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「ミャンマーの現状と将来」-講演-

B&G財団(ブルーシー・アンド・グリーンランド財団)は、亡父笹川良一が、今から43年余前(1973年)に設立した財団です。

当時、子供の教育は知育偏重で、ともすれば体育、徳育教育は無視されがちでした。亡父はこのことを危惧しており、「教育の弊害は今後100年は祟る(たたる、害をなすこと)」との思いでドイツに視察に行きました。

ドイツ・オリンピック委員会のアーベル・ベック専務理事の「ドイツでは各地方に小型の体育施設を作り、講習を受けた指導者のもと、子供の健全な成長のためにコミュニティーレベルの指導を行っている」との発言に触発され、1400億円の巨費を投じ、日本全国の各地の、ともすれば財政事情の悪い市・町・村に480箇所の海洋センター(体育館、プールを含む)を建設。また、子供たちに海や河川でのスポーツ教育を行ってきました。

施設のある市長、町長をはじめ、教育長の皆さんには、この財団の運営にはことのほか情熱的にご協力いただいています。
年一回の総会には800人を超える市長、副市長、教育長などが参加されました。

以下はそのときの私の講演です。

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「第8回B&G全国サミット」
2016年1月26日
於:笹川記念会館・国際会議場

大勢の皆さまにお集まりをいただき、ありがとうございます。私は、この未来を背負う青少年のためのB&Gの施設を通じて皆さま方とつながりを持たせていただいているということを大変嬉しく思っています。かつて、この施設をどこにつくるかということで、毎日6時間も7時間も議論をしたことを思い出します。

昨年はハンセン病の話をさせていただきましたが、今日は先ほどまで、別の会議場で安倍総理大臣をお迎えして、世界各国から集まっていただいた方たちと共に、世界のハンセン病なくす世界宣言書を採択してまいりました。

昨今、ミャンマーについては、日本でも報道はもとより国民レベルにおいても関心が高まっておりますので、若干の歴史的背景も振り返り、今のミャンマーがどういう状況か、またこれからどういうふうに変化していくのだろうかということにつきまして、多少でも皆さまのお役に立てればと思っております。

少数民族の武装勢力地域には、約70年間、政府側の人は入ったことがございません。というより入れなかったのです。従って、あの地域を少数民族の武装ゲリラにと共に歩いたという人は、私を含め、そうはいないのではないかと思います。

私は紛争の調停のために武装勢力地域、ミャンマーならびにタイの国境地域に3年間で51回、その多くは0泊3日での訪問でした。東京の自宅を夜の10時半に出て0時20分の飛行機に乗りますと、バンコクに朝の6時に着きます。そこで3時間待って飛行機を乗り換えてタイの奥地に入り武装勢力と会談。夕方の飛行機に乗ってバンコク経由で朝6時すぎに羽田に着き、そのまま事務所に行くというようなことを3週続けたこともございます。好きでやっていることですから自慢するようなことではございませんが、相当ハードなことには違いありません。

ミャンマー国軍との戦闘が続く少数民族の武装勢力は主に15の勢力がおり、それぞれ歴史的背景、文化的背景、あるいは言語も違います。通常国際的な紛争というと政府側と反政府側のように二つのグループの対立です。最近中東などではISグループ等やアルカイダというようなものも出てきて、複雑で非対称の戦闘になってきており、通常は敵がちゃんと見えるのですが、見えない戦争になってきています。

ミャンマーは非対称ではありますが、一応相手側の兵隊は見えるわけです。住んでいるところはタイのミャンマー国境近く、ラオスや中国、インドとも国境を接したところです。少数民族は山に囲まれた所に、平地にはビルマ族が住んでいます。少数民族の多くがどこから来たのかと申しますと、ほとんどは中国四川省、あるいは雲南省から流れ込んできた人たちが住み着いて長く生活をしてきたのです。

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実は、70年前に日本が戦争をした時、このミャンマーにも入りました。ここで日本は頑張ってミャンマーを解放したといわれております。その後、日本が撤退すると同時にイギリス軍入ってきてこの山岳地帯の少数民族を活用し、イギリスの植民地政策として分離政策をやったのです。そして少数民族の人たちに、戦争でビルマに勝てばお前たちを独立させてやるというような約束をしながら、イギリスは撤退してしまったわけです。その時ビルマで活躍していたのが、日本の南機関といわれた鈴木大佐たちです。亡くなってから少将になりましたが、彼がこのミャンマーを独立させようということで、30人のミャンマーの有志を選んで教育を施したんですね。そのリーダーがアウンサン将軍。今のスーチーさんのお父さんです。

