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  • 是枝裕和

「歴史修正主義」に抗するために ~放送と公権力の関係についての私見③~:後編

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「自由民主党はそんな恐ろしい組織じゃありません」

93年10月の衆議院政治改革特別委員会で行われた椿さんの証人喚問で、自民党の谷垣さんは次のように質問します。

谷垣委員
『私は、これはやっぱりテレビ朝日は相当な、中での実態解明の努力をされなきゃいけない。

なぜかと申しますと、新聞や雑誌ですと、御発言の内容は後々まで我々調べて、こういうことを言ったじゃないかとか、これはおかしいよということが言えるわけであります。ところがテレビですと、今たまたま私がメモした例を申し上げましたけれども、電波は流れてしまう。ビデオを撮って監視している人なんて余りいないんですね。残念ながら、自由民主党、資料を探しましたがほとんどありません。自由民主党はそんな恐ろしい組織じゃありません。

「ニュースステーション」の番組を逐一撮って後から問題にしよう、こんな組織は恐らく日本の国家組織にもないと思いますし、まあこういうことをやっている組織があったらこれは極めて私は恐ろしい組織だと思うんです。

それが本当の意味ででき切るのは、こういう問題であって、本当にテレビ朝日の報道が不偏不党である、公正であるということをきちっと立証できるのは、その番組をきちっとしているテレビ朝日しか私はないと思います。

外から手を入れないで、内部でやろうと思ったら、それは私はテレビ朝日はきっちりやっていただかなきゃならないと思います。

これは、あなた、椿さんに申し上げることではないんですが、要するに、今内部でいろいろ調査会をやっておられる。この間、サンゴ事件というのがございました。私はあのときのことを聞きますと、朝日新聞は非常に努力された、何も朝日新聞にごまするわけじゃありませんが、相当中で厳しい調査をされたというふうに理解しておりまして、それはりっぱな努力だと思うんです。

私はマスコミが自浄努力ということをおっしゃるんなら、テレビ朝日もぜひぜひそういうきちっと検討されまして、外部の者にもこれは公正だったという結論がはっきりわかるような、まあこの結論がどうなるかわかりませんけども、そういうものをぜひ出していただきたいとご要請して、私の質問を終わります』

谷垣さん。今はかなり無理をされてなのか変節されたのか、政権にひっぱられる形で強面こわもてに振る舞ってらっしゃいますが、ここでの谷垣さんの質問に含まれる自主自律や放送と公権力の関係のとらえ方は、かなりまっ当だと思います。

しかし。1998年、この「椿発言」から5年後、自民党は「報道モニター制度」を創設します。これは全国約2000名のモニターによって「不適切」な報道をチェックし、党に報告、報道機関に抗議することを目的としたものです。

ここで谷垣さんが否定的に触れていたような、放送番組の「ビデオを撮って監視し」「逐一撮って後から問題にしよう」という「恐ろしい組織」に自民党は変質したということですね。恐らくそれは「公平公正」を目的にしたからではなく、二度と政権を手放さないために。谷垣さんはこの変化をどう思っているのでしょうか。

彼らはそのような形でこの事件を教訓にし、4条の解釈を「倫理規定」から「法規範」に大きく舵を切ったわけです。

「椿発言」事件を受けたあとの、93年10月27日の衆院逓信委員会で江川郵政省放送行政局長は次のような答弁を政府と一体化して行っています。行政の不偏不党はどこへやら。

『政治的公平ということにつきましては、放送法は表現の自由を保障する一方で、御案内のように、同法第三条の二の第一項第二号におきまして、放送番組の編集に当たっては「政治的に公平であること。」というふうに求められているところでございます。

そこで、その政治的公平であることというのはどういうことかということにつきましては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組が全体としてバランスのとれたものでなければならないと考えておりまして、あわせて同項第四号の趣旨との関連におきまして、政治的に意見が対立している問題については、積極的に争点を明らかにし、できるだけ多くの観点から論じられるべきものだというふうに考えております。

それで、では政治的公正をだれが判断するのかというところでございますが、これは最終的に郵政省において、そのこと自身の政治的公正であったかないかについては判断するということでございます。

ただ、その判断材料につきましては、放送番組の編集に当たっては自主性をたっとぶという立場にございますので、まず、放送事業者において、我が番組における公正さというものを説明してもらう、それを受けて我々が判断するというふうにしているところでございます』

この答弁の大きな問題点はこの発言の中で、「不偏不党」を自らにではなく、明らかに放送局に対する義・務・として使っていることに代表されるように、非常時をいいことに、なしくずし的に放送法を放送局取締法に変質させようとしている点にあります。

ここで公権力は、放送法の成立時の趣旨や目的を怒りにまかせ大きく踏み外した。

これが歴史的事実です。

自民党は放送メディア監視の為の道具として第4条を使うことに決めた。

その出発点にあるのはしかし、彼らが頻繁に口にする「公正・公平」ではなく明らかに政権を手離したことに対する「焦り」や「責任転嫁」だと思いますけれども。だからこそあのような「お願い」が「椿発言」を例にとりながら選挙のタイミングで出てくる。

この「お願い」は当時テレ朝の4条違反疑惑により「停波」がとりざたされたことを憶えている人たちにとっては十分な威嚇になったことでしょう。

自民党はこのような形で椿事件を見事に(悪い意味でですが)教訓にして変質、変節を重ねていった。

では、もう一方の放送の側が、この事件から教訓にしたこと、すべきだったこと、一般の国民に広く知らしめるべきだった事実は何だったのか?

