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いま、桐生悠々に学ぶべきこと 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』 (半藤一利・保阪正康 著)(文藝春秋 刊)|自著を語る|保阪 正康

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桐生は昭和一五年頃から、体調が悪化していることに気づき、喉頭がんにより余命がいくばくもないことを知った。昭和一六年九月に『他山の石』の廃刊を決め、その最終号に「『他山の石』廃刊の辞」を書いている。わずか四〇〇字余の「辞」であったが、そこには次のような一節があった(本文でもその一部は紹介している)。

「超民族的超国家的に全人類の康福を祈願して筆を執り孤軍奮闘又悪戦苦闘を重ねつつ今日に到候(いたりそうろう)が最近に及び政府当局は本誌を国家総動員法の邪魔物として取扱ひ相成(あいな)るべくは本誌の廃刊を希望致居(いたしおり)候」

 そして次のように続けてしめくくっている。

「時偶(ときたま)小生の痼疾(こしつ)咽喉カタル非常に悪化し流動物すら嚥下し能(あた)はざるやうに相成やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致居候故(ゆえ)小生は寧(むし)ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候(いたしおりそうろう)も唯(ただ)小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座(ござ)候」

 あえて私が、昭和一〇年代のジャーナリストとして桐生悠々にこだわり続けるのは、その信念の強固なこと、その信念を崩さない一生を貫くこと、そこにこそ価値を見いだすからである。桐生はただ一人で闘ったのだが、こういう人物こそ、記者魂という表現で語り続けるべきだと、私は考えているのである。

 本書は、半藤一利氏と心おきなくジャーナリスト論を交わしたという意味では、私にとって心中の満足度は高い。言うまでもなく半藤氏は、戦後の雑誌の渦中にあって、言論の自由がどのような形で守られ、どのようにして真のジャーナリストが存立しうるのかを多くの例証を引きながら語っている。私自身も戦後社会のジャーナリズムの一角で、身を立ててきたが、そこではジャーナリストにはどのような気構えが必要とされるかを私なりの目で見つめてきた。

 そういう思いをこの対談では語らせてもらったのだが、半藤氏もまた現在の若きジャーナリストたちに幾分の不満と、また大いなる期待をもっていることを知ることができた。その点で二人は少々愚痴っぽくなるところもあるのだが、共通の認識を持っていることをつけ加えておきたい。

 その認識とは、ジャーナリストとは一個人がジャーナリストとしての矜持(きょうじ)を持ったり、誇りを持つだけでは不十分だということになる。むろんこのことは基本的な姿勢ともいえるのだが、それよりもまず現在の自分たちの身を置いている社会が、市民的権利を保障する空間であるか否かを常に感性に富んだ目で見ていなければいけないということだ。市民的権利になんらかの妨害工作を加えるような社会では、いずれ必ず歪みの伴った言論弾圧の動きがでてくる、と私は断言してはばからない。

 この点は、半藤氏もまた同様であると私は考えている。

 市民的権利に制限を加えるよう主張する政治家や政治的勢力は、必ず偏狭な国家主義、一面的な民族主義、口先だけの愛国主義を唱え続ける。そういう政治的目標を確立するには、なによりも市民的権利に制限を加えることのみがもっとも手短かに行われる手法だからである。

 いまはそういう時代ではないか。改めて感覚をとぎすます必要があるのではないか。私はいまこそジャーナリストは、国家の宣伝要員に堕したあの時代の内実を検証した上で、自らの立ち場を確認すべきではないかと思う。

 平成二五(二〇一三)年 九月

文庫版に寄せて

 二〇一五年は「戦後七〇年」であった。この「戦後」とは、太平洋戦争終結から七〇年ということになるのだが、もっと具体的にいえば八月一五日を七〇回迎えたともいい換えうる。

 従ってあの太平洋戦争とその後の七〇回の空間をどのように見るか、は私自身大いに興味をもって見つめていた。〈同時代史〉から〈歴史〉へ、史実の解釈はどう変わっていくのかが楽しみだったといってもいい。そのような興味をもっていたので、二〇一五年は私も講演やシンポジウムなどの依頼をできるだけ引き受けることにした。政治色、宗教色の強すぎる団体の講演や日程の都合のつかない講演は断ったが、それでも定期的な講演(たとえば朝日カルチャーセンターや中日文化センター、道新文化センターなど)を加えて合計で一二三回の講演を行った。

 この書を著していたためか、新聞社、放送局、それに民報連、出版労連などのメディア関係も幾つか引き受けた。一般的な講演と異なってメディア関係の講演会には三つのタイプがあり、それぞれ出席者が異なっている。三つとは、メディア従業員向けと、そのメディアが主催する一般講演会、そしてその地域の政財界、官界などのリーダーが出席する昼食会である。メディア従業員の出席する講演は、各メディアの現状がもっともよく理解できる。そういう折りの私の感じた空気は、正直なところ少々「権力」に鈍感ではあるまいかということだった。経営陣の中からは、若い記者諸君は与えられた仕事はきちんとこなすが、もう一歩前に出て報道するという気構えがない、との不満を漏らす声も聞かれた。逆に若い世代には、もう少し腰を落ちつけて仕事がしたい、日常が忙しすぎるとの不満もあった。

 あえて私見を言っておけば、各メディアはもっかコストカッター(必要経費の削減、あるいは徹底した予算主義というべきか)の時代といえるのではないかということと、安倍政権の硬軟とりまぜてのメディア対策に困惑、ないし怒りを持っていることが感じられた。権力対メディア、という図式が明確になっているかのようで、いわばこの書でも指摘した図式が露骨になっている。政権側が気にいらない報道内容に、「客観性」や「公平中立」という語を自らに都合よく解釈して、クレームをつけるというのは弾圧の第一歩である。

 これにメディアは抗しきれるのか、とくに史実解釈ではどうなのか、同時代史の解釈を侮辱するかのような歴史解釈が公然化するのではないかとの危惧が私には感じられた一年であった。

「戦後七〇年」ということで幾つかのメディアの七〇年企画に直接、間接に関わることになったが、そこで印象に残った企画を二つ挙げておきたい。

 その第一はこの年一月一日の北海道新聞の七〇年企画記事のスクープである。昭和一八(一九四三)年五月アッツ島玉砕のあと、アメリカ軍は北方コースでの日本本土上陸作戦を具体的に考えていたとのアメリカの公文書をワシントンの国立公文書館から探しだしてきたのである。この企画に関わった三〇代、四〇代の記者たちと接しながら、このような地道な努力を続けうるその仕事ぶりに、私は強い感銘を受けた。

 この世代の中で誠実に史実に向き合う姿とは、こういう仕事ぶりをいうのであろうと実感した。

 第二は南日本新聞の特攻に関する連載記事である。二人の記者が一年余にわたり、この記事を担当し、鹿児島県に限らず全国的な視点で取材を続け、かつての特攻作戦の全体図を具体的に描いている。全国各地に取材に赴き、関係者やその遺族を探しだし、その正直な声を紙面に反映させている。こうした企画に取り組んだ編集幹部と二人の記者に、私は敬意を表したいと思う。

 このほかにもまだ印象に残る企画はあるが、この二つはとくに特筆すべきと考えて、本書でも紹介しておきたい。将来のメディアの役割をこうした記者たちは着実に実践しているように思う。

 平成二八(二〇一六)年 一月

(「おわりに」より)

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