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- 2016年02月01日 16:54
宮崎駿監督「自分に与えられたフィールドとチャンスにおろそかになってはいけない」
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BLOGOS編集部
生きてきた人たちの巨大な記念碑をずっと残しておきたい
今、戦前からあった建物がボロボロになって取り壊されています。これを残したいと思いまして、わずかですけど、僕も少しはカンパできますからとお話をしたんです。それから色々な方がお金を出し合って、「山吹舎」(昭和3年に入所者によって建てられた独身男性のための寮。昭和52年まで使用されていた)をきちんと直して後世に伝えようということになりました。学校もあったんですけど、シロアリに食われていて、これは直しようがないと取り壊されてしまいました。僕が他の仕事でうつつを抜かしているうちに壊れちゃったんです。あと、「少年少女舎」っていうのもあるんですけど、今やもう残骸のようになっています。これも消えていくしかないのかなと思います。
資料館は素晴らしいものです。2007年に「国立ハンセン病資料館」として新しくなった時、中身が随分薄まったなと思ってたんですけど、その後、色々な努力によって、また前の雰囲気が出ています。あの場所にいくと、粛然とした気持ちで出て来るような。無駄に生きてはいけない、おろそかに生きてはいけないという気持ちになる。そういう場所だと思います。
いずれ厚生労働省は全生園をただの公園にでもしてしまうんじゃないかという気がしています。全部とは言わないけれど、記念の場所を作らなければいけない時期が来ているんじゃないかと思います。何かの記憶があそこに残っていくことが、とても大事なことなんじゃないかなと思います。大きな緑が残ったということも良いことだと思いますが、同時に、生きるということの苦しさと、それに負けずに生きてきた人たちの巨大な記念碑をずっと残しておきたいと、本当に思います。
質疑応答

BLOGOS編集部
-ハンセン病療養所を世界遺産として残すということについてはどういうお考えでしょうか。もう一点は、富国強兵の中に、このハンセン病隔離政策が行われてきたという歴史について。それと、3.11から間もなく5年ですけども、原発再稼動についてどう思いますか。
宮崎:療養所は全国にいっぱいありますよね。それをどういう風にするかっていうのは、それぞれの人が知恵を出し合って、俺のとこさえ残せばいいっていう風じゃない視点で、何か残していくことは必要だろうと思います。それも、そこで多くの人が苦しみながら生きたっていうことだけじゃなくて、人間が善意で間違えるってことがあるんだってことを。「らい予防法」が一度出来てしまうと、廃止させるまでに本当に長い戦いをせざるを得なかったっていう教訓のためにも、どこか残すべきと思います。
富国強兵策については、本当に難しい要素があって、簡単に切り捨てられない部分があるんです。というのは、隔離政策で、貧しいとはいえ、寝るところと食べるものを提供しなかったら、多くの人が行き倒れで死んでいたんですよ。だから、「らい予防法」が出来たことも功罪があって、そこは考えなければいけないことなんじゃないかと思うんです。「らい予防法」のせいで、酷いことになったというだけではなく、救った部分もあるんだと思うんですよね。
ハンセン病に関しては全世界で克服出来るような、医療的な成果も出ているわけですけど、中国ではまだ患者数が分かっていないですよ。そういう部分もいっぱいありますから、まだケリがついた話じゃありません。
ですから、やっぱり人は何度も同じ過ちを繰り返す。繰り返すけど、それを忘れないようにするために、「全生園」を残せるなら、残して欲しいです。
-改憲の流れについて、戦争に向かっているという雰囲気について、日本外国特派員協会の会見でおっしゃっていたんですが、それについて話していただけないでしょうか?
宮崎:21世紀に入って、いままでの枠組みでは考えられないようなことが世界中で起こり始めているんだと思います。それこそ、ゲルマンとスラブと、イスラムと。イスラムの中でもISと、そういう葛藤がはっきり形を見せてきた時期だと思いますね。
今、僕らの中に「鎖国していればいいんじゃないか」っていう気分が、日常の中や職場の中に、濃厚に出てきています。僕にも出てきているんですよ。「隅のほうで静かにしていよう」って。さらに「20世紀の人間で、21世紀についてはなかなかわからん」ってこの頃、口走るようになってしまっているんですけど、本当に新しいレベルの葛藤と矛盾が噴出しつつある世界に居合わせているんだから、なるべく目を開けて、道を誤らないようにやっていくしかないと思っているんですけどね。
-改憲についてはどういうお考えですか?
宮崎:それは僕、反対に決まっているじゃないですか(笑)。家内の父親は、懲罰的な招集を受けて大陸に行ってましたから。思想犯で1年3ヶ月捕まってますんでね。
ですから亡くなった義理の母は、子供5人の留守家族で、本当に苦労したんですよ。そういう人達がいっぱいいるわけです。その人達の目の黒いうちは、「平和憲法をやめよう」なんて言えないんですよ。僕は家で絶対言えませんね。だから、僕は憲法を変えるのに反対です。もし世界で変えなきゃいけないとしても、一番最後で良いと思っています。
-もうすぐ3.11から5年経ちますけども、原発再稼働について一言。
宮崎:原発を使わなくて済むような、しかし石油に依存しないで済むような。何か違う発想でやらないと、石油を巡ってISと揉めていても、これは先行きがないなという感じはしますね。でも僕は、原発は再開しないで頑張るべきだと思っています。
-作品の中にハンセン病の患者さんを登場させることに対しての迷いについて、お伺いしたいなと。それも含めて登場させた理由をお答えいただければと思います。
宮崎:主人公(アシタカ)は、村に突然やってきた「タタリ神」っていう、鉛の玉を打ち込まれた化け物から村の娘達を守るために闘うわけですけど、その結果、腕に大変なアザを持つことになった。そのアザは生きていて、コントロール出来ない力と、蝕んでいくものを持っている。非常に非合理なものを抱え込まざるを得ないという運命を主人公に与えたわけです。
それは、ハンセン病と同じなんですよ。ですから、そういう主人公を作ったり、タタラ場の人たちを描きながら、ハンセン病を出さないわけにはいかなくなったんです。その時、本当にためらいました。
でも、彼らに相談はしませんでしたから、映画を観てくれた時にどういう反応があるかっていうのは、本当に恐ろしい覚悟で作りましたので、さっき一緒に並んでいた方々が、映画を観て、とても喜んでくれた時には、本当に肩の荷が降りたような気がしたんです。でも一方で、それで安心していいんだろうかっていう思いもあります。
主人公のアザは完全には消えずに、映画は終わっています。そのアザと共に、主人公の少年は生きていく。
映画では描ききれませんでしたけども、実は中国地方の斐伊川は、たたら者が砂鉄を取って流していた結果、どんどん川底が上がって天井川になってしまった川ですね。今そこを訪ねてみると、とてもキレイな川ですけども、そういう風に人間が作り変えてきた自然のシンボルみたいなものがあるんですよね。
そういう、良いの悪いのと、簡単にケリがつけられない部分で、人は生きて行かざるを得ないし、美しいモノには美しいと感じるし、醜いものには醜いと感じる。もっと深い知恵と、もっと多くの知識を持たないと、楽園はとても作れないにしても、継続可能な国土を作ることも、人生を作ることもなかなか難しいんだろうと思います



