リンク先を見るリビアについては27日国連安保理が制裁決議を採択しましたが、前からカッダーフィ(大佐)について、大局的なものの見方ができる人物と感じたとか、一般に稀代の悪人みたいに言われていることには必ずしも納得できないと、言うかどうにも理解できないところがあるというコメントをいただいて、私なりのお答えを探してきたつもりですが、先ほど昔のファイルから面白い写真を見つけました。
その写真は1971年日本のどこかの新聞に載っていた写真のようですが、カッダーフィその人が真ん中に映っています。
当時のカッダーフィですから、未だ若くて如何にも青年将校として颯爽としています。
その左に居るのがエジプトの2代目の大統領のサダトで、カッダーフィの右に居るのがシリアのアサド大統領(今の大統領の父親)です。
写真のキャプションによれば1971年となっていますので、彼が政権を握った2年後のことで、実は彼はサダトの前任者のナセル大統領とも2年間ほど一緒にアラブ政治の舞台で活躍した訳です。
勿論サダトもアサド(父)も死にましたが、サダトの後を継いだムバラクがその後長期政権として(確か)32年だったか政権に居座った訳です。
この写真とその背景説明が若干上のような疑問にお答えするのではないかと感じます。
要するに当時はアラブ民族主義の旗手の一人として颯爽と登場し、また歴史的にもそれなりの役割もあり、また彼自身もそれなりの理想を有していたと思います。しかし、その後、アラブ民族主義などと言う旗印そのものが歴史的役割を終了し、独裁体制を維持するイデオロギーに堕落して行ったのではないかと、と言うことです。
それはイラクのサッダム・フセインにしろ、シリアのアサド大統領にしても同じことが言えるのではないでしょうか?
石油からの莫大な収入と個人的な政治的マヌーバーの力量で、ナセル、サダト、ムバラクと言う時代を生き抜いてきたが、矢張り彼の政治は時代錯誤になり、単なる独裁抑圧政治に堕して行ったのではないか、と言うのが一つの感想です。
彼の政治が耐用期限が過ぎたと申し上げたのはそう言う意味です。
しかし、あの老醜をさらしているカッダーフィも若い頃は颯爽としていたな、と改めて思いました。
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- 2011年02月27日 14:24