- 2016年01月31日 09:18
物価高騰で貧困に陥る移住高齢者 - 横山了一
タイの物価高騰がじわりじわりと市民生活を脅かしている。昨年、タイの経済成長は2.9%と見込みよりも低迷し、消費も潤わなかった。政府は、今もあの手この手と景気刺激策を打ち出しているものの、いまだ明るい兆しは見えず、暗雲立ちこめるなかで2016年が幕開けした。
屋台飯も数年前に比べ、10バーツは上がった印象
“タイはもはや物価が安い国ではない”
市民生活に直接打撃を与える物価の高騰は、この国の最も大きな課題。特にバンコクに住んでいれば、その傾向は強い。
「タイは物価が安いから生活しやすい」
数年前はその通りだったかもしれないが、現在では、正直そこまで感じることはない。
ことの始まりは、インラック政権が実施した2012年の最低賃金引き上げ。当時、“バラマキ政策”と揶揄された「1日最低300バーツ」(約1000円)という施策は、市民の生活向上に一役買ったものの、人件費の高騰は、徐々に物価高騰に影を落としていくことになる。
特に日本人においては、アベノミクスにともなう円安も逆風となった。こと日本円で給料をもらっている駐在員は実質の所得減少であり、ビジネスマンの間では「タイはもはや物価が安い国ではない」という認識が広まっている。
ブームのラーメンも日本円で1000円以上は普通
“駐在員目線”で物価の高騰を考察すると、まずは接待や家族連れで頻繁に訪れる日系レストランの価格高騰が顕著。昔はラーメン一杯を注文すれば、200バーツ以内(700円)が当たり前だったが、気がつけば300バーツ(1000円)も普通となった。タイはサービス料(平均10%)と消費税(7%)がかかる店舗も多く、実質約2割増しも物価高の印象を強めている。今なら日本でラーメンを食べた方が、お得ではないだろうか。
また、居酒屋の一品メニューの価格も日本とそう変わらない。長年、タイに住む日本人にしてみれば、「原価が安いのになぜ?」となるわけだが、これもまた素材の価格が上昇し、さらに前述した人件費の高騰もあれば、もはや価格高騰は避けられない。
店にもよるが、日系レストランでちょっと飲み食いすれば、1人あたり2000バーツ(7000円)は普通であり、もはや日本と変わらないだろう。一方、日本では飲食店の激安傾向もあり、頻繁に日本に出張するビジネスマンとすれば、「今や日本よりも高い」という感覚になってしまうわけだ。
日系レストランの価格高騰も日々感じるところ
駐在員の価値観が、日本との比較がベースになっているのは否めない。日本での激安傾向と相反するタイの現状を考えると、なおさら物価高騰を感じてしまうのは事実。また、駐在員はタイの近隣諸国の出張が多く、カンボジア、ラオス、ミャンマーといった国とも比較してしまうため、よりタイの物価高騰を目の当たりにするわけである。多くのビジネスマンから「人件費が上がっている。タイでワーカーを雇うにも、価格競争のメリットが少なくなってきている」という声は枚挙にいとまがない。
物価高騰の背景は日常生活のグローバル化
サードウェーブ系コーヒーも平均100B以上(330円以上)
バンコクにおいては物価の高騰もありつつ、世界中のものや文化が集まり、グローバル化の流入という背景もある。例えば、スターバックスでラテを頼むと日本とほぼ同価格の120バーツ(約400円)はかかり、サードウェーブ系コーヒーも平気で100バーツ(330円)はする。税の問題もあり、ユニクロは日本に比べて2割ほど高く、ゴルフ道具、パソコン関連商品、Apple製品などいずれも日本より高い。
すでにおわかりだと思うが、スターバックスや日系レストランには行かず、タイローカルに根ざした生活をすれば、ここまでコストはかからない。ただ、それらに慣れている日本人はなかなか生活水準を変えようとはしない。物価高騰の背景には、日常生活のグローバル化という側面があるというのも、また事実である。
“リタイアプア”化する日本人
PC周辺機器などは日本の方がはるかに安い
とはいえ、物価の高騰がもたらした影響はそれだけにはとどまらない。駐在員のみならず、タイで余生を過ごし、悠々自適な生活を送っていたリタイア組にも大きな影響を与えている。
80歳で奥様と2人暮らし、大手企業の第一線で働いた後にバンコクに移住。現在は企業年金と国民年金を受給しながら、年に2回は日本に帰るという、リタイア組の“勝ち組”であるMさんから聞いた話だ。
円安の影響、物価の高騰は、年金暮らしの人々に大打撃を与え、海外における“リタイアプア”を生み出している。Mさんによれば、懐が厳しくなったリタイアプアは、もはやバンコクでの暮らしを諦め、チェンマイへの移住にシフトしているという。インフラ、住居環境、飲食も充実するチェンマイは、日本人のみならずタイ人にも人気の観光スポット。バンコクと比べると、比較的物価が安く、それでいて時間がゆったりと流れている非常に心地のよい場所であり、穏やかに暮らすには理想的。そんなチェンマイだが、Mさんから正直、耳を疑わずにはいられなかった話を聞いた。
のんびりとしたチェンマイに移住者が増えつつある
Mさんがチェンマイに行った際、ターペー門近くの大通りを歩いていると、突然、同年齢くらいの日本人男性から声をかけられ、「まもなく自分の口座に入金があるのだが、当座の金に困っている。すぐに返すから、少し貸してくれないか? 日本人ならわかってくれるだろう」とお願いされたという。当然、Mさんは断ったが、これまで聞いたこともない手口に驚き、同時に貧窮の惨状を感じずにはいられなかった。そんな路上生活者のような物言いで、日本人が日本人に金を無心されるなど、まったく想像していなかったからだ。
また、バンコクでもMさんがよく利用する、大手日系カード会社のサービスカウンターでも以下のようなことがあった。
同店では、カード会員対象にコーヒーを無料で提供しており、昼時には駐在員妻たちの憩いの場にもなる場所。そこにカードの有効期限が切れているにもかかわらず、さも会員のように入店し、平然とコーヒーを飲んでいる年配の方が増加しているという。会員になるには、年間約2000バーツ(約7000円)ほどの入会金が必要だが、それも支払えず、無銭飲食している人が増えているという、なんとも切ない現実。今の状況を振り返りMさんは「もはやタイはロングステイには向いていないかもしれない。今後もリタイア組は減っていくでしょう」と嘆いた。
タイ政府は現在も国民の所得増加を目指しており、再び最低賃金の引き上げを行う可能性は高い。言うまでもなく、その先に待ち受けるのは、さらなる物価の高騰。自動車を中心とする製造業が集積するタイは、労働力の安さが何よりも魅力であったが、実は日系企業が多く進出する決め手となったのは、安価な価格に支えられている“住みやすさ”という点が大きかった。あらゆる意味で生活のしやすかったタイでの暮らしに、大きな変化が訪れようとしている。
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