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スー・チー氏はミャンマー国民を満足させられるか? - 大前研一の日本のカラクリ

小川 剛=構成

民主主義のアイドルだが、能力は未知数

2015年11月に行われたミャンマーの総選挙はアウン・サン・スー・チー氏率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝した。議会の単独過半数(上院、下院の約60%)を握ったNLDは大敗したテイン・セイン大統領の与党、USDP(連邦連帯発展党)に代わって大統領の指名権を獲得、現大統領が任期満了を迎える3月の政権交代が確実になった。元軍人のテイン・セイン大統領も「平和的に政権を移譲する」と声明を出しているから、NLDが大勝しながら軍政がこれを無視して民主化勢力への弾圧を強め、前年にスー・チー氏を自宅軟禁した1990年の総選挙の二の舞いにはならないだろう。

48年にイギリスから独立、60年代から半世紀以上続いてきた国軍の政治支配は終焉し、民主派政権による第2幕が始まる。ただし、ミャンマー民主化の象徴だったスー・チー氏が、引き続き政治的な求心力を保持して近代化、自由化、市場経済化を推し進められるのかといえば、そう簡単ではない。独立運動を主導した建国の父、アウン・サン将軍の娘でオックスフォード大卒のインテリ。自身も非暴力民主化運動のリーダーとして軍事政権と対峙し、15年に及ぶ軟禁生活にノーベル平和賞受賞と波乱万丈の半生を送ってきた。国内では圧倒的な人気を誇り、民主主義のアイドル、もしくはジャンヌ・ダルクと持ち上げられて欧米先進国の受けもいい。だが、政治手腕はまったくの未知数だし、経済政策の経験もない。大衆運動のリーダーとして25年前から言い続けているのは、「民主主義でやっていこう」ということだけで、「ミャンマーをこうしていく」という国家ビジョンや経済政策は選挙期間中何も言及していない。

独裁政権、あるいは社会主義体制の計画経済から自由主義的な市場経済への移行は非常に難しい。ソ連解体後のロシアではハーバード大学(当時)のジェフリー・サックス教授の指導の下に急速な民営化が進んだが「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥が誕生して、ロシア経済は彼らが富を独占するマフィア資本主義に歪んだ。アラブの春で独裁政権が取り除かれた中東諸国では市場が大混乱し、新しい秩序が生まれるに至っていない。

ミャンマーではテイン・セイン大統領が民政移管を進めるとともに経済改革に取り組み、諸外国を飛び回って市場開放を印象付けてミャンマーへの投資を促してきた。その意味では軍政の名残とはいえ、テイン・セイン政権の功績は大きい。新政権が開放路線を踏襲するかどうか、政治主導の市場経済化ができるかどうかも大きな問題だ。スー・チー氏当人に資質やキャリアがなくてもキャビネットを組む政治家がこれをカバーできればいい。だが、そちらはさらに心許ない。NLDが総選挙でマジョリティを得たのはスー・チー氏の国民人気によるもので、当選した議員は海のものとも山のものとも知れず組閣できるだけの人材がいまだ見つかっていない。選良か否か、議員や閣僚としてふさわしいかどうか、まったく吟味されていないのだ。いま大統領候補に挙がっているのは何と88歳のティン・ウー最高顧問で元軍人だ。

今後、スー・チーチルドレンが問題を引き起こすことは容易に予測できるし、国民が幻滅すればすぐにスー・チー離れにつながる。そのときに良家のお嬢さん育ちで政治的な基礎体力がない、しかも齢70を越えたスー・チー氏がどこまでリーダーシップを発揮できるだろうか。

大統領より上の存在とは、どういう意味か

そもそもスー・チー氏はミャンマーの大統領になる資格がないという問題もある。彼女はオックスフォードの後輩であるイギリス人男性と結婚して2人の息子をもうけているが、ミャンマーの憲法規定で外国籍の配偶者や子供がいる場合、大統領になれない。この規定に抵触するのだ。夫とはすでに死別しているが、子供はイギリス国籍。大統領規定を含めて、国軍に強い権限を与えている現行憲法を改正するためには、国会議席数の4分の3の賛成が必要。しかしミャンマー国会を構成する上院下院には25%の軍人議席枠が存在するため、NLDは残りの全議席を獲得しなければ憲法改正に持ち込めない。単独過半数でもまだ足りないのである。それがわかっているから、選挙前からスー・チー氏は「私は大統領より上の存在になる」と公言してきた。「NLDが勝っても私は大統領にはなれません」と正直に言ったら、有権者の投票意欲にかかわる。従ってそういう物言いをせざるをえなかったと思われる。だが、「大統領より上の存在」とは何なのか、彼女は定義していない。よもや国王になるつもりではあるまいが、民主化のリーダーが民主的な手続きを経ずに、「大統領より上」の立場に就くというのもおかしな話だ。

