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井戸まさえ著『無戸籍の日本人』 ―― その絶望と希望が「日本の今」とシンクロする

井戸まさえ著、『無国籍の日本人』を読んだ。
そこに描かれた現実があまりにも重く響く力作、かつ労作で、とてもレビューと言えるようなものを書くよう力量は当方にはない。が、それでもせめて印象に残ったいくつかの部分についての拙い感想を書いてみたい。

著者:井戸まさえ
タイトル:無国籍の日本人
版元:集英社
初版発行:2016年1月10日

本書の著者は、自らの子どもが無戸籍になるかもしれないという現実を前に闘ったことがきっかけで、無戸籍者の支援に立ち上がる。
現に存在する人間が存在しないことになってしまうという圧倒的な理不尽。それは想像を絶する過酷な状況であり、100%救済を必要とする問題であるはずなのに、国家は頑なに扉を閉ざして容易なことでそれを開こうとしないし、隙間を開けて見ようともしてこなかった。当然、政治家の動きも極端に鈍い。

だが、本書には心ある人も登場する。その一人が河村たかし(元衆議院議員。現・名古屋市長)。
著者がこの問題を訴えるために議員会館内をいくら歩きまわっても反応がないなか、河村は熱心に話を聞き「交通費をかけて議員会館まで来て、何も持って帰れませんでした、じゃあ、かわいそうでかんわ。今から法務省に行くで。民事局長に会うぞ」と言い、即座に著者を連れて法務省へ乗り込む。そして民事局長に「わしゃあ、何度聞いてもわからんのだわ。でもこれがおかしいことだけはわかる。民事局長、なんとかしてやってくれ。じゃあな」と言って部屋から出て行く。
私は河村という政治家があまり好きなタイプではないが、おそらくかつてはこういう政治家がたくさんいたのだろう(とくに保守のなかに)。
たとえ票にならなくても、目の前にある理不尽に対して政治家がその力を使うのは、相も変わらず横行するカネのための口利きとは真逆の真っ当な政治活動である。

その一方で慄然とするセリフを吐く政治家もいる。その筆頭が柴山昌彦。国家の側に軸足を置く民法改正反対派であり保守派のこの人物は、無戸籍問題を熱心に説明する著者に対して何と言ったか? 該当部分を引用しよう(太字部分は筆者。以下同じ)。

「僕は『親の因果が子に報い』ってあると思うんです」
 柴山氏は言った。
 私は聞こえないようにため息をつく。親が結婚に失敗したり、母が父からDV被害を受けていた場合、子どもが、なんらかの負荷を背負っても仕方ない、と彼は言っているのだ。

この部分を読んで、私は著者同様に思わずため息をついた。それも深々と(おそらく本書を読んでいる人が同様のため息をついたとしたら、それはこの部分に対してだろう)。
「誰しも政治家を志すのであれば、よりよい社会を作ろうという動機が根底にあるはずだ」などと考えることがまったくの幻想であることを思い知らされる。
それは本書に登場する稲田朋美も同じなのだが、総じて扉を固く閉ざす側の人びとが、現在、安倍晋三の周りに集っているように見える。

著者は言う。

民法772条改正に反対する政治家たちと話していて、不思議な感覚にとらわれることがある。今の民法を基準に話していても、かみ合わない。議論にならないのだ。つい、問いかけたくなる。
「もしかして今も、旧憲法、旧民法の世界で生きていませんか?」と。
(中略)
 たとえば地方の名家に生まれ、頭脳明晰で東大などのエリート校に進み、官僚や政治家へ、という男性の場合などは、常に権力の側にいるため、変わる必要も感じてこなかっただろう。新憲法、新民法が保証する権利や平等が必要な立場の人がいることなど、実感できないのかもしれない。
 むしろ権利や平等を叫ぶ人に自らの安定した基盤(=既得権益)を奪われる「恐れ」すら感じているように思える。

まさにそのとおりだが、まったく同様のことが親や祖父の代から「安定した基盤(=既得権益)」にどっぷり浸かった世襲議員にも言えるだろう。なかでも「頭脳明晰でない」安倍晋三は、その「旧民法を生きる人たち」の代表格であることは間違いない。そういう人物がトップに立って「立憲主義は古色蒼然たる考え方」と公言するに至った国はこれからどこへ向かうのか? 暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

本書の救いの一つは、河村の他にも心ある人が登場することだ。
その一人は著者とことあるごとに鋭く対立していた法務省の役人だが、この人物は閉ざされた組織の中で恐らくは精一杯の仕事をして著者を、そして読者を驚かせる。あるいはこの問題にマスメディアの側から光をあてた人びと。もはや総崩れ状態の様相を呈するメディアのなかにもジャーナリズム精神は残っている。

しかし――。
だからこそ思う。「彼ら、彼女らに続く人はいるのか?」と。
もっともっと心ある人が出てこなければ無戸籍問題はなくならない。が、さらに言えばこの国の将来もまた、その多寡にかかっているのではないか? そんなことを本書を読みながら思った。

※追記1 私はこれまで松下政経塾出身者を十把一からげで「ダメ」と決めつけていた。が、著者が同塾出身者であることを知り、今さらながらそのようなレッテル貼りの危険さを反省した。湯浅誠によれば、「松下政経塾で鍛えられた者が社会問題と出会うと、一つの肩書や職能にはまらない働きをすることがある。」(「週刊文春」書評)のだそうだ。

また湯浅はこの書評のなかで「タイトルは若干ストレートにすぎたかもしれない。『“存在しない”子どもたち』『“誰にも見られない”者たちの闘い』といった、フィクションとしても通用するようなタイトルが、本書の豊さを示すにはふさわしい。」と書いているが、私はそうは思わなかった。確かに本書は「手に汗握るサスペンスのよう」(湯浅)ではあるが、フィクションでは描き得ない圧倒的なリアリティの迫力は(自分には「事実は小説よりも奇なり」という陳腐な言葉しか思い浮かばないが)、直球勝負のタイトルでこそ伝わるのではないかと思われ、むしろそこに著者と編集者の意図を感じることができる。

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