- 2016年02月09日 13:26
口パクを聴く――ウガンダのショー・パフォーマンスの現場から / 大門碧 / 人類学
3/3カリオキの楽しみ方
カンパラの人びとは口パクを目にしても、口パクの事実を認めると同時に、聞こえてくる声と目の前の身体とをかさねて「ホンモノ」として受け取ることができるのではないだろうか。これが私の考える、オリジナルの歌手を意識してもいない、徹底的に歌声と身体を合わせるこだわりもない、おざなりな口パクがショー・パフォーマンスとしてウガンダで成立している理由のひとつである。
カリオキ以外で観察される口パクにおいては、歌詞や台詞を正確に覚えて注意深く表現することもおこなわれている。よって、カンパラの人びとは私たちと同じように「その場でうたう(話す)」こと以上のパフォーマンス力を評価しているとも言えるかもしれない。しかしそれでも、かれらの様子を見ていると、口パクをうたっていないこととはとらえず、むしろうたうことと同義に近いイメージをもっていると考えられるのだ。
画像を見るカンパラのバーの前に立てられた看板。バーでおこなわれるイベントが書かれている。「KAREOKE」という文字が本文のカリオキを示す。(2007年11月12日筆者撮影)
最後に、人びとがカリオキをどう楽しんでいるかを考えてみる。カリオキの公演場所である盛り場のマネージャーたちは、「カリオキのパフォーマーたちは歌手よりもうたえる」と表現する。「かれらは歌がうまい。実際のところただのマイムだが。かれらの歌とおどりとコメディ、そして女性の美しさが客を魅了している」と話す。歌以外のパフォーマンス力が評価されていると同時に、日常では見られない露出度の高い女性たちが登場することもカリオキの魅力となっていることがうかがえる。「1人で見に行く、ふとももを見て楽しむ」と若い男性が語るように男性向けのステージであるとも言える。
だが一方でカリオキを見に来る女性客もいる。若い女性は次のように話した。「友達と見に行く。音楽、歌、コメディなどを楽しむ。また、かれらの服装や昔の曲、すでに亡くなった人の曲を楽しむ。」パフォーマンスや服装といった見た目のエンターテイメント性に惹かれていることがわかるが、同時に音楽自体を楽しむこともしているようだ。冒頭のエピソードで取り上げた、私と一緒にカリオキを見に行った女の子たちもそうだったが、好きな曲を聴いてテンションを上げるなど、音楽を聴いて楽しむ様子もうかがえるのだ。
あるカリオキで、曲が流れはじめ、マイムをするために男性パフォーマーがステージにあがった直後に、女性客たちが列をなしてチップを渡しに行っているのを見た。私は一緒にいた少し年配のウガンダ人男性に理由をたずねた。返答は「声がいいから」というものだった。彼はカリオキをよく見に行っていたし、その芸が口パクであることは百も承知していた。しかしパフォーマーがステージに立っただけで、音楽が始まってすぐの段階で、客は「声がいいから」とパフォーマーにチップをわたしに行ったという見解を、彼は述べた。つまり、この瞬間は、パフォーマンスよりも音楽そのものに感銘を受けた客、もしくはこの歌のファンである客が、その歌(声)の持ち主がパフォーマーであることに納得して、歌への感動をパフォーマーへ伝えているという格好になっていたようなのだ。
ある男性パフォーマーは、こんなことを言っていた。彼は別れた恋人の女性パフォーマーがある曲をマイムしているのをバック・ステージで聞いた。そして彼はその歌の内容から、これは自分のことを責めているんだと深く感じ入ったそうだ。実際にうたっていたならば理解できるが、この男性には口パクでも十分、その彼女の身体から出た気持ちとして歌が届いていた。さらに言えば、バック・ステージにいて口パクする姿が見えていない状態でも、彼女の声として届いていたのだ。
画像を見るラマダン(断食月)明けのカリオキでのマイムの様子。女性パフォーマーたちが豪華な民族衣装で場を盛り上げる。(2010年9月10日筆者撮影)
カンパラでは、ほかの人のすでにある声が自分の声となることを、演じる側も見る側も、素直に受け取ることができるのではないだろうか。歌が現在進行形でつくりだされていなくても、その場で生まれたと感じるように、人びとの共感する力が強いのではないだろうか。私は、そしておそらく世界の主流の人びとは、「その場でうたっている」ことに価値を置く。その場でうたっているように見せかけて実はうたっていないことは許されないことであり、うたっていないならば「その場でうたっている」以上の価値を求める。
その場でうたっているように必死に見せかけもせず、ほかのパフォーマンス力も付加されない中途半端なカリオキの口パクを見たとき、見る価値のないパフォーマンスだと切り捨てることは簡単だろう。しかし、そうではない見方があるかもしれないということを、私たちは忘れてはならない。同じものを見ていても、かれらは違うものを観て、聴いて、感じているかもしれないのだ。私たちの感覚からは感じることのできない面白さを。たかが口パク、されど口パク、簡単には理解できない世界がそこに広がっている。
※本稿は、拙著『ショー・パフォーマンスが立ち上がる:現代アフリカの若者たちがむすぶ社会関係』(春風社、2015年)に掲載したコラム[「クチパク」への評価]を大幅に改稿したものである。
ショー・パフォーマンスが立ち上がる:現代アフリカの若者たちがむすぶ社会関係著者/訳者:大門 碧
出版社:春風社( 2015-04-10 )
定価:¥ 4,860
Amazon価格:¥ 4,860
単行本 ( 352 ページ )
ISBN-10 : 4861104491
ISBN-13 : 9784861104497
参考文献
・増田聡. 2008. 「電子楽器の身体性:テクノ・ミュージックと身体の布置」山田陽一編『音楽する身体:〈わたし〉へと広がる響き』昭和堂, pp. 113-136.
・大門碧. 2012. 「ウガンダ・カンパラの新興「ミュージカル」:デジタル技術を操る若者たち (特集 途上国のエンターテイメント事情)」『アジ研ワールド・トレンド』No.203、pp.18-19(http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201208_011.pdf)
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画像を見る等身大のアフリカ/最前線のアフリカ(アフリカ地域研究者報告)シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。偶数月は「等身大のアフリカ」、アフリカ各地の現地事情をさまざまな角度から紹介します(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)。奇数月は「最前線のアフリカ」、アフリカに関する最新の時事問題を解説します。
湖中真哉(静岡県立大学国際関係学部)
松浦直毅(静岡県立大学国際関係学部)
八塚春名(日本大学国際関係学部)
画像を見る 大門碧(だいもん・みどり)
地域研究、文化人類学
博士(地域研究)、京都大学アフリカ地域研究資料センター・非常勤研究員、大阪府立大学・非常勤講師、NPO法人アフリック・アフリカ理事。専門は地域研究、文化人類学。ウガンダ共和国の首都カンパラにて、ショー・パフォーマンスの制作過程を対象としてフィールドワークし、地域社会の変容と人びとの社会関係を考察してきた。実際にパフォーマーとして自身も参与することで、人びとの行動を細かく記録すると同時に、現場で求められることを体感して社会関係の態様を分析することにも挑戦している。



