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  • 細谷雄一
  • 2016年02月14日 14:35

なぜ日本では外交と軍事の関係が深く理解されないのか

ニューズウィークウェブ版に新しいコラムを掲載しました。下記のリンクでご覧頂けます。

http://www.newsweekjapan.jp/hosoya/2016/02/post-3.php

外交的手段、軍事的手段を組み合わせたときに最も効果的に交渉が成立するという主張は、私が十年前に『外交による平和』を書いたとき以来の主張です。これまで何度も、色々な場所で同じような内容を主張してきたのですが、それが全く浸透していかないことへの徒労感を感じています。

大学院の頃からずっと、平和の条件や、軍事介入の正統性など、どのように考えればよいのか考え続け、悩み続けてきたのですが、イラク戦争の際にはよりいっそうその疑問が深まりました。私自身は、イラク戦争には強い嫌悪感と、批判的な姿勢を持っていたのですが、尊敬する先生方がおおよそイラク戦争支持でしたし、そのロジックもある程度共感できるものでした。ですので、果たして何が正しいのか分からずに自分なりの答えを探した結果として、2005年に二冊目の専門書となる『外交による平和 -アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣)を刊行しました。

それによって、私自身の国際政治を考える際の根幹となる哲学のようなものが確立したと思っています。それは今でも全く変わっていません。上記の『外交による平和』では次のように書いております。
「軍事力と外交とは、二律背反ではない。十分な軍事力に支えられてはじめて外交は効果を発揮し、また外交をどのように進めるかによって軍事戦略も大きく左右される。軍事力を背後に持たない外交は、容易に脆弱な平和主義や「宥和政策」と化してしまい、弱さから妥協を繰り返すことにもなりかねない。他方で、十分な外交的考慮抜きにした軍事力行使は、不必要な人命の剥奪や人道的災厄をもたらすことになりかねない。戦後日本では、軍事力と外交を二律背反的にとらえることが多かった。すなわち、軍事力を廃棄して外交に力を入れるべきだという言説や、平和主義的な価値規範から一切の軍事力行使を否定する言説に、それは象徴されている。反対に戦前の日本では、軍事力の意味を過剰に高く見るあまり、外交の持つ潜在的な効用を十分に評価せずに、外交を軟弱な証拠だとみなすことが多々あった。言うならば、戦前でも戦後でも、日本では軍事力と外交を組み合わせて考えるという発想が弱かったといえる。」(細谷『外交による平和』6頁)
これは私が十年前に書いた文章です。私がなぜイラク戦争に批判的であったのか、そして私がなぜ安保法制に賛成なのか、ご理解頂けると思います。このような私の意図を無視して、全くの曲解から、「政府にすり寄って、イラク戦争を支持した反省もしないで、また安保法制を支持しているのはけししからん!」、というような不愉快な批判を多く浴びました。私はむしろ、政府の方こそが、ようやく私が十年前に述べたい意見に近づいてきてくれた、と思っています。

すなわち、私がイラク戦争を批判した理由は、十年前に上記のように述べたとおり、それが「十分な外交的考慮を抜きにした軍事力行使」であって、それによって「不必要な人命の剥奪や人道的災厄をもたらすことになりかねない」からです。たほうで、私が安保法制を支持する理由は「十分な軍事力に支えられてはじめて外交は効果を発揮」すると考え、「軍事力を背後に持たない外交は、容易に脆弱な平和主義や「宥和政策」」となってしまうからです。

また、上記の文書を書いて10年が経過しても、依然として「日本では、軍事力と外交を二律背反的にとらえること」が変わっていません。これは嘆くべきことだと思います。いつまで経っても、それでは外交の質は向上しないと思っています。カーター政権やクリントン政権が中東和平に貢献できたのは、それはアメリカが世界最大の軍事大国で、中東で圧倒的な影響力を保持していたからであって、同じことをイギリスや日本、韓国が行おうとしても、それが成功したとは思えません。大きな軍事力を背後に持ち、自らの影響力を用いて交渉によって平和を実現することが重要であるということを、われわれはもっと外交史から学ぶべきだと思っています。それは、たとえば、1878年のベルリン会議でのビスマルクの役割にも典型的に見ることができます。大国でなければ平和が創れないということではありません。小国でもそれは可能ですが、歴史を観れば、大国が真摯に平和を創るための環境を用意することで、また公平な立場からそれ尽力することで、多くの平和が創られてきたことを論じたかったのです。

他方で、イラク戦争に私が批判的であったことは、『倫理的な戦争 -トニー・ブレアの栄光と挫折』という著書の中で述べたことです。この本のサブタイトルが、「挫折」となっていることが、まさに上記で書いたような「十分な外交的考慮を抜きにした軍事力行使」を意味しているのです。

安保法制の議論の際にも、同じような意味で私の立場は、右派的な方からも左派的な方からも批判されております。また、十年前に、外交と軍事力を組み合わせることで、「外交による平和」を実現する重要性を書いた、『外交による平和』があまり売れていないということで、ちょうど刊行から十周年となり、安保法制をめぐる議論に私が戸惑いや不満を感じていた2015年の昨年に、有斐閣から「絶版となった」というお知らせを頂きました。とても悲しいお知らせでした。

しばしば、この本を私は自分で、「主著です」と述べてきて、さらには大学でのゼミでも毎年使ってきたのに、今年から使えなくなるのがとてもつらいところです。また、それ以上につらいのが、十年前に、「戦前でも戦後でも、日本では軍事力と外交を組み合わせて考えるという発想が弱かったといえる」と書いて、「戦後日本では、軍事力と外交を二律背反的にとらえることが多かった。すなわち、軍事力を廃棄して外交に力を入れるべきだという言説や、平和主義的な価値規範から一切の軍事力行使を否定する言説に、それは象徴されている」と主張してきたのですが、十年間それを続けていながらも、安保法制の過程でそのような私の主張が全く浸透していない、理解されていないということを実感したことです。挫折感と、絶版のお知らせの悲しみと、日本でそのようなロジックを理解して頂く難しさを感じた一年でした。

今まで以上に、そのような国際政治のロジックを理解して欲しいという思いは強いので、どうにか絶版となった『外交による平和』の何らかの形での復刊を目指しておりますが、そのような私の思考を、上にリンクをつけたニューズウィークのコラムでおよみいただければ有り難く感じております。

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