- 2016年02月15日 13:30
企画2カ月でスマホ発売! 孫正義を射抜いた女子社長【2】 -対談:UPQ社長 中澤優子×田原総一朗 - 田原総一朗の「次代への遺言」
1/2携帯電話をつくりたくて入社したカシオが、携帯事業から撤退。それを機に退職。カフェを経営しながら、2015年、家電メーカーを立ち上げた。発売初年度からビックカメラが全店で展開する、ものづくりの秘密に迫る。
ハッカソン参加でモノづくりの世界へ
【田原】その後ものづくりの世界に戻ってきた。経緯を教えてください。
【中澤】カフェの経営が夢だったわけではないので、次のステップについてはずっと考えていました。そのときにお店の常連さんから誘っていただいたのが、au未来研究所が開催するハッカソンです。
【田原】ハッカソンって何ですか。
画像を見る【中澤】電子工作のイベントです。アイデアを持った人や技術を持った人が集まって、おもしろいと思うモノを2週間くらいかけてつくります。私たちは電気の通ったお弁当箱をつくりました。食べている人がつまらなさそうだったらお弁当箱が青く光ったり、震えたりするんです。
【田原】ハッカソンというイベントで製品化までやるわけですか。
【中澤】ハッカソンでつくるのは、あくまでもプロトタイプです。ただ、それで終わらせるのはもったいないので、商品化を視野に入れて経済産業省の「フロンティアメーカーズ育成事業」というプロジェクトに応募し、採用されました。プロジェクトは今年の4月に終わりましたが、6月に入って、プロジェクトの指導員だった家電ベンチャーCerevoの岩佐琢磨さんが、「もうものづくりはやらないの?」と声をかけてくださった。それで「じつは携帯電話をつくりたいんです」と答えたら、「じゃあ、工場を探しにいこう」といきなり中国に連れていかれました。
【田原】ということは、そのときはもう家電ベンチャーをやろうと思っていたわけね。じつは今日一番聞きたいのはそこです。最近の若い人はネットで起業しますね。ネットだとお金がかからず、参入障壁が低いからです。一方、家電は部品や工場、倉庫を用意しなくちゃいけない。何も持っていない人には厳しいと思いますが、中澤さんはどうして自分ならできると思ったの?
【中澤】カシオのときもODMでやっていたので、自社で工場を持ってつくっていたわけではありません。ODMのスキームを使えば、私でも何とかなるかなと。
【田原】なるほど。それで工場を探すところから始めたと。それまで準備はしていなかったのですか?
【中澤】はい。スマホの設計図も飛行機の中で描きました(笑)。
【田原】中国はどうでした?
【中澤】一緒に行った岩佐さんは、中国に着いたら「僕はここまで。あとは頑張って」とどっかに行っちゃいました。一応、日本から1件だけアポを取っていったのですが、「駅で0時に」と約束しただけで、先方の電話番号もわからない状態。工場の人と会えて車に乗せてもらったものの、山道を3時間走っても到着しませんでした。正直、怖かったです。
【田原】結局、工場は見つかったの?
【中澤】はい、深セン(※)の工場です。カシオ時代に携帯の工場を見ていたので、一目見てここは品質が高いとわかりました。詳しく話をして、その場で仕様も決めて発注しました。 ※=土の左に川
【田原】サンプルを発注したの?
【中澤】いえ、普通はサンプルをチェックして、何度かやりとりした後に量産という流れですが、それでは時間がかかりすぎます。そんなに時間をかけるつもりはなかったので、その場で1万5000台を発注しました。最初から量産してもらえば、企画から2カ月で販売できます。
【田原】いきなり1万5000台はすごいね。でも、売れなければ不良在庫です。不安はありませんでしたか。
【中澤】自分で担いで売り歩けば、1万台くらいは売り切る自信がありました。その1.5倍を努力目標にして、とりあえずつくってみたという感じですね。
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