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小学校から毎日発明! 特許案2万超の異端児【1】 -対談:NejiLaw社長 道脇裕×田原総一朗 - 田原総一朗の「次代への遺言」

2000年におよぶネジの歴史を覆す「緩まないネジ」。経済産業省の支援事業に選ばれ、海外からも問い合わせが相次いでいるという。開発したのは、10歳で小学校を自主休学した異色の起業家だった――。

ネジの耐久試験で試験装置を破壊

【田原】道脇さんは、緩まないネジを開発されたそうですね。これまでのネジとは、どこが違うのですか。

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NejiLaw社長 道脇裕氏

【道脇】従来のネジはボルトのネジ山とナットの内側を密着させて、その摩擦力で緩みにくくしていました。ただ、衝撃や振動が加わった瞬間に離れるので、少しずつ緩みます。従来のネジは螺旋構造なので、締めていくと押し返す力が働いて、結局は緩むのです。絶対に緩まないネジをつくるには、螺旋構造を捨てて、摩擦ではなく機械構造的に締結する必要があります。それを形にしたのが、「L/Rネジ」です。

【田原】具体的にどういうことですか。

【道脇】普通のネジは、ナットを右に回せば奥に入り、左に回すと外れますよね。L/Rネジはもう1つナットがあって、普通なら外す方向である左方向に回すと、2つ目のナットが逆に奥に入る構造になっています。つまり右回転すれば最初のナットが奥に入ってキツく締まる。左回転すれば最初のナットは外れる方向に動こうとしますが、2つ目のナットが奥に入るため、ナット同士がぶつかって動かなくなる、というわけです。

【田原】1本のボルトに、違う動きの2つのナットが入ると。

【道脇】そうです。L/Rネジは螺旋をやめ、独立したネジ山が断続的に続く構造になっています。さらにネジ山の斜面に工夫をすることで、方向の違う2つのナットを組みつけるようにしました。

【田原】どれくらい緩まないのですか。

【道脇】アメリカの航空宇宙関連で使われる耐久試験で実証済みです。試験装置を動かし続けたら、装置のほうが壊れてしまいました。

【田原】それはすごい。このネジはどういうものに使われるのですか。

【道脇】将来的にはすべてのネジをL/Rネジに変えたいですが、いまもっとも期待しているのは、溶接の代替です。橋梁など社会インフラに対するメンテナンスの需要は年々高まっています。一方、溶接は国家資格ですが、更新が難しいこともあって今後は有資格者が減っていきます。難しい技能が要らず、誰でも簡単にものを接合する方法が必要になる。L/Rネジは、その役割を担えるはずです。

【田原】コストはどうですか。

【道脇】工場の中でやる大量生産ラインのロボット溶接はコストが安いので、ネジが代替するのは難しいと思います。ただ、現場溶接はコストが高い。技術者の人件費はもちろん、仮設の足場のレンタル費用も馬鹿になりません。ネジも足場は必要ですが、短時間で施工できるのでコストはかなり抑えられるでしょう。

【田原】緩まず、かつ安いわけだ。

【道脇】コスト以外にもメリットはあります。いま開発中なのですが、ネジにセンサーの機能をつけてデータを収集するのです。いわゆるIoTですね。たとえば建物の構造部材の締結にセンサー付きのネジを使うと、その建物の状態を遠隔で把握できるようになる。効率的なメンテナンスが可能になります。

【田原】データ収集は従来のネジでできないのですか。

【道脇】緩むネジだと、異常値が計測されたとき、地震で建物が変形したからなのか、それともネジが緩んだ結果なのか、見分けがつきません。緩まないネジだからこそ、精度の高いデータが取れるのです。

教科書は1週間でぜんぶ理解できた

【田原】道脇さんは小学校も中学校も途中で自主休学されたそうですね。

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【道脇】生意気な話ですけど、学校の勉強が簡単すぎてつまらなくなったのです。新学年が始まると最初に教科書をもらいますが、だいたい1週間もすると、ぜんぶ読み終わって理解しちゃう。そうすると、もうやることがないので。

【田原】道脇さんは、おじいさんが数学者、お母さんが物理学者、お父さんが化学メーカーの研究者で、いわば学者一族です。ご家庭で何か特別な教育を受けていたのですか。

【道脇】いや、家で勉強した記憶はほとんどありません。教科書も教室に置きっぱなしで、予習や復習をしたこともないです。

【田原】本当ですか。僕は予習と復習をしないと授業についていけなかったから、ちょっと信じられない(笑)。

【道脇】自分で考えることが好きだったのです。たとえば足し算と引き算がありますよね。普通は足し算を練習して速く計算できるようになっても、引き算ができるようにはなりません。でも僕は引き算のやり方を自分で考え出した。

【田原】勉強でも発明していたわけだ。

【道脇】そうですね。自分で考えるから、先生から教わらなくてもできたんだと思います。ただ、日本の教育システムは早くやり終えても先に進ませてくれません。その結果、授業中、友達にちょっかいをかけて、授業の邪魔をするようになる。先生から見たら、問題児だったでしょうね。

【田原】あ、そこは少しわかる。僕も中学生のころは授業が退屈で、先生に意地悪な質問をして困らせたりしていたから(笑)。それで、休学した直接のきっかけはあったの?

【道脇】具体的に何かあったわけではないのですが、10歳で行くのをやめました。日本の学校は、上の人に言われたことを100%上手にこなす人間をつくる教育です。アメリカに追いつき追い越せの時代はそれでよかったのでしょう。でも、僕はこれからは独創性の時代になると思った。このまま学校にいると自分という素材がダメになる気がして、行かなくなりました。

【田原】学校へ行かないで、何をしていたのですか。

【道脇】いろいろやってましたよ。好きな研究をやったり、自分で仕事をつくって働いたり。

【田原】仕事? 小学生で?

【道脇】研究費用を稼ぐ目的もありましたが、まず働くことを経験してみたかったんです。人は何のために働くのか、稼ぐというのはどういうことなのかということも含めて、何もわからなかったですから。

【田原】具体的にはどんな仕事を。

【道脇】本当にいろいろ。中学生のころは、下田にある知り合いの漁師の家に住み込んで働いたこともあります。朝の早さと船酔いに慣れなくて、すぐ帰ってきちゃいましたけど。長く続いたのはとび職ですね。本当は設計事務所や研究所で働きたかったけど、中学生は雇ってくれない。当時、学歴がなくてもやらせてもらえる仕事といえば、やっぱり肉体労働。とび職では重宝されて、現場のリーダーまでやらせてもらいました。

【田原】高校はどうしたのですか。

【道脇】一応、入学しました。母から「高校に行かなくてもいいけど、後で行きたくなったら困るから願書だけでも出しておけば」と言われまして。受験したのは工業高校です。仕事は続けていましたが、試験1週間前から現場を休ませてもらって集中的に勉強。内申点は限りなくゼロに近かったのですが、運よく合格することができました。

【田原】でも、高校も行かなくなる。

【道脇】やっぱり集団教育のシステムが合わないんでしょうね。1カ月くらいでまた行かなくなりました。

【田原】やめて次はどうしたのですか。

【道脇】また自分でいろんな仕事をしていました。アホな友達とつるんで、ここではちょっと言えないようなグレーなことも散々やりました。でも、ここを超えると戻ってこられないラインのギリギリのところまで行って、その先に道がないこともわかった。僕は「外道の果てを見た」と言ってますが、そこまで行ってようやく自分のバカさ加減に気づきましたね。

小学校から毎日発明! 特許案2万超の異端児【2】

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

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