- 2016年01月29日 13:00
伝説の大女優・原節子は「大根役者」だった - 茂木 健一郎
この世は、1つの舞台であり、すべての人は役者であると、シェークスピアはその戯曲の台詞に書いた。
確かに、そうかもしれない。人と人との関わりの中で、私たちは、多かれ少なかれ、「演じている」。「演じる」と言っても、必ずしも意識して演技しているわけではない。知らずしらずのうちに、ある役割を引き受けているのだ。
人間の脳には、関係性によって、自分のあり方を変える力が備わっている。小さな子どもだって、お母さん、お父さん、お兄さん、妹、先生、あるいは近所のおじさんといるときで、それぞれ、少しずつ態度が異なる。
演じることは、決して偽善ではない。むしろ、人間としての自然なあり方なのだ。それは、子どもの頃の「ごっこ遊び」から、会社における役割分担まで、社会生活を営むうえで欠かせない能力である。
それでは、すべての人間には「役者」という側面があるとして、いわゆる「名優」とは、どのような人を指すのだろう? あるいは、「名演技」とは、何なのだろう? そこには容易には解き明かされない謎があり、また、数多くの誤解もあるように感じる。
日本映画に金字塔を打ち立てた伝説の女優、原節子さんが亡くなった。原さんはその凛とした美しさと格調の高い演技で知られたが、特に、小津安二郎監督の作品で、世界の映画史に残る演技をした。
小津監督の『晩春』『麦秋』、そして『東京物語』は、主人公が「紀子」という役名だったので「紀子三部作」と言われ、世界の映画人から高く評価されている。とりわけ、『東京物語』は、映画関係者の投票で世界の映画史上1位の名作に選ばれたこともある。この作品の中での原節子さんの演技は、永遠に語り継がれるだろう。
原節子さん逝去の知らせは、日本の報道機関によって大きく報じられただけでなく、欧米のメディアでも詳しく伝えられた。評伝や、追悼記事も配信された。原節子さんという女優の存在の大きさが、改めて感じられたのである。
ところで、原節子さんには、1つの謎がある。それは、原さんは、もともとは、決して演技がうまいほうではなかった、ということである。
実際、逝去を機会に出た追悼記事の中にも、原さんご自身の、「大根役者とばかり言われている」という発言を引用したものがあった。その演技は器用とは言えず、また天性の勘があったとも言えないのだとしたら、どうやって原さんは「伝説の大女優」になったのだろう。
似たようなことは、小津映画を代表するもう1人の名優、笠智衆さんにも言える。笠さんは、『東京物語』をはじめとする数多くの小津作品で原さんと共演したが、やはり演技がうまいとは見なされていなかった。むしろ、不器用で、ぎこちないと言われながらも、ついには歴史に残る名優になったのである。
小津安二郎監督は、いわゆる演技の巧い役者をむしろ嫌って、原節子さんや笠智衆さんのような少し不器用な役者さんを愛したとも伝えられる。いずれにせよ、原さんや笠さんが役者として大成したことは、人生という舞台で演技をする私たちに、勇気を与えてくれそうだ。
自分の役割を、器用にこなすことができないと感じる人ほど、努力を続ければ「名優」になれるかもしれない。原節子さんの笑顔は、そんな人生の機微を教えてくれる。
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