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日本人キリスト者の「幸福論」に何が足りないか

新しい友との出会いはいつもながら嬉しいものだ。その友から三度目に会った時に本を頂いた。三谷隆正『幸福論』である。同名のタイトルのものはヒルティやアランが書いている。それなりに読んだことがあるが、三谷隆正のそれは初めてだ。秀れた法哲学者で無教会キリスト者でもあった三谷の人生は1889年~1944年というから、明治半ばから先の大戦の敗北寸前まで生きていたことになる。終戦直後に生まれた私にとってちょうど前の時代の人で、リレーでいえばバトンを渡された世代だ。19歳で日蓮仏法の門に入った私はこれまでいろいろな本に出会ってきたが、この種のものはいささか食傷気味であった。それが読む気になったのは巻末に添えてあった座談会「三谷隆正先生の人と思想」であった

▼南原繁、丸山真男、前田陽一、武田清子ら碩学による追憶談義は、三谷という人物をくまなく描き出すとともに、明治から大正、昭和にかけての時代の教養主義を生き生きと表現している。とくに大正教養主義といわれるものが宗教的な流れと人道主義的なものとに分かれているとの指摘は興味深い。同時にまた本文中における二つの世界観を対比したくだりにも惹きつけられた。「古代から現代にいたるまでの智者とも賢者ともいわれるような人々の世界観は、大略二つに分けられる」としたうえで、三谷は「一つはギリシア的教養を以て身を鎧うたる人々にして、基督教的信仰を持たない者の世界観」で、「もう一つは活きた基督教的信仰によって支えられたる世界観」だとしているところだ。勿論、キリスト者の彼は後者のみが「強靭なる積極的人生観と不撓の希望とを持っている」と断じ、「前者は例外なしに究極は厭世主義」と切り捨てている

▼敬虔な宗教者らしい真摯な生き方が随所に顔を出して好感は持てるものの、東洋の思想への言及が際立って少ないことは気にかかる。尤も、一か所だけだが真正面から触れられている。「汎神論的主知主義が東洋古今の幸福論を顕著に性格づけている」(208頁)との前後の数行である。「果たして見ることは愛することにまさりて祝福の源であろうか」とか、「静に座して栄光の神を観てよろこぶというような味楽の境地でなくて、起って全身全霊を神の聖前に投げることでなければならぬ」との表現に、抑え気味ながらも東洋思想への批判のまなざしが見て取れよう。しかし、日本人の書いた「幸福論」に仏教や東洋思想への思い入れがなく、キリスト教や西洋哲学への憧れや関心しか見てとれないところに、私などは時代と人の限界を感じてしまうのである

▼さて、この本を私に薦めた人とは、だれか。須曽淳麿というほぼ私と同世代の人である。同志社大を出て大塚製薬に入社した後に、早稲田大でも学んで修士となり、やがて刻苦勉励を重ね、55歳にして順天堂大学医学部で博士号を取得するという向学の志きわめて熱き人である。三谷隆正とは遠縁にあたられるとのこと。ある友人を介して、つい数週間前に会ったばかり。真っ赤なマフラーを首に巻いたうえに濃紺のハットを被って。約束の場所・新橋駅前のデゴイチの脇から、初めて現れたあのときはおよそ怪人物に見えた。「努力は肥料、苦労は農薬」という言葉を好んで口にされるようなこの御仁はなかなかの懐深き人と思われる。これからの出会いが無性に楽しくまたれる。(2016・3・9)

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