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日本の教育界から、偏差値を撲滅せよ!

以前から申し上げていることだが、いわゆる「偏差値」の支配ほど、日本の教育の学力観の貧困、学校(特に大学)の入試政策の愚鈍さを表しているものはないと思う。私は偏差値は撲滅すべきだと思っているし、また、できると思っている。

どうしたら、偏差値というおろかな指標を撲滅できるか(それを勝手に計算している予備校は、別にあってもいいけど、偏差値という馬鹿な指標をふりまわすのはやめてほしい)。一言でいえば、「偏差値で予想できない入試」をするしかない。

そもそも、予備校は勝手に高校などに各大学、学部学科の「偏差値表」なるものを送ってきて、よく職員室などに張ってあるのを見るが、あの数値が、統計的に見て、どのような意味を持つのかは、私はきいたことがない。

よく、模試で、「A判定」だとか「B判定」とかやっているが、それも確率の問題のはずだ。だとしたら、そもそも、単一の「偏差値」という数値で、ある大学の入試の難易度を表すのは無理なはずである。(なんらかのしきい値や確からしさを設定しない限り)。

私は、入試は、すべてAO入試とすべきだと思っている。判定の一つの基準として、ペーパーテストがあってもいい。また、大学側は、個々の志願者に対して、どのような基準で具体的に判断したのかを開示する必要はない、と考えている。

AO入試が主流になれば、そもそも、大学側の入学者選考の基準が、単一の数値では表せなくなるわけだから、自然に、偏差値という指標も消える。世界は、最初からそうであったように、多様で豊かな場所に戻る。

私は、過去に、予備校のあり方を強く批判した。しかし、学生時代には予備校でバイトしたこともあるし、模試の採点もしたこともある。予備校にいる生身の人間たちがにくいわけではもちろんない。問題は、「偏差値」というシステムだ。

私には、「偏差値」というシステムは、邪悪であり、百害あって一利なしという判断にゆるぎはない。一つ不思議なのは、予備校業界が、そのような指標を提供し続けている(勝手に計算し続けている)ことへの、反省が一向に見られないことだ。

よく、学力は必要だから偏差値も必要だという議論を見るが、お笑い種だと思う。そんな愚かな指標など一切ないアメリカや英国には、優秀な学生も、卓越した大学もないというのか。偏差値が必要だという人は、それだけで、人間観や学力観が浅いと思う。

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