アウンサン将軍は大変若いときからリーダーシップがあった人で、当時、日本で弱冠28歳で天皇から勲章を受けたという立派な指導者でした。話をはしょりますと、日本軍がイギリスに負けまして、先ほどの南機関の鈴木大佐を戦争犯罪人として首都のヤンゴンに連行するわけですが、そのときにアウンサン将軍が「これは間違っている。彼は無罪である」ということを主張してくださり、鈴木大佐は無事日本に帰国をしたという経過がございます。アウンサン将軍も日本の精神を持って、義理と人情をしっかりわきまえていたという立派な人です。外務大臣も務めたのですが、弱冠32歳で暗殺されました。史実は色々ございますが、私はイギリスの帝国主義の陰謀で、6人の閣僚と共に暗殺された。そしてこれはイギリスが仕掛けたことではないかと思っています。

この地域の人たちは、イギリスが支援してビルマ族と戦えば独立できると思っていた。ところがイギリスは撤退してしまった。第2次世界大戦までは、ここミャンマー全域はインドの属州としてイギリスの植民地だったのです。

ミャンマー国軍では、日本の銃剣道などが今なお行われています。ミャンマー国軍の軍歌うちの53曲は、実は、日本の歌をミャンマー語に直して歌っているというぐらいの親日国ですし、日本語教育も大変活発です。従ってアウンサンスーチー女史は「パパがつくった軍隊だ」と、一時期はこういう呼び方をしていたときもあるわけです。ただ、アウンサンスーチー女史は8歳のときに既に母親がインド大使でしたから、インドで学び、その後日本に参りまして京都大学で1年間勉強し、その後、イギリスのオックスフォードに行って哲学を勉強したという、大変高い学問を修めた女性で、先般の選挙で大勝をしたわけです。その彼女にとっては、これからどのような制度でミャンマーを導いていくかということが最大の問題です。

実は、私は1999年からにミャンマーの軍事政権のボスでありましたタン・シュエという元首に何度もお会いしています。当時、アメリカ大使館はミャンマーに行くことすら反対して「笹川さん、行かないでくれ。日本も含め、西側は非民主的な軍事政権に対する制裁を課しているのだから」と強く言われましたが、私自身は民間人ですから、誰が何と言おうとも、自分がやらなければならない仕事はやるということでミャンマーに人道支援をしてきましたが、冒頭お話ししたように、ハンセン病の制圧ということが第一目標だったからでした。

私は中国に対しては毛沢東時代から付き合いがありますし、ゴルバチョフの時代のロシアとも付き合いがあります。それは私の父の教えで、政治体制が違おうとも、そこの国民が困っているなら助けるべきだ。政府に支援するようなことはいけないが、困っている国民がいたら助けるのが当たり前じゃないか。こういうことで、私は特にこの少数民族、武装勢力の地域を中心に、当時からハンセン病は相当猖獗を極めていましたので、支援し、WHOの基準の『制圧』に成功しました。

本日は教育長の皆さんの出席も多いので、ミャンマーの学校についてご説明します。私は今まで、この少数民族の地域に370の小学校をつくってきました。通常国際社会、あるいは政府が学校をつくるということになると、地図を広げてこの地域が足らないからここに一つつくろうといくことで、お金を掛けてパッとつくると「学校できたよ。子どもたちよかったね」で、はい、さようならというようなことになるわけです。しかし、日本財団のつくる小学校はそのようなつくり方はいたしません。村人を集め、ここに本当に学校が必要かどうか、その熱意のほどを量ります。そして、勉強したい子供が何百人もいる。ぜひ小学校つくってほしいということになりましたら責任者を決めていただき、私たちは協力するのであって、あなた方の小学校なのですからあなた方村人は何ができますかと問います。するとまずこの学校建設のための責任者を決め、材木を切り出してくる係、あるいは小学校の土台をつくる係と、色々な人がお手伝いをしてくれるようになります。そのため、彼らは自分たちが汗水垂らしてつくった学校ですから「私たちの学校」だと。与えられた学校じゃないんですね。