椿さんは放送法4条の「政治的公平」に違反しているということが厳しく批判されたわけですが、そもそも、

『放送法は放送された中身を問題にするのであって、テレビ番組以外のところで何を発言しようと、放送法で規制することはできない』(原寿雄『「不偏不党」報道はあり得ない!』(週間金曜日1993.11.12))
ことは自明であります。実は問題視されたこの会合の中で椿さんは自民党の「ニュースステーション」に対する執拗な介入、どう喝の事実を明らかにしています。ちょっと読んでみましょう。

『久米宏に対する風当たりというのはほんとにひどいんです、はっきり言いまして。もちろんそれは自民党側なんですが、それはまぁヒステリックと言うよりは、もう僕はやはり暴力的なものであったというふうに考えておるわけなんです。

例えば、昨年山下厚生大臣が、「『ニュースステーション』のスポンサーの商品はボイコットすべきである」というような発言がありまして、それ以来いろいろなレベルを通じて、例えば、社長から私の報道局長から、それから政経部長、現場の記者、そういうものに対する風当たりというのは、抗議と言いますかそういうものはもう数えることが出来ないぐらい多いわけなんです。例えば、私どもの前の社長の桑田は民放連の会長でございまして、「去年の事業税の優遇措置を継続していただきたい」という陳情を民放連会長が行く時、「報道局長もちょっとついて来い」と言われてまいりますと、その民放連会長に対する不満じゃなしに、───民放連会長としてもちろん行っているわけなんですが、───出てくる話は「ニュースステーション」に対する不満なんですよね。「よく、どの面下げてここへ来たか」とか、「お願いお願いでなんだ」とか、これは民放連の専務理事もいろいろご経験なさっていらっしゃると思うんですが。立派な自民党の先生方のおっしゃることというのはまったく腹立たしい感じがいたしました。

(中略)

そのピークがやっぱり自民党の梶山幹事長が、ご承知のように、テレビに出ようと言って「ニュースステーション」スタジオに来まして、その際、久米宏が「ずーっと釈然としなかったんですが、この際お聞きしたい」という前を振りまして、「梶山さんが通産大臣の時に、自動車メーカーのトップを集めてニュースステーションのスポンサーを降りることを求めたという報道が一部でありますが、それはほんとうのことですか」というような質問をしたわけなんです。このあとその自民党の梶山幹事長周辺、それから、自民党関係者のわれわれに対する圧力たるやそれはもう大変なものでした。

私どもの記者はまったく幹事長室への立ち入りは禁止されましたし、「選挙期間中の梶山幹事長の出演は辞退せよ」ということが上から下りてまいりますし、それから、説明に行った政経部長が一時間も放置されて会えないというようなこと、はっきり言いまして、公党の幹事長が行うような行為ではなかったというような印象を私は持ったんです。(1993年9月21日 「民放連第六回放送番組調査会議事録」より)』

ここで問題にし、なおかつ歴史的に教訓とすべきだったのは、彼が語ったような政権与党による番組の介入だったはずです。その介入の事実をそれこそ隠し録りするなり、なんなりして公にし、(もちろん本人をスタジオに呼んで充分反論する機会を与えながら)白日の元に晒すことだったのではないかと思うのです。

公権力の放送への介入、圧力はこの時始まったわけではもちろんなく1960年代のTBSを舞台にその裏で繰り広げられた圧力と、それによる田英夫キャスターのニュースコープ降板等、枚拳にいとまがないほど繰り返されてきたことであって。

もちろんそのようなことこそを戒め取り締まるのが本来の放送法なのですから正しい解釈に基づいて、拒絶するなり反論するなり、鼻で笑うなり、バカなふりをするなり、それぞれすれば良いと思います。基本は。

ただ、この時、その事実を「表」にきちんと出しておけば、そして他局もその「失敗」をあざ笑うのではなく放送界全体の共有材として教訓にしていれば、この椿発言は単なる放送側の公権力に対する「汚点」「失態」としてではない、別の「歴史」として定着出来た可能性もあった。そうすることが出来ていたら、放送と公権力の関係にとって、もう少し違った「今」があったように思います。

