- 2016年02月05日 13:00
「維新の党」はなぜ分裂したのか - 塩田潮の「キーマンに聞く」【20:前編】馬場伸幸(おおさか維新の会幹事長)
政党として最悪の分裂になった理由
【塩田潮】2015年8月、橋下徹・大阪市長(当時)と松井一郎・現大阪府知事が維新の党を離党し、そこから維新分裂が始まりました。11月に橋下氏ら大阪系と19人の国会議員が参加して新党「おおさか維新の会」が結党されましたが、大阪系の人たちはなぜ維新の党離党、新党結成という行動を取ったのですか。
画像を見る馬場伸幸氏(おおさか維新の会幹事長・衆議院議員)
【馬場伸幸・おおさか維新の党幹事長(衆議院議員)】直接の引き金は15年9月の山形市長選挙の応援問題でした。向こうは向こうの理屈があるでしょうけど、当時の維新の党の柿沢未途幹事長が党の意向を無視した形で応援に行き、問題の処理もまったく行われなかった。ですが、この問題だけでなく、労働者派遣法改正でも15年の通常国会の初めの頃からおかしな流れがありました。私は国会対策を担当していましたが、党幹部はとにかく「反対」と言う。われわれは、自民党でも民主党でもない。政策や法案の対応は、国民生活にいかにメリットがあり、国民のみなさんのお役に立てるかどうかという物差しで判断すると標榜していたけど、労働者派遣法については、われわれが対案をつくったりしても、党の上のほうから、とにかく反対という意向が出てくる。結局、うやむやな形のままで決着しました。
次に安全保障関連法案の問題になった。紆余曲折がありましたが、われわれは大阪で橋下さんを講師にして勉強会を行い、方向性を決めて、それに沿った対案をつくって国会の安保特別委員会に提出することにしました。必要な部分は法案の修正を求めるという考え方でやっていましたが、このときもなぜか対案がなかなか出てこなかったのです。維新の党の中でも、向こうの人たちとは路線が違うのかなと思い始めた。是々非々路線を貫く、与党でも野党でもないというわれわれのスタンスが理解されていないのでは、とわかってきたんです。
【塩田】維新の党の分裂は、15年5月の大阪都構想の住民投票の際に自民党、公明党、共産党と組んで反対した民主党と連携や合流を目指そうとする非大阪系と、大阪都構想の実現を推進する大阪系が、将来の政界再編構想で対立したのが最大の原因だったのでは。
【馬場】内部での路線や考え方の違いがメインで、山形市長選挙の問題は引き金ですよ。
【塩田】橋下さんら大阪系の離党表明から正式に新党を旗揚げするまで2ヵ月以上もかかり、「離婚成立」までの協議が相当、難航した印象があります。
【馬場】向こうの松野頼久さん(維新の党代表)、今井雅人さん(維新の党幹事長)、こちらの片山虎之助さん(おおさか維新の会共同代表)、私の4人で協議を、という話があり、最初は党の分割、つまり分党という形に、ということで交渉を始めたんですが、成案ができた後に引っ繰り返るようなことが何度もありました。15年11月に大阪府知事と大阪市長のダブル選挙があったので、その間はこちらの事情で交渉が止まり、ダブル選挙終了後、話し合いを再開させて決着したという経緯でした。
途中、3回くらい、不満もあるかもしれないけど、円満な形でやろうと思えばこんな感じですよねというところまで行って、95%程度まで交渉がまとまったことがありました。向こうがぎりぎりのところでパーンと掌を返すようなことをしてきた。夜中の12時まで返事を待っていたこともありましたけど、うまくいかなかったんです。
向こうは国会議員が26人いましたが、旧民主党系が13人、旧結いの党系が13人で、双方の意見が違っていて円満な分党とならず、泥沼化しました。最後は臨時党大会を大阪で開き、党解散と決めました。政党交付金も、両党への分配ではなく、必要経費を除いた分を国庫に返すことになった。政党としては最悪の分裂の形になりました。
野党の大同団結か、与党とパーシャル連合か
【塩田】新しいおおさか維新の会は、政党として、どんな路線や政策を目指すのですか。
【馬場】おおさか維新は与党ですか、野党ですかとよく聞かれます。私は地方議会の出身ですが、地方自治は首長と議員が別々の選挙で直接、住民から選ばれる「二元代表制」です。首長寄りかどうかというのはありますが、与党か野党かというのはない。首長が出してくる議案に、必要なら賛成するし、おかしければ修正をかけていく。間違っていれば反対する。有権者が政党に求めている役割はそれだと思います。ところが、議院内閣制の永田町では、いつも与党、野党のどっちかという話です。われわれは与党と野党の間の「ゆ党」と言われたりしますけど、国民本位のスタンスを変えていく気はありません。与党にべったりとか、野党の側で勢揃いというのは、何か違うのではという気がします。
【塩田】おおさか維新を結党した後、国会で次世代の党や旧日本を元気にする会の人たちと統一会派を目指す動きがありました。
【馬場】いろいろなチャンネルで交渉していると思いますが、方向性としては、数を集めることよりも、維新スピリッツを本当に理解してもらっているかどうかという物差しで測らせていただきたい。大阪のダブル選挙で、われわれは自民党、民主党、共産党が一緒になって選挙をやったのを「談合選挙。野合」と批判してきた経緯があります。性急に数を集めることを第一目標とすべきではないというのが基本的なスタンスです。
