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いま、桐生悠々に学ぶべきこと 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』 (半藤一利・保阪正康 著)(文藝春秋 刊)|自著を語る|保阪 正康

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 ジャーナリスト魂、あるいはジャーナリスト根性などという語が、ときにジャーナリスト自身から聞かされる。権力に阿(おもね)ることなく、権力からの圧力にも屈せず、「報道の自由」を守ることに身を挺する、との意味が持たされているのであろう。言論に制限が加えられる時代がこないよう、我々は自覚していたいとの意味もあるのだろう。

 こういうジャーナリスト(大体は新聞記者が多いのだが)とときに会話を交わしながら、私はこの意気込みを諒としつつ、そしてこういう自戒を意識していることに敬意を表する一方で、言論の自由を守ることがそれほど簡単でないことを私たちは歴史から学ばなければならないとも思う。もっともわかりやすい例えを持ちだすが、昭和一〇年代に真のジャーナリストは存在しえたのだろうか、との設問を用意してみればいい。

 昭和一一年の二・二六事件以後、日本社会はより偏狭な民族主義に染まった国家へと変質していく。言論そのものが一定の枠内にとどまることを要求され、とくに昭和一二年七月の日中戦争以後は「聖戦完遂」が国策の共通語となり、新聞、雑誌はその方向での編集しか認められなくなった。加えて、本書でも半藤一利氏が指摘しているように、新聞は競って中国戦線に特派員を送り、戦勝の気運を盛り上げ、我が郷土部隊は「無敵」の部隊だなどと国民を煽(あお)る記事を掲載し続けた。

 実際にそのような記事によって、新聞の売り上げは大幅に伸びたのである。

 こういう時代にあって、ジャーナリストの役割はどのようなものなのだろうか。

 大まかに言えば、記者個人がその良心に従って記事を書く時代たりえただろうか。自分は戦争そのものに反対である、日中戦争は日本の理不尽な要求から出発しているのであるから即時停戦しなければならない、との考えを持っている記者が、そのような思いで自由に記事を書けただろうか。あるいは組織体に属している記者ではなく、自由に発言、執筆のできる立場の評論家や作家が、ジャーナリストの目で自らの所信を自由に書くことができただろうか。

 答えはいずれも「否」である。国家はそんなに甘くはない。

 彼らに自由に執筆の場など与えられるわけがない。

 こうした状況を分析していくとわかるが、ジャーナリスト個人がどれほど「表現の自由」を守るのだと叫んだとしても、まずその職が保障されるとは限らない。自らの信念を曲げなければ、その自由を失った社会では生きていけないのだ。だからジャーナリストは、自分の考えなど持つな、自分の考えは国家が要求している枠組みにあてはめて生きていけ、と的外れな教訓を説く論者も出てくる。

昭和一〇年代の年表を見ていけばわかることだが、日本社会はそれこそあっという間にファシズム体制に傾き、操作された言論によって世論が一元化され、皇紀二六〇〇年を祝い、敵国米英撃滅を声高に叫び、そして戦時体制に入っていった。その上で三年八カ月もの間、アメリカを中心とする連合国と戦い、軍事主導体制は崩壊していったのである。

 この間、ジャーナリストは国家の宣伝要員であった。ジャーナリストなどと名乗るのはおこがましく、国家の戦争政策を進める重要な情報マンだったのである。このことを私たちは正確に押さえておかなければならないと思う。

 昭和一〇年代にジャーナリストたりえたのは、日本社会でも桐生悠々(きりゅうゆうゆう)をはじめとして石橋湛山(たんざん)などほんの少数ではなかったか、と私は考えている。

 本書の中ではその趣旨で、半藤氏と何度か桐生のことにはふれてきた。桐生の時代を見つめる目は、戦後になって図らずも諒解されて広く喧伝されるようになったので、よく知られるようになったのだが、昭和一〇年代には、『信濃毎日新聞』の論説委員の職(軍部批判が多く、在郷[ざいごう]軍人会などに終始嫌がらせを受けた)を離れ、名古屋に住み、個人誌『他山の石』を刊行して細々と生活を維持していた。特高(とっこう)警察は、その桐生の執筆活動に常に弾圧を続け、少部数の『他山の石』さえもしばしば発禁(はっきん)処分にして、ジャーナリストとしての活動を封じた。

 桐生はどれほどの弾圧(それは経済的に苦しいだけでなく、桐生の子弟たちもまたそれぞれの教育の場で弾圧を受けることもあったようだが)を受けようとも屈しなかった。その意味では真のジャーナリストだったのである。

 私はあえて、「この期間の日本に真のジャーナリストはごく少数しかいなかった」と分析するのだが、その折に、桐生悠々の存在を忘れてはいけないと思う。『他山の石』は、わずか四〇〇部程度の少部数のクオリティ雑誌であった。それに対して国家がどれほどの暴虐を加えて、この雑誌を弾圧したかを思えば、国家は、「社会的に筋の通った論」には異様なほど脅(おび)えることを知っておく必要もある。

 桐生悠々は思想的に反軍部の論を主張したのではない。彼の立脚する立場は、明治天皇の発した「五箇条の御誓文」である。ここに大日本帝国の基本的理念が盛られているのであり、昭和初年代からの軍部は、この精神を踏みにじり、日本をとんでもない方向に導こうとしていると主張した。『他山の石』の表紙の裏面には、五箇条の御誓文を必ず掲げた。

「明治天皇は自由主義、民主主義者であらせられたのだ。五箇条の御誓文を拝読するとき、この思想はいづれの条項にも、脈々と躍動してゐる」

 と書いて、軍部、とくに昭和陸軍を批判したのである。

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