それが残念でなりません。

誤った歴史を重ねてしまった結果、放送がその不偏不党や政治的公平を一方の当事者である公権力に処分をちらつかせられながら管理監督されるという、およそ考えられないようなパワーバランスを、公権力も、多くの放送局も、そして視聴者も、当然のものとして受け入れるようになってしまった。そのパワーバランスが変質し放送法が放送局監視法に変質したあとから、自民党の歴史の教科書はスタートしているようです。つまり、1993年以前は前史として封印し、なかったことにした。でなければ彼らの今現在の発言をとても「一般論」「従来通り」とは言えないでしょう、恥ずかしくて。

だからこそ、BPOがその政府の放送への介入を歴史に基づいて「まっとう」に批判した意見書に対して平然と!!大臣から反論が出されるわけです。

平成27年11月6日

NHKの番組に対するBPOの意見についての総務大臣談話
総務大臣談話

1 昨年5月に放送されたNHK「クローズアップ現代」に係る、4月28日の行政指導については、昨年5月に放送されたNHK「クローズアップ現代」の内容が放送法に抵触すると認められたことから、放送法を所管する立場から必要な対応を行ったものであります。

2 また、放送法における番組準則に違反したか否かは、一義的には放送事業者が自ら判断するべきものですが、最終的な判断は、放送事業者からの事実関係を含めた報告を踏まえ、放送法を所管する総務大臣が行うものであります。つまり、放送法の番組準則は、単なる倫理規範ではなく、法規範性を有するものであります。

3 総務大臣による行政指導が拙速との指摘もなされていますが、4月9日のNHKによる調査委員会の中間報告で事実関係が概ね明らかであり、また、4月28日に最終の報告書が公表された後、その内容をしっかりと熟読し、一刻も早く具体的な再発防止体制を作っていきたいという強い思いから行政指導文章を作成したものであり、拙速との指摘は当たらないと考えています。

4 総務省としては、再発防止策をスピード感を持って取り組み、国民視聴者の信頼回復に努めていただきたいとの思いで行政指導を行ったところであり、NHKにおいては、公共放送としての社会的責任を深く認識し、放送法・番組基準などの遵守及びその徹底を行っていただきたいと考えております。

5 なお、行政指導とは、「処分」のように相手方に義務を課したり権利を制限したりするような法律上の拘束力はなく、相手方の自主的な協力を前提としているものであります。

これは恐らく総務省の事務方スタッフが書いた作文です。1993年の「椿事件」以降に表明した4条は法規範性を有する──という立場を繰り返したに過ぎません。というか…注意深くその路線を踏み外さないように言葉が選ばれてはいます。まだ節度はかろうじて残っている。

どういうことかというと「法規範」と言いきってしまうと、憲法との整合性がつかないので「性」を加え、強制力のある「行政処分」も又、法的拘束力を持ってしまうのであくまで「指導」にとどめ、相手からの自主的な是正を期待するという「自主自律」に目配せをした文言になっているからです。

高市大臣は、そのような趣旨がこの文書に込められていることをわかった上であえて誰かに気に入られたくてわざと──なのか、そもそもこの文書がどのような歴史を踏まえて書かれたものか知らず、もしくは学ぶ気がないか、どちらかしか僕は思いつかないのですが、これに続いて、公の場で発せられていく彼女の「言葉」は明らかにこの総務省と放送局の間で一応「運用上」のおとしどころとして受け継がれてきた放送法の解釈を大きく踏み外すことになります。

ここで全てを取り上げはしませんが、「政治的公平」はひとつの番組でも判断するという視聴者の会の質問状に対するリップサービス満点の答えや、行政指導しても全く改善されず繰り返したら「電波停止」をしないとはいえない、という発言を聞くと彼女は放送法だけではなく、先ほど触れた行政手続法における「行政指導」と「行政処分」の区別すらついていないようです。(これ実は僕も良くわからずに最近になって勉強したんですが)だって、この談話の5で自ら「行政指導」に強制力はないって言ってるんですから。どうしたらその先に「停波」が語れるのでしょう。このような齟齬そごをきたすのは、官僚の作文と大臣本人の発言が混在してしまっているからだと思うのですが。

行政手続法第32条2にはこうあります。

「行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取り扱いをしてはならない」
さて「電波停止」をちらつかせながら「指導」を続けるという高市大臣の態度はこの、彼女が「指導」の根拠として持ち出している、あくまで相手の自主的な是正を前提にすべき法律の解釈として、正しいのでしょうか。

高市大臣は「権限があると放送法に書いてあるから、あると発言しただけで、民主党政権の大臣も同じことを言っていた。」と、「行政の継続性」という言葉を使いながら、私だけ批判されるのは不当だ、と発言しています。

しかし、決して、その歴史を1993年以前に遡るようなことはしない。なぜなら、継続していないので都合が悪い。だから修正された後の歴史しか見ようとしないのです。

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