昨年から今年にかけて、この時事通信に書いたことはなかったが、片時も脳裏を離れない国があった。
それは、一月十六日の総統選挙に向かう台湾である。
何故、常に台湾を注視していたのか。
その訳は、台湾は日本と運命共同体であり、さらに、親しい人々や懐かしい人々が住んでいるからである。
学生たちが、時代転換の主役に躍り出た一昨年の「ひまわり学生運動」は、総統の馬英九が進める台湾と中共の間の市場開放を行うサービス貿易協定を阻止しようとして学生が立法院の議場を占拠し、その学生を支援する十万人を超える大群衆が立法院や総統府周辺を埋めつくした運動であった。
この空前の若者の大衆運動が、中共に急接近をする馬英九を阻止したのである。
その後、馬英九は、中共に買収されたように中共接近を繰り返し(日本の沖縄県知事に似ているが)、昨年の末には、シンガポールで中共の主席習近平と握手して会談し、一つの中国を歌いあげる。
しかし、これが却って馬に対する支持率を九%に低下させた。
そして、この度の、総統選挙と立法院選挙において馬は国民党の候補者からも応援に来るな、票が減ると言われた。
台湾国民は、あの習近平と握手した馬を「おぞましい奴」と思ったのだ。
やはり、二〇一四年の学生たちによる「ひまわり学生運動」が、既に時代を転換させていた。
その彼らは、若者であり、日本語世代でもなく日本統治時代を経験したこともない。
しかし、彼らは、台湾は台湾であり中共ではないと確信している。
何故、彼らにその確信が生まれたのか。
それは、まさに、彼らは、始めて国民の選挙によって総統の地位に就いた「李登輝世代」であるからだ。
その李登輝閣下は、大正十二年一月、日本人岩里政男として生まれ、日本人として育ち、京都帝国大学に学び、大東亜戦争においては帝国陸軍歩兵中尉となり千葉で終戦を迎えた。
昭和二十年三月十日の東京大空襲に際して、岩里中尉は、直ちに部隊を指揮して千葉から東京に被災者救援に駆けつけた。
この時の経験が、台湾総統の時に遭遇した一九九九年九月の台湾大地震の救援活動に生かされたと、一昨年、札幌で語っておられた。
また李登輝閣下の兄岩里武則さんは、帝国海軍二等機関兵としてフィリピンのマニラで戦死し靖国神社に祀られている。
それ故、李登輝閣下は靖国神社に参拝された。私もその参拝に立ち会わせていただいた。
李登輝閣下は、司馬遼太郎に「台湾に生まれた悲哀」を語り、世界的に権威ある論文に「台湾は主権国家である」と書き、総統時代には「中国と台湾は特殊な国と国の関係」と言った。
一昨年の「ひまわり学生運動」によって、時代転換の主役に躍り出た若者たちは、この「李登輝世代」なのだ。
この運動の時、産経新聞の吉村台北支局長は、次のようなエピソードを伝えていた。
台湾には中共からの観光客が大勢押し寄せるようになった。
その観光客たちは、大陸の汚さに比べて美しい台湾の街や人達の規律正しさに驚いた。
そして、その理由を、台湾では、昔からの中国の論語などの古典が教え続けられているが、大陸においては文化大革命によって古典の教えが途絶したからだと言った。
この大陸からの観光客の意見に台湾の学生が反論して言った。
「違う、台湾は日本時代を経験しているから規律正しいのだ」
この記事ほど嬉しい記事はなかった。
台湾の新世代、「李登輝世代」即ち李登輝の子ども達は、日本と共にある。
李登輝時代の前の時代、台湾のホテルで従業員に「君は何人なの」と訊いた。
皆、中国人、漢民族だと答えた。
李登輝時代が始まってしばらくして訊くと、台湾人という答えがボツボツ返ってきた。
そして、気がつけば、街のなかに「台湾」という文字が目立つようになってきた。
八年前の、国民党の馬英九と民進党の謝長廷の総統選挙の時、台北を歩いていると、馬と謝の両候補のポスターが貼ってある壁の向かいに、すててこ、を履いたおっちゃんが座っている。
おっちゃんに、謝のポスターを指さして「彼はどうか」と訊いたら「好、よい、よい」と言った。
馬のポスターを指さして訊くと、「ダメ、ダメ、あれチャンコロ、チャンコロ、ダメ」と言った。
以後、チャンコロは、国際語だと知ったので時々使うようにしている。
このように、李登輝時代は静かであるが着実に台湾のアイデンティティーが表面に顕れてきた。
ひまわり運動によって台湾の時代を転換させた学生たちは、この時代に少年期をおくって成長してきたのだ。
さて、最初に、台湾と日本は「運命共同体」であると言った。
即ち、中国共産党と中国国民党は我々の目の黒いうちに瓦解し消滅し、二十世紀から続く地球の疫病神がなくなる。
この時、大陸の核と巨大な武力を持つ独裁体制の瓦解による混乱と、それに必然的に影響され呼応する台湾の国民党の漢奸が、台湾を巻き込んで如何なる混乱を東アジアにもたらすか分からない。
しかし、この動乱を放置すれば、台湾と我が国は存立の危機に直面する。
そして、この動乱を克服する為には台湾と日本が共同して対処するしか方策はない。
従って、台湾と日本は運命共同体なのだ。
先日の時事通信で、フィリピンと我が国は、天皇皇后の慰霊の行幸啓によって、新時代に入ったと書いた。
つまり、中共のもたらす動乱からフィリピンと我が国が共同対処する為の新時代の構築が必要なのだ。
更に加えて、中共のもたらす動乱から、台湾と我が国が共同対処する為の新時代の構築が死活的に必要である。
そこで、最後に言っておく。
(特に自衛権に関して一年以上にわたってヘボ将棋のような議論を延々と続けた自民と公明の面々に)
台湾の防衛は、集団的自衛権の問題ではなく個別的自衛権の領域であると。
即ち、台湾を守ることは日本を守ることなのだ。
台湾の防衛なくして日本の防衛はない!
自衛権の世界のリーディングケースを覧られよ。
デンマーク艦隊引渡請求事件
(The Case of the Danish Fleet)
紛争当事国 イギリス対デンマーク 1807年
記事
- 2016年02月03日 00:00