多分、西側の国々が支援をすると、すぐに民主主義はこうあるべきだ、民主主義には基本的人権がある、自由が必要、平等が必要なんだと。このような『民主主義』を字も書けない人がたくさんいる中で上から目線で説いても理解できませんよね。私たちのやり方は、彼らに「民主主義とは何ぞや」ということを一度も語ったことはありません。しかし、小学校をつくる過程で、今申し上げたように、何回も会議を開き、責任者を決め、分担を決め、学校をつくる。その話し合いというのは民主主義そのものじゃないでしょうか。難しい言葉で観念的に説明するのではなく、実際の行動の中で知っていただくということが大変重要なことなのです。

残念ながらミャンマーの小学校には運動場がありません。ですから運動をしないんですね。それと、女性がある年齢になると学校に来なくなってしまう。それは、学校にトイレをつくるという習慣がなかったからです。我々はトイレをつくり、鍵も掛かるようにし、図書室もつくりました。そして、学校建設のために村人が提供してくれた労働時間を人件費に換算すると約70万円ほどになりますので、その70万円を村人に提供し、資金をどのように使うかも村人に決めていただきます。

例えば、大きな湖の中に浮いている浮島の小学校があるのですが、船を1艘購入し、観光船をつくって運行。その収益で学校の改装、図書室の充実などにあてたり、学校の先生の給料・・・先生の給料は大体1000円ぐらいですから、食べ物は村人から頂けますが、1000円では生活できないのですね。そこで70万円の資金を運用して先生に補助金を提供しているところもあります。エアワディ地区というところでは水面下で生活しているようなところですので、ちょっと台風がきたり大雨が降るとほとんど水没してしまうため船じゃないと移動できないような所なのですが、村人は学校ができたんだから橋を架けようっていうようなことで、村人総出で橋をつくったりと、本当に村人は学校建設に協力的です。

この間、私は大統領にぜひ表彰してほしいとお願いしたことがございます。このような過程でできた370の学校の先生方が、自分たちの子どもたちのために、安月給の中から1人1カ月50円ずつ集めて、子どもたちが上級学校に行くための奨学資金をつくったんです。私は世界中の学校を見てきておりますが、先生が自分の安い給料をためて、自分たちが選抜して、将来のミャンマーを背負う可能性がある子どもたちに奨学金を出すというのは世界でも稀なすばらしい制度です。これをテイン・セイン大統領に報告し、先生方に誇りを持って子どもたちを育てていただくためにもぜひ表彰してほしいとお願いしました。

ミャンマーは小乗仏教の国で、日本とちょっと違うのですね。小乗仏教というのはお坊さんの国で、約50万人お坊さんがいるのですが、この間の選挙に私は日本政府の選挙監視団団長として行ったのですが、お坊さんの投票風景がないので聞いてみましたところ、お坊さんはもう既に世俗を離れているから選挙権がないんですって。初めて知りました。

インド北東部の都市インパールで行われた有名なインパールの死の作戦のことはご存知の方も多いと思います。牟田口廉也中将が指揮して、この山岳地帯を上ってインパールに行くんですね。しかし、ここに行くための山脈の中で、何万という兵士が食糧不足と病気で死んだんです。死の街道だったんですね。食べ物がないので敵軍の英国兵から食糧を奪ってきて生きろというんですから、こんなむちゃくちゃな話ありませんね。

今ここに多くの遺骨が出てきております。私は日本政府代表をしておりますので、大統領に「できたら長い間この地でお世話になってきた日本の英霊を返還してほしい」とお願いしました。しかし「笹川さんの話なら何でも言うことを聞きますが、それだけは出来ないのです」とおっしゃるんですね。小乗仏教では死んだ人の遺骨というのは不浄なものなのだそうです。それをミャンマーの大統領が触ったなんていうだけでも大変な問題だと。

仕方がないので国軍司令官の所にお願いに行きました。国軍司令官に「あなたも軍人で、日本のことをよく知っている。先日日本に来ていただいたときは鈴木大佐の墓参りまでして下さいました。あなたから遺骨を返してほしい」と頼みましたが、「特殊な例だから大統領と相談しなければいけない」と、間接的にお断りされました。多分、向こうの担当は文化省ですから、文化省から私が返還を受けることになると思うのですが・・・。

日本では、今でも東日本大震災で死亡した遺体の捜査が続いていますが、ミャンマーでは焼いてしまったらあと灰にして全部捨ててしまうんですね。遺骨は不浄なものとされ、お墓もありません。同じ仏教でも小乗仏教と大乗仏教ではこれほどの差があるわけです。

