- 2016年01月22日 06:00
ハーバード大学は「音楽」で人を育てる――アメリカのトップ大学が取り組むリベラルアーツ教育 - 菅野恵理子 / 音楽ジャーナリスト
2/2世界を知り、世界へ向けて表現すること
では21世紀におけるリベラルアーツとは何だろうか? 今は知識を多く持つだけでなく、知識をどう生かすかがテーマとなる。いくつか授業の事例をご紹介したい。
未知の価値観と向き合う
たとえばハーバード大学の教養科目には『初日~5つの世界初演(First Nights: Five Musical Premiers)』という授業がある。初演とは、曲が初めて世界にお目見えする瞬間である。聴衆がどのように未知の音楽に出会い、受けとめたのか、当時の評論記事や書簡などから考える。その5曲とは、『オルフェオ』(1607年モンテヴェルディ作曲)、『メサイア』(1742年ヘンデル作曲)、交響曲第9番(1824年ベートーヴェン作曲、『幻想交響曲』(1830年ベルリオーズ作曲)、『春の祭典』(1913年ストラヴィンスキー作曲)で、いずれも当時の価値観を変えた作品である。
たとえば『春の祭典』初演ではパリのシャンゼリゼ劇場が野次で大騒動となったが、後に傑作として評価を得ていったように、初めて見聞きするものには拒否反応が起こりやすいが、価値が分かれば受け入れられていくものもある。実はこの授業では新曲を委嘱し、その世界初演を聴く機会がある。つまり自分たちも「未知の音楽」が生まれる瞬間に立ち会うのだ。それは、新しい物事や価値観に接した時に、どのように向き合うのかを考えることでもある。
自ら問いかけ、探究する
スタンフォード大学では音楽、映画、絵画、彫刻、文学などの芸術作品を通じて、「人はなぜそのように考え、表現したのか」「それが社会にどのような影響を与えたのか」などを、歴史的・社会学的・哲学的視点から学ぶ。答えはただ一つではなく、他人から与えられるものでもない。自ら世界に問いかけ、探究してほしい-そのような考え方が背景にある。
教養科目「芸術へのイマージョン」担当教授の一人、ジョナサン・バーガー教授は「芸術は曖昧さを受け入れ、創造的に考え、問いかけ、挑戦することを教えてくれます。学生にとって、自らの思考の枠を超えるチャレンジでもあります」と語る。
たとえば「厳粛さと軽妙さ」をテーマにした学期は、交響曲、オペラ、バレエ、映画、ポピュラー音楽、マジックなどを通して、芸術家がいかに風刺やパロディを通して社会問題を世に訴えてきたかを読み解いていく。教材としてシェイクスピア『マクベス』、ストラヴィンスキー作曲・ニジンスキー振付『春の祭典』、ショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』、ベンジャミン・ブリテン『戦争レクイエム』、マルセル・デュシャン作『泉』など、芸術ならではの暗喩的な表現法を知る。演奏家や学者などの外部講師も交え、講義と少人数によるグループ討論が週2回ずつ行われるほか、学外へのスタディツアーも実施している。
自分のルーツや世界の多様性を知る
カリフォルニア大学バークリー校ではアンサンブル実技の授業が多数開講されており、どの学科生でも受講できる。一例を挙げると、吹奏楽、コーラス、ゴスペル合唱、バロック・アンサンブル、コンテンポラリ即興アンサンブル、ジャワ・ガムラン、アフリカ音楽アンサンブル等である。音楽理論だけでなくパフォーマンスも学ぶ意義とは、その音楽がもつ文化的背景を身体で体験することにある。
東アジア伝統音楽の授業を担当するボニー・ウェイド教授は、「楽器を演奏することによって、音楽が自然に身体に入り込み、それを通じて自分や相手の国を知ることができます。中国・韓国・日本は部分的に歴史を共有しながらも、楽器の発展やヨーロッパ文化の受容に違いがあります。この授業を通して、『母国にこんなに豊かな文化があることを知りました。実際に見てみたい』という移民の学生もいます」と語る。世界の多様性を理解する意味においても、音楽を学ぶことは文化研究と位置づけられている。
地域やグローバル社会と繋がる
ハーバード大学では約3分の2の学部生が楽器を演奏でき、さらに自分がもつ能力や資源を社会に還元していくことも意識されている。冒頭でご紹介したように、地域社会に音楽を届けるボランティア活動も活発である。また音楽を通じて、日本と米国の架け橋となっている日本人もいる。大学3年生の廣津留すみれさん(ヴァイオリン)は毎夏Summer in JAPANというセミナーを大分県で開講し、ハーバード大現役生数名を講師に迎えて、7~18歳の子供たちに英語のスキルやコミュニケーション術などを教えている。
ハーバードで募集をかけると学業・演奏ともにできる人材が自然に集まるそうで、セミナー期間中には国際交流コンサートも開催される。「スポーツや音楽など、自分を表現できる課外活動の魅力も伝えたいと思っています。多才なハーバード生がプロレベルの演奏している姿を見て、『勉強だけでなく、部活や習い事も頑張ろう』『自分も社会のいろいろな人に会って交流してみよう』と思うモチベーションになればと願っています」と語る。廣津留さんの将来の夢は、音楽を通じて社会貢献をすることだそうだ。
このようにアメリカの大学では、人間、歴史、世界を知るツールとして、また自分を表現し、世界と繋がるツールとして、音楽を生かしている。年間1000人以上の学生が音楽を履修し、そこから現代社会に通用する音楽家が育っているだけでなく、他分野の学生も音楽を積極的に学び、マルチな教養を身につけているのである。
今は世界中にいる同志を見つけられる時代。言語であれば論理的な説明や翻訳が必要であっても、音楽であれば一瞬にして通じ合うこともできる。実はグローバル時代にこそ真価を発揮できるコミュニケーションツールなのである! どこまでも広く深い音楽のエッセンスを、ぜひ生かしていきたい。
サムネイル「Michelangelo Caravaggio 020」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
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著者/訳者:菅野恵理子
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単行本(ソフトカバー) ( 304 ページ )
ISBN-10 : 4865591257
ISBN-13 : 9784865591255
画像を見る 菅野恵理子(すがの・えりこ)
音楽ジャーナリスト
音楽ジャーナリストとして世界を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる』(アルテス・パブリッシング)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て独立。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。