現行憲法の下で何としても大統領になって国民を導きたいと思うのなら、子供の国籍を移すことだってできるはずだ。しかし、それをしないのは、子供たちはイギリス国籍のままにしておきたいと考える理由があるからだろう。ミャンマーの将来に対して明確な自信がないことの裏返し、と勘繰られても仕方がない。

政治の表舞台から退場したとはいえ、ミャンマー国軍は隠然たる力を持っている。憲法が規定する国家安全保障委員会はメンバー11人のうち6人が軍部から選出される。この委員会が非常事態を宣言すると、戒厳令を発令したり、議会を解散したりできる。つまり、時の政府をひっくり返す権限を持っているのだ。委員会メンバーの過半数が軍人ということは、クーデターの権利を軍が握っていることになる。「大統領より上」のスー・チー氏が独裁に走ったり、国軍を締め付けたりするような政策を採った場合、非常事態宣言が発令されて再び軍政に戻る可能性もあるわけだ。

少数民族問題、汚職・腐敗が待ち受けている

軍政が終わっても民主化、近代化がすんなり進まないミャンマーの国情もある。1つは少数民族との内戦だ。人口約5000万人の3分の2はビルマ族だが、残る3分の1は少数民族で、文化の異なる民族が130以上存在する。イギリスから独立した直後からビルマ族中心の国づくりに少数民族が反発、さまざまな民族が分離・独立を求めて武力闘争を繰り広げてきた。麻薬で稼いで戦力を整えている民族もあれば、中国の影響を強く受けている民族もある。イスラム系の民族やキリスト教系の民族もある。利権争いや宗教対立などの要素も複雑に絡み合った少数民族問題だが、15年3月にはテイン・セイン政権が16の少数民族武装勢力のうち残る2勢力と停戦合意したと発表した。今後、少数民族との和平交渉はNLDによる新政権が引き継ぐだろう。当然、国軍の後ろ盾は必要なわけで、新政権と国軍の関係性が注目される。

さらには北西沿岸部に住んでいるラカイン族のように、パスポートや投票権などの国民的な権利をもらえずに迫害されている少数民族もある。ラカイン族はバングラデシュやインド北東部から流れてきた移民で、ミャンマー政府は彼らを自国民として認めていない。「すべての民族でビルマを構成する」と語るスー・チー氏でさえ、以前「(ラカイン族は)ビルマ人じゃないから知らない」とインタビューで答えていた。少数民族問題や民族間格差の問題は非常に根深く、ミャンマーの政情を不安定なものにしている。

ミャンマー社会にはびこる汚職・腐敗も民主化や近代化の足枷だ。かつては汚職腐敗国家ランキングで北朝鮮の次点がミャンマーだった。最近は多少順位が下がったが、軍人と許認可権を握っている役人の腐敗ぶりは相変わらず。人件費が上がってしまった中国に代わる投資先として期待されたが、許認可のかったるさと理不尽な汚職腐敗ぶりに海外の事業家もすっかり懲りて、近頃は熱が冷めてしまった。人件費にしても1年前は月額30~40ドル程度と言われたが、テイン・セイン政権の経済改革で給料も物価もどんどん上がっている。収賄で儲けた連中は高値でも平気で買うから彼らがインフレを加速しているとさえ言われている。庶民には不満が蓄積しているはずだ。今後、スー・チー氏の取り巻きがミャンマーの利権を狙う外国勢に取り込まれて、民主派の新政権が汚れていくのは目に見えている。アウン・サン・スー・チーというジャンヌ・ダルクが遂に勝利したけれど、前途はそれほど明るくないし、人気が高いがゆえに逆に反動が怖い。

民主主義の基本は「最大多数の最大幸福」だが、これは経済学的にも社会制度的にも設計が非常に難しい。私がマハティール元首相の時代にマレーシアのアドバイザーになったとき、国民1人当たりGDPは1200ドル。それが中進国の目印である1万ドルを超えるのに20年かかった。ミャンマーの民主化、近代化はまだ端緒についたにすぎないが、よほどの指導者が現れない限り前途は多難、と言わざるをえない。

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