4~5年前の国際社会は、国連に行きましても、WHOに行きましても、国連人権理事会に行きましても、人権問題に対するミャンマーと北朝鮮への決議案の話ばかりでしたが、テイン・セイン大統領は、軍の出身ではありますが大変身ぎれいな清潔な方で、この4年10カ月ほどの間にほぼ民主化の基盤をつくられた。その代表的な一つは、報道関係の完全自由化を成し遂げたことです。報道関係が完全に自由化されていている国は、アジアでは二つしかありません。何処とどこでしょうか? 日本とミャンマーだけです。それ以外の国は報道規制、あるいは自主規制を行っていると噂されています。他に1000人近い政治犯といわれた人たちを釈放いたしました。

これに日本政府も対応して3000億円という日本のODA、いわゆる海外援助の返済されてないお金をゼロにいたしました。そして、パリでの債権国会議で、日本がリードして諸外国も債権を放棄していただき、世界銀行からも新しい融資が受けられる道筋をつけたのです。

ヤンゴンに近い所にティワラという所があります。ここは約2400ヘクタールという東京の山手線の内側の約半分ほどの広大な土地です。そこに中国、韓国、日本と、3カ国で工業団地を開いてほしいとの要望でしたが、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長(元代議士)や麻生外務大臣が大いに頑張りまして、日本が単独で行うことになりました。ぺんぺん草が生えておりましたが、たった3年間で第1次の工事は終わり、約3万人の直接雇用、そして孫請け会社まで入れますと約30万人の雇用を確保できそうだとのことです。

日本が戦後一番最初めにしたODAという海外支援が、鹿島建設が手がけたミャンマーのバルーチャンという発電所でした。あんな所によくダムをつくったなというような山奥です。私は武装勢力のゲリラに守られてそこまで行ったのですが、現地の人からは「よくぞ日本人が戻ってきてくれました。私たちは50年間、皆さんが来てくれるのを待ちに待って、一生懸命ない部品を作り、困難な中でも何とか発電を続けてきました」と、大いに歓迎してくれました。ピカピカに磨かれた発電所からは、今でもヤンゴンの電気の70パーセントがこの発電所から運ばれていているとのことでした。

話はそれますが、北朝鮮でも水豊、「水が豊か」と書くダムはいまだに動いて、北朝鮮の電気はここから運ばれているのです。これも全部日本がつくったものです。

ということで、ミャンマーの民主化は急速な勢いで進化しています。ASEAN10カ国会議の議長国もきちっと務め、西側社会からミャンマーが民主化に確実に進んだという評価を受けたのは、実はテイン・セイン大統領の手腕であったと、私は思っております。

メディアの方というのは疑い深い方々も多く、昨年、選挙が行われる前には、多分、不正選挙が行われるだろう。軍部がインチキをするのではないか。そのような疑いがあり私も日本の選挙監視団長として入ったわけですが、大変見事な選挙でした。詳しくは説明しませんが、私は開票の状況をずっと立ち会って見ていましたが、200票の投票を開くのに1時間ほどかかりました。投票箱の前にわれわれ監視団が並び、立候補した政党の責任者、その地区の責任者も立ち会っての開票でした。中には棄権票のような正しく投票してない票があると各政党の代表者を呼んで、これはこういうことで棄権票になります。皆さんいいですか? OKです、というように、1票ずつ丁寧に手続きを踏む非常に透明性の高い開票作業でした。国際メディアの中には、アウンサンスーチー女史の党が大勝したので軍に不穏な動きが出るのではと疑問視したところもありました。

スーチー女史は、憲法上、大統領にはなれません。なぜならば、憲法の中に、外国人の国籍を持つ者がいたら大統領にはないという規定があります。彼女は英国に2人の息子がいます。しかし、英国にいる2人の息子を、お母さんがミャンマーのために命を懸けるんだからあなた方2人はミャンマーの国籍になりなさい。住むのはイギリスのままで結構ですと言えば大統領になれるんです。ですから大統領になれないっていうのは間違った報道なんですね。なれるけども彼女はその方法は取らなかった。あるいはもっと他にウルトラCがあるかも知れませんが、今のところ分からないという状況です。

私は何回かお会いしていますが、スーチー女史は頑固一徹の人ですね。自分の言ったことは絶対に曲げない。そういう強烈な個性の持ち主ですが、選挙に大勝した後、非常に迅速な動きをして、まず国軍司令官と大統領に会った。そして、何よりも自分を十数年の長きにわたって刑務所に入れ、あるいは自宅軟禁したタン・シュエ元国家元首と会談をしました。その詳しい内容は分かっていませんが、一言だけ「私は過去のことは問いません」ということをおっしゃいました。

