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本をたくさん読むのはいいことなのか?

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僕は本については、子どもの頃からいろいろ読んでたと思う。ただし、古典などにもいろいろ穴があるし、いわゆる乱読の方だろう。

そして、ある頃まで多読がいいと思っていた。今でも自宅の仕事場にオーダーメイドの本棚がありつつ、トランクルームを借りている。ただし、ここ何年か考えが変わってきた。どうやら、本をたくさん読んだからといって、それ自体に本当に価値があるのだろうか。

きっかけは佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』という本を読んだことだった。2010年秋の本だが、修善寺へ旅しながら読んだ。

「本は少なく読め。多く読むものではない」これは、多くの文人が言ってきたという。ただし、それがスッとわかるにはタイミングがあるように思う。僕は「そうだよな」と思ったのは、ちょうど40代半ばで単なる多読への疑問があったのだろう。

まず「繰り返して読みたい本」ってそんなにはない。ところが、繰り返して読む本には、よむたびに発見がある。「一度だけ読む本」がどんどん家の中に増えて、そこからはみ出していく中で、果たして「蔵書」に何の意味があるのか。それって、背表紙をズラリと並べることへの満足だけなんじゃないか。

一方で、僕は「聖書」一冊も満足に読んでない。これから頑張れば読むことは可能かもしれないが、そもそも聖書は「一通り読む」ものではない。その言葉から、何を読み取り考えるべきか、ということは千年の単位で議論されてきた。そして、今でも聖書一冊に一生を費やす聖職者の方がいる。

そう考えていくと、人はどこかで「大切な本を繰り返し読む」ということの価値に気づくのではないだろうか。もちろん、若い時からそうしている人もいるのだろうが。大学図書館の地下書庫で「どんな人も一生かけてこれだけの本を読めるわけないだろう」と言う当然の事実に気づいた時から、それは自問されていたのかもしれない。

あと、最近になってわかってことがある。それは、多読の人が必ずしも思慮深く、人間としての深みがあるとは限らないということだ。若い時には「博識の人はすごい」と単純に思っていた。

多読を全く否定するわけではないが、読書量を誇るような人は、単にインデックス化された「歩くデータベース」のようになっていることの方が多い。一方で、牧師の方の深い話に接した時に、「一冊の本」の底知れない力を感じることもある。

とはいえ、大学生などの若い人には「本はいいよ」と言うことにしている。いろいろ読んでいる中からの発見は必ずあるわけで、それは無数の星がある空を手掛かりなしで眺めることと同じだ。

つまり「自分だけの星座」は誰にでも作れるからだ。そして、一定の経験を経た後に「やっぱり昔ながらの星座はいいんだな」と気づく。本を読むというのは、そうやって齢を重ねていく行為なのだと思う。

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