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「犯された女の子供たち」 メキシコ麻薬カルテルが残虐な理由 - 藤原章生 (毎日新聞記者)

「メキシコって残酷じゃないですか殺し方が。バラバラにしたり、顔の皮をむいたり。あそこまでやられちゃうと残酷とか、怖いを超して、笑うところまでいっちゃうっていうか……。冗談みたいなこと、するっていうのか、遺体に対して。人の命、安いなあ、やすー、いやいや本当」

 先日会った40代の女性作家が雑談でこんな話をしていた。年明け、メキシコのニュースが世界を騒がしたせいもあるだろう。

 仲間にトンネルを掘らせて脱獄した麻薬王が再び逮捕された事件があった。逃亡中に米国の俳優ショーン・ペンがこの麻薬王にインタビューしていたことで、ニュース価値は高まった。また1月2日には、麻薬カルテルなど犯罪組織の撲滅をうたい就任したばかりの女性市長が、5人の武装集団に襲われ、家族もろとも射殺されていた。

 作家はニュースに触れ、麻薬カルテルの被害者のグロテスクな画像を連想したようだ。

2000年代からメキシコで殺人が増えた理由

 統計を見てみると、メキシコでの組織犯罪も含めた殺人件数はさほどひどくはない。

 人口10万人当たりの殺人発生件数は18.91件で、世界第22位だ。1位は中米ホンジュラスの84.29件、2位はベネズエラの53.61件。それらに比べれば、まだ少ない。以下、米領ヴァージン諸島、中米のベリーズ、ジャマイカ、エルサルバドルと続き、すべてが中南米カリブ圏だ。

 30位までを見ると、アフリカ5カ国と南太平洋のツバルを除けば、すべてこの地域となる。殺人が多い土地柄と言えるが、メキシコが際立っているわけではない。人口5000万人以上の大国だけに絞ると、メキシコは11位のコロンビア、14位のブラジルの次に当たる。(http://www.globalnote.jp/post-1697.html

 それでも、よく「勤勉実直」などと評されるチリ(同3・14件)と比べれば、6倍も多く、メキシコが上位にいることは間違いない。ちなみに日本は0・28人で211位。大国では最も殺人が少ない。

 ただし、メキシコが他の国と違うのは、2000年代後半から増え続けているところだ。「他殺者数の推移」をまとめたグラフ(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2776a.html)を見ると、人口10万人あたりの他殺者の概数は1995年、コロンビアが70人と最多で、これに南アフリカが66人と続き、メキシコは17人だった。その後、コロンビアは増減を繰り返した末、2002年から一気に減り始め、11年には33人に落ちた。南アも漸減し30人にまで落ちている。

 しかし、メキシコは04年までじわじわと減ったものの、その後横ばいとなり、07年に反転、11年には22人に増えている。

 米国やインドなど中くらいの殺人発生国を見ても、過去20年、減る傾向にある。つまり、メキシコだけで殺人が増えている。

 以上から言えるのは、メキシコはベネズエラやコロンビア、ブラジルよりも殺人発生率は小さいものの、過去20年ほどで倍増している、という事実だ。
原因はもちろん麻薬カルテルによる暴力だ。メキシコ検察当局の発表によれば、11年9月までの5年間に麻薬組織による犯罪や抗争で4万7515人が殺害された。この間の全他殺者数はざっと10万人ほど。つまり半分は麻薬に絡んだ犠牲者だった。

 カルテルの拠点がコロンビアから移った2000年代半ばからこの方、メキシコはコカインだけでなく、殺人をも抱え込む結果になった。07年に政府が始めたカルテル掃討作戦も殺人をあおった形だ。