【塩田】「ゆ党」で行くにしても、現実には国会は数が大きいほうが力があります。統一会派の結成をステップにして、さらに野党再編を目指す考えはありませんか。
【馬場】選択肢は2つしかありません。野党の大同団結か、与党を過半数割れに追い込み、与党とパーシャル連合を組む形を目指すか。新興勢力の党が単独で過半数を取って単独で政権を運営していくのは無理でしょうから、この2つの選択肢を視野に入れて活動していきます。野党再編を否定しているわけではありませんが、もっと大きな旗が必要です。
【塩田】「ゆ党」のおおさか維新に、安倍晋三首相や菅義偉官房長官は非常に親近感を持っています。安倍政権とおおさか維新の関係はどうあるべきだと思いますか。
【馬場】安倍さんが07年に1回目の首相を辞めて失意のとき、菅さんは安倍さんをもう1回、首相にと動いていたメンバーの1人でした。そのとき、現衆議院議員の遠藤敬さん(現おおさか維新の会国対委員長・元日本教育再生機構大阪会長)が、安倍さんを大阪に呼び、教育シンポジウムで松井さんと対談したのが濃密な付き合いになるきっかけです。
シンポジウムが終わって、何人かで会食しました。私もいましたが、僕らも「ぜひ頑張ってほしい。教育の改革や日本の安全保障などをきちんとしなければ」といった会話をして意気投合し、付き合いが始まりました。安倍さんが自民党総裁選挙に出馬できないとか、出ても負けた場合は、自民党を離党する人が出てくるので、そういうメンバーと維新が組んで、新しい思想の改革政党をつくろうという具体的な話がありました。その先頭を走っていたのが菅さんで、ずっといろいろ相談していたんです。
政党の枠を超えた人間関係が政治の基本
【塩田】安倍さんは自民党総裁に返り咲き、12年暮れに第2次安倍政権が誕生しました。
【馬場】自民党では、当時、維新という得体の知れない勢力がいるけど、これをきちんとハンドリングできるのは誰かという話になり、安倍さんも菅さんも、われわれとのそれまでの人間関係を活かされたということです。やはり政党の枠を超えた人間関係は政治の基本で、大事だと思います。
画像を見る【塩田】大阪都構想の住民投票でも、安倍首相や菅氏は止めるほうに回らなかった。
【馬場】そうですね。菅さんは地方議員出身で、日本の統治機構や行政の仕組みを変えなければと、共感していただいていると思います。
【塩田】15年の暮れ、政府と与党は17年4月の消費税率10%実施を前提に、軽減税率の導入を決めました。この問題についてはどういうお考えですか。
【馬場】誰でも税金は安いほうがいいから、軽減税率はウエルカムと言います。ですが、消費税率を上げるとき、税と社会保障の一体改革で当時の自民、公明、民主3党が合意しています。医療、年金、介護、子育てに増税分の消費税収を全部使いますと約束したのに、それが全然、実現していない。その点に不満を持つ国民は多いと思います。軽減税率は否定しませんけど、本来、低所得者対策は直接給付する形でなければ。軽減税率を導入して10%と8%の間の線引きをどうするのか、財源はどこにあるのかという議論では国民は納得できないと思う。現状では、消費税の10%への増税は延期すべきではないかと思いますね。
【塩田】安倍首相が目指している憲法改正についてお尋ねします。憲法問題では、おおさか維新は地方自治の章を大胆に変えることを目指していると思いますが、安倍首相は改憲項目として地方自治や統治機構改革を本気で取り上げる気配はなさそうです。
【馬場】これは大阪都構想を実現することが推進力になると思います。大阪都構想が実現して、大阪の活性化が目に見える形になると、全国もそれを見ていますので、それぞれの地方でどうやったらいいのかを考えるようになる。国は本来、そのサポート役に徹すべきで、憲法改正という根幹の仕掛けが必要になると思います。
【塩田】改憲が具体的な政治課題となった場合、おおさか維新はどう対応しますか。
【馬場】憲法改正にはもともと賛成です。われわれは何を改正するかを問うていく。もしいきなり第9条となれば、それはちょっと違うでしょうという話になると思います。
馬場伸幸(ばば・のぶゆき)
おおさか維新の会幹事長・衆議院議員
1965年1月27日、大阪府堺市生まれ(現在、51歳)。大阪府立鳳高卒。卒業後、3年間、オージーロイヤル(現ロイヤルホスト)でコックを勤め、86年から中山太郎(当時は参議院議員。後に衆議院議員。元外相)の秘書となる。93年に堺市議補選で初当選(自民党)。12年まで6期在任し、11~12年に堺市議会議長。12年12月の総選挙に日本維新の会公認で大阪17区から出馬し、初当選(現在、当選2回)。14年12月から15年9月まで維新の党国会対策委員長、15年12月からおおさか維新の会幹事長。15年10月に「日刊ゲンダイ」が「毎月 300万円の大豪遊…分裂『維新』大阪組の異常なカネ遣い」という見出しで「馬場伸幸衆院議員の金遣いの荒さが大問題」と報じた点について、「まったく事実ではない。当時、松野頼久・維新の党代表が記者会見で全面否定したのに、『日刊ゲンダイ』が再度、記事にしたから、きちんと法的措置を取ることにして訴えた」と話している。
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