今のミャンマーの国軍はこのタン・シュエが育ててきた軍です。本来ならば、選挙に勝ったのですからタン・シュエを人権侵害その他で裁判所に引っ張りだすことも可能であるにもかかわらず「私は過去を問わない」との言葉は、千金の重みのある言葉だと思います。また「選挙に大勝したときには、敗者に対する心遣いをしなければいけない」とも言っています。彼女は通常、スピーチをするときに原稿を持ちません。オックスフォード大学で哲学を勉強しておりますので、非常に論理的で素晴らしい演説をする人です。敗者に対する心遣い、あるいは自分を罪に陥れた相手の最高責任者に対して過去を問いませんというセリフがどういう重みを持ってくるのか、これから皆さん方が、もうじき大統領の指名のための選挙が国会で始まりますので、興味を持って見ていただけるのではないかと思います。

そういう中で、日本財団はこのモーターボートのお金を使い、少数民族の武装勢力の所に物資を届けているわけです。米や油、砂糖、豆などです。私が6歳頃のとき、第2次世界大戦で日本は負けました。昭和20年の3月9日、10日の東京大空襲では東京だけで10万8000人が死にました。その後私は1カ月間、米を見たことがない生活をしました。電車の線路の下に生えているハコベというニワトリに食べさせる草を食べたこともありますし、米かすのぬかを焼いたパンを食べて生き延びたということもあります。そういう中で、ミャンマーは米が二毛作、三毛作できる所ですから、ミャンマーからの米が日本に入ってきて大変おいしくいただいた記憶が、私の幼児体験の中にもございます。

そういうことで、ミャンマー政府も入れない、海外からの援助も入れない。今も戦っている少数民族の地域に食糧を含め、人道支援活動を活発に行っているのは日本財団だけです。これは、ミャンマー政府の了解を得て、武装勢力とも話し合って運び込んでいるわけです。テイン・セイン大統領も、アウンサンスーチー女史も、全ての武装勢力と一遍に和解し、少数民族の地域は連邦制にして統一ミャンマーをつくりたいという悲願があったわけですが、半分の8つのグループとの停戦和解には成功しましたが、中国と国境を接するグループなど、あと7つのグループが残っています。

スーチー女史はこの政権を取った後、最も重要な政策は、もちろん経済が活性化して国民生活が豊かになることですが、自分の父親が目指した統一されたミャンマーのために少数民族武装勢力との和解を最も重視しなければいけないという姿勢に変化しています。

先ほど述べたように、昨年10月には8グループの少数民族武装勢力との停戦が実現しました。その停戦協議の署名式は、アメリカもイギリスもスイスもノルウェーも、どこも署名をさせてもらえませんでした。タイと中国とインドの3カ国は国境を接していますから当然ですが、それ以外で証人署名したのは日本国だけで、私は心を込めて署名しました。

また、スーチー政権は政権移行期でもあり、現在のところ海外への視察は一切禁止しておりまして、アメリカもイギリスも、いろいろな国が経済使節団を迎え入れ、アウンサンスーチー政権とのコネクションをつくりたいと模索する中、唯一今、日本財団の招待で経済使節団が日本に入ってきていて、各地を回って勉強しています。

このように、ミャンマーと日本との関係というのは大変緊密なものがあるわけです。日本の外交がこのような形で、一国の再建のために、民主化のために、世界的なレベルでの存在感を勝ち得たということはかつてないことです。これは安倍総理のいう『積極的平和外交』いう理念が、一つここに形になりつつあるということです。

このように、紛争国や貧困国の問題の解決には、政府や外務省が全て行うものではなく、私たちのような民間人が活動する場がたくさんあります。そういう力を総合的に政府が判断し、意思決定をして手分けしてやっていくということが、日本がこれから世界のために、いい意味での存在感のある『積極的平和外交』が展開できる一つのモデルケースが、このミャンマーで完成できるのではないかと思っております。

私自身もう77歳にもなりましたから、残された人生を世界のハンセン病をなくす、差別をなくす仕事と同時に、ミャンマーの全面停戦和解、そして政治協議、統一ミャンマー連邦をつくるために、汗を流したいと思っております。

ちょうど時間になりました。今日は硬い話であまり面白くはなかったと思うのですが、新聞の紙面は表面的な記事ばかりでございますので、ミャンマーについて、あえて難しい硬いテーマでお話させていただきました。

長時間お聞きいただきまして、ありがとうございました。

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