 では、本題の残虐さはどうだろう。

 遺体損壊の統計はなく、ここから先は印象をもとにした仮説となる。つまり、メキシコ人の暴力は残虐なケースが多い、という印象だ。

 さまざまな事例から私が感じるメキシコの残虐さは、憎悪や怒りなど抑えようのない感情の爆発、というよりも、むしろ死体への軽視、遺体をもてあそぶような悪趣味だ。

遺体をおもちゃのように扱う

 殺すだけで済むものを、四肢を切断し、首を切り、車や物、時に動物の上に載せてみたり、歩道橋につるしたり。反カルテル運動の女性の腹を割いて内臓を出すといった行為は、敵対組織や一般人に恐怖を植え付ける意味もあるだろうが、遺体をおもちゃのように扱っているとしか思えない。

 マフィアはどこも残虐であり、メキシコだけの話ではない。戦争の残虐さはどの地域もひけをとらない。それでも、メキシコが残虐に思えるのは、加害者が遺体や殺害状況をネットで頻繁に誇示している点だ。

 ノーベル文学賞を受けたメキシコの詩人、オクタビオ・パスは「孤独の迷宮」でメキシコ人の死生観をこう記している。

 <ニューヨーク、パリ、あるいはロンドンの市民にとって、死は唇を焦がすからと決して口にしない言葉である。反対にメキシコ人は、死としばしば出合い、死を茶かし、かわいがり、死と一緒に眠り、そして祀る。それは彼らが大好きな玩具の一つであり、最も長続きする愛である(略)隠れも、それを隠そうともしない。もどかしさ、軽蔑、あるいは皮肉をこめて、死を正面から見つめるのである>(高山智博氏、熊谷明子氏訳)

頭蓋骨の形のお菓子を食べる

 メキシコでは毎年11月2日が「死者の日」で、いわば日本のお盆のように人々が墓や遺族の家に集まる。霊が戻ると言われる祭壇を派手に飾るまではいいが、他国ではまず見られない奇妙な習慣もある。頭蓋骨やその形をした模型をきれいに彩ったり、花火を仕掛けてみたり、その形のお菓子がよく売られ、大人も子供もそれをガリガリと食べる。ミイラ博物館の名物が、ミイラをかたどったアメ細工というのもメキシコならではだ。

 もちろん、人の死を人一倍悲しみはするが、死そのものをさほど重くとらえていない。死者を面白がり、笑い、食べてしまうような感覚が風習として残っている。

 メキシコの友人がこんな話をしていた。危篤状態にあった祖父を昔の友人が訪ねこう語りかけたそうだ。「悪いんだが今、俺は虫歯がひどくて、菌が入ったりするのもなんだから、君の埋葬式には行けないよ」

 それを真顔で話し、別れていったという。

 メキシコ人が死を軽視するのは、パスによれば、こんな理屈からだ。

 死は生の結末ではなく、円環のように生と死が交互にやってくる。また生の中に死が入り込んでもいる。死は生の映し鏡であり、生がむなしいからこそ、死もまたむなしい。

アイデンティティーに隠された「しみ」

 なぜ、そうなのか。それは、メキシコ人は、ぼんやりとでも、自分の中に消しがたい「しみ」を隠しているからだ。自分自身を全面的に肯定できない傷、暗さを抱えている。

 それは、大多数の先住民が少数のスペイン人に犯され、隷属させられ「メキシコ人」を名乗らざるを得なかった運命から来ている。自分たちのアイデンティティーは「犯された女の子供たち」であり、恨む相手も敵も自分たちの中にいる。だから、楽天的にあっけらかんとは自己肯定できないーーというのがパスの説だ。

 同じ中南米でも、メキシコは先住民の犯され方が実に広く深かった。そんな歴史を背負い、生を無邪気に肯定できないからこそ、死を軽んじるというのだが……。

 これは1950年にパスが欧州で母国を思い書き記したエッセーであり、彼が見るメキシコ人の象徴的な特徴である。

 それが、ここ数年のカルテルの死者の扱いに合致するかどうか。カルテルのやり方は、パスの言う「死を茶かし、かわいがり」「大好きな玩具」というよりももっと陰惨で、単に死者を馬鹿にしているだけで、残酷さを誇示しているようにしか思えない。パスの洞察は、カルテルには通じないのかもしれない。

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