間が少なく、警戒をするにしても焦点が定まる感じがするのだが、ブリュッセルは違う。軍人は2人組でくまなく空港を歩き回るのが任務なのだろうが、ガランとした空間でずっと緊張感を持続するのは難しいだろう。私が見たときは、若い軍人がちょうど携帯電話に目をやって、メールをやっていた記憶がある。

 地下鉄のマルベーク駅は、私の自宅からも遠くなく、いつも通過する駅だ。ブリュッセルには地下鉄アートというのがあって、それぞれの駅が現代美術家に依頼し、駅ごとにまったく違うアートが置かれている。テロの被害のあったマルベーク駅は白いタイル貼りの壁に、ベルギー人作家が描いた大きな人の顔が印象に残る駅だ

 昨日は、作家がマルベーク駅の「顔」に大粒の涙が流れる絵を描いたものを、友人がフェイスブックでシェアしていた。安否を気遣ってくれたフランス人の友人は、ルモンド紙の挿絵を送ってくれた。フランスの国旗が、涙を流すベルギーの国旗の肩を抱き慰めている絵だ。同じ痛みを知るからこそ、慰めあえる。フランスには11月13日、ベルギーには3月22日という日付が入っている。

 友人のメールには「今日はすべての犠牲者、家族を思い、ともに嘆き悲しもう。でも明日は怒りを示すときだ。自分たちの価値観をどんなことをしてでも押し付け、私たちの民主主義と自由を奪おうとする、狂信者たちに対して、深い憤りを示していこう」と書かれていた。多くのヨーロッパ人が同じ思いでいるだろう。

 しかし1番の問題は、怒りをぶつけるべき相手が、顔を隠して姿を見せないことだ。

 ヨーロッパに住む者として、私はこれから自分自身に問わなくてはならない。もし、サラ・アブデスラムというような、モロッコ出身を思わせる名前と風貌を持ったベルギー人と知り合ったとき(この機会は、ここでは日常的に実に多いのだ)、何の罪もない(かもしれない――この但し書き自体が、すでに問題なのだが)その人を、何の偏見もなく、一点の曇りもない目で見られるのだろうか。

 もし答えがノンならば、それこそISの狙っていることだ。移民とヨーロッパを真っ二つに分断させ、ヨーロッパの中に憎しみの戦場を作りだすこと。

 22日のテロは、ヨーロッパに住む者が歴史の中で醸成してきたはずの、人種偏見のない自由で民主的な社会に、不敵にも突き付けられた挑戦状だ。

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