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志望者目線と本気度から考える日弁連の「選択」

今回の司法改革がもたらした結果として、法曹界が最も深刻に受け止め、早急に取り組むべきなのは、志望者の離反、つまりこの世界が優秀な人材を確保できなくなりつつあるということだと思います。このことは、法曹界の問題というよりは、むしろそのツケがはっきりとこの社会の未来に回って来る問題とみなければなりません。このことははっきりしています。

 また、この現象が生まれている理由が、何度も書いてきたように、新法曹養成の負担と、弁護士の経済的状況があることも、ほとんど異論がないところのはずです。この二つは、もちろんつながっています。弁護士増員政策によって、弁護士という仕事の経済的魅力が減退。法科大学院というおカネのかかるプロセスと、給費制の廃止による経済的負担は、志望者にとって単にその軽重とか可能かということにとどまらず、その先に広がる職業的な未来との対比で、それに見合う価値がない、という判断が志望者によって下されていることを意味します。そして、法科大学院制度そのものは、その増員政策を支えるものとして導入されました。これらもまた、はっきりしていることといっていいと思います。

 これだけはっきりした現象を前にして、前記問題を早急に解決するために、今、どこに手を付けなければいけないのか、逆にどこに手をつけなければ、意味がないのかを導き出すことが、なぜ、そんなに難しいことなのか。司法試験合格年1000人以下、予備試験制限阻止、給費制復活の日弁連決議を求めた招集請求に端を発して、様々な提案が浮上している3月11日予定の臨時総会に向けた弁護士界内の反応をみていると、まず、素朴にそのことを感じてしまいます。

 法科大学院制度と増員基調を大枠で変えないというのであれば、それでも志望者が目指すだけの「価値」が生まれなければ、状況は変わりません。大きくくくれば、回収も含めて、その経済的に負担に見合うだけの弁護士の経済的妙味と将来性が生み出されるか、それともプロセスそのものに、今後の弁護士として仕事をしていくうえでの不可欠な価値が生み出されるか。もっとも、どんなに後者の価値があったとしても、現実問題として前者が確保されなければ、無理という見方はできます(「法科大学院本道主義強制に見合う『価値』」)。

 ただ、そのこともさることながら、これまでの議論を見てきて感じることは、それ以前に、選択の当事者は一体だれなのか、という基本的なことへの理解度です。現在の弁護士自身が、「心得違い」を改めて増員による競争・淘汰を受けとめるとか、あるいは「成仏」覚悟で臨むとか、仮にそれを正面から受けとめたからといって、それだけで前記問題が直ちに解決するわけではありません。それでよしとするか、それに妙味を感じるかどうかは、あくまで志望者という捉え方がなければ、少なくとも前記問題は変わりません。あえていうならば、この問題に関して言えば、それを一番に向けるべき相手、納得させるべき相手は、志望者でなければなりません。現実はこんな状態で、あるいは「成仏」の覚悟がいる仕事ですよ、と。それでも志望者が来るという前提である必要です。

 いや、そうではない。弁護士の「覚悟」が弁護士の仕事を再び魅力のあるものにする。法科大学院の内容も、もっと実務に活かせるものにするのだから、という声が聞こえてきそうです。そういう主張をされるのは結構ですが、実績を伴わないまま、その未来を信じてもらえる、という見方に立てなければ、前記問題での効果は残念ながらありません。あくまで志望者が「価値」を見出せるかの問題なのですから。

 司法試験の合格者数を絞ることが、志望者を遠ざける、という主張もあります。ただし、この考えは、増員で魅力が減退し、法科大学院の負担が変わらないのに、「枠」によって志望者がやってくるという前提に立てればの話です。何が一番の敬遠要因かを、志望者目線で考えているといえるのでしょうか。

 予備試験が本来の制度趣旨である「経済的な事情等」に使われるべきで、そのためには制限もという方向の見方。これは志望者にとって、再び法曹界を目指したくなる方向の議論でしょうか。予備試験にチャレンジしている志望者は、「狭き門」であったとしても、このルートに「価値」を見出している。それは前記したような合格に至る経済的負担や、法科大学院教育の内容(法曹として欠くべからざるものとしての)を総合して出した「価値」判断の結果のはずです。

 そもそもそこまで投入する「価値」を経済的に見出せないということが、果たして「経済的な事情等」に違背するものなのかも疑問がありますが(「『経済的な事情』で括る『予備試験』制限の無理」)、これを制限するというのは、より志望者の意思に反し、彼らを遠ざけるだけではないでしょうか。これも何度も書いていることですが、法科大学院が理想の法曹養成を目指すというのであれば、まずは結果を先に出さないことには、志望者減は止まりません。少なくとも、どうしてもやるというのであれば、強制化を外して、志望者が自主的にルートを選択する道にする、というのが志望者目線で考えれば実害が少ないというべきです。

 最近、「日弁連にはどちらに決定権がない」という会員の声を耳にします。ただ、日弁連が組織として意見表明する意味がないというのは間違いです。現に国会議員や経済関係者の反応には、その捉え方には「弁護士有志」か「日弁連」かでは雲泥の差があります。決定権といえば、ある意味、日弁連の活動の全否定になるといってもいいもので、やはり影響力を無視した捉え方です。

 ただ、そのこともさることながら、「決定権」を持ち出す以前に、問われるのは本気度。この状況を変えるために、本気を出しているととれるのか、という点です。「1500人」ラインが出てきたことを日弁連のロビー活動の成果とする日弁連執行部の姿勢に、坂野真一弁護士が自身のブログで弁護士減員の流れを作るための、こんな一策を提案しています。

 「例えば、政治家もマスコミも弁護士は仕事を掘り起こせというのだから、ⅰ弁護士が余ってきていることもあるので、弁護士会が公開株式を1単位ずつ保有して、不祥事報道が発覚すれば直ちに弁護士でチームを組んで株主代表訴訟を提起する、そのための組織作りを検討する、ⅱマスコミの報道を逐一チェックする組織を弁護士会内に設け、人権侵害があれば直ちに提訴する、そのための組織作りを検討する、と発表するだけでも、財界・マスコミから弁護士増員反対の論調を引き出す可能性はあるはずだ」

 こうした戦略的な方策について、確かに日弁連には検討する気配がありません。増員反対ということから逆算したとなることには抵抗があるかもしれませんが、内容には正当性があると思います。ただ、そもそもそういうことではなく、本格的にそこまでのことを繰り出す考えがない、そこまでの問題意識ではなく、むしろ別の守るべきものが念頭にある方々からすれば、そこまでの流れもまた不都合という判断が働いているようにも感じます。

 今回の臨時総会招集の件が内部で浮上した直後から、増員慎重派のなかからも招集請求そのものに対する慎重論が出ました。1500人未達成の段階の1000人決議提案そのものが、会内分裂を表面化させ、戦略的に「やぶへび」な結果を生むとの見方でした。複数の対立案浮上、さらにこれで招集請求者案が否決されるとなれば、まさに彼らの懸念通りの状況といえなくもありません。

 ただ、問題の本質は変わりません。何が志望者の回復策に近いのか、どれがこのままを許すことにつながるのか――本気度も含めて、本当の志望者目線を意識した決断を日弁連会員には期待しなければなりません。

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