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- 2016年01月20日 22:56
私にとってのウィキペディア
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今朝起きたら、ウィキペディア日本語版の記事が100万を超えていた。
日本でも、今では「ウィキ」と言ったら「ウィキペディア」のことを指す、と思われるくらいに多くの人々に知れ渡ったウィキペディア。
つい先日、ウィキペディアが15歳の誕生日を迎え、「あなたにとってウィキペディアとはなんですか」と問いかけていたので、私にとってのウィキペディアについて考えてみる。
それでも日本語版のウィキペディアは信頼されているほうだ。それは日本におけるウィキペディアへのアクセス率の高さからも分かる。日本語版ウィキペディアは記事数こそ少ないが、とてもたくさん参照(利用)されている。諸外国語版に比べても、まあまあ信頼できる、と言える。
「鵜呑みにするな」という声は、「信頼に足りない」という気持ちから来るよりも、どちらかというと「自分で考え調べる努力をしろ」という気持ちから来ていると思う。学生がレポートを書くのにウィキペディアを丸々コピペしたりして問題になるのは時々聞く話だ。
なぜ日本語版の記事がこんなに少ないのかはよく分からないが、私もウィキペディアの充実のために記事を書こうと思ったことがある。しかし記事を書くのは予想外に難しいということが分かった。
有名な項目についてはもうすでに記事がある。まだ記事がないのは無名な、マイナーな項目だが、そのようなマイナーな項目はそもそも参考文献が少ない。自分の見識や見解だけで記事を書くと「要出典」のタグを付けられてしまうので、権威(参考文献)を探さなければならないのだが、それが平凡社や小学館の百科事典ぐらいしかなかったとすると、それはその百科事典の丸写しになってしまう。あるいは、ウェブで情報を探して英語版ウィキペディアくらいにしかその項目についての説明がなかったとすると、それはやはり単なる英語版ウィキペディアを翻訳しただけ、ということになってしまう。
ウィキペディアの記事を書くのは意外に難しいのだ。
アンサイクロペディアに集う人たちはウィキペディアの多すぎる「要出典」タグを皮肉り、「ユーモアを解さない人たち」と言う。
だが、本当にウィキペディアは面白くないのだろうか。
例えば、【野比のび太】という項目がある。
のび太というのは漫画『ドラえもん』に出てくる架空の人物である。その架空の人物についての項目が14000字を超える長文で驚くほど詳しく書かれている。過去の厖大な漫画やアニメを「出典(参考文献)」として、性格やら特技やらについて事細かに書かれているのである。
例えば、ウィキペディアに拠れば、のび太の特技の一つは射撃で、「1個の空き缶にピストルの弾丸6発を空中で全弾命中させるという離れ技も見せている」のだそうだ。そしてその特技について「ドラえもんに至っては「現代では全く役に立たない能力」と断じている。」と書かれている。
私は、こうしたところに、ウィキペディアのユーモアセンスを感じる。
のび太について知りたいと思ったときに、紙の百科事典を引いても載っていない。こういうのはウィキペディアにしか載っていない。もちろん、のび太のことを好き勝手に面白おかしく書こうと思えばいくらでも書けるが、ウィキペディアの面白いところは、こんな漫画の登場人物について、大真面目に書いているところにある。真面目に調べて書いているからこそ面白いのである。
多すぎる要出典タグは時に煩いと感じられるかもしれないが、【野比のび太】の項目などは、確かな典拠がウィキペディアを面白いものにしている一例と言える。
また、利用者側の課題としては、やはりウィキペディアに過度に依存しすぎない、ということが挙げられると思う。ウィキペディアの文章を丸々コピペ、などという行為は、「典拠を示しなさい」「原典に当たりなさい」というウィキペディアの精神の真逆を行っている。
「ウィキペディアを鵜呑みにしない」という言葉をウィキメディア財団は嫌がらないだろう。
15周年、おめでとう。
今朝起きたら、ウィキペディア日本語版の記事が100万を超えていた。
日本でも、今では「ウィキ」と言ったら「ウィキペディア」のことを指す、と思われるくらいに多くの人々に知れ渡ったウィキペディア。
つい先日、ウィキペディアが15歳の誕生日を迎え、「あなたにとってウィキペディアとはなんですか」と問いかけていたので、私にとってのウィキペディアについて考えてみる。
そこそこ信頼できるオンライン百科事典
ウィキペディアをどこまで信頼していいかというのはずっと議論のある話で、「鵜呑みにしてはいけない」とよく言われる。どれだけ信頼できるかというのは、項目やジャンルにもよる。例えば時事的な項目で編集合戦が行われているような項目には、たくさんの注意喚起が書かれている。それでも日本語版のウィキペディアは信頼されているほうだ。それは日本におけるウィキペディアへのアクセス率の高さからも分かる。日本語版ウィキペディアは記事数こそ少ないが、とてもたくさん参照(利用)されている。諸外国語版に比べても、まあまあ信頼できる、と言える。
「鵜呑みにするな」という声は、「信頼に足りない」という気持ちから来るよりも、どちらかというと「自分で考え調べる努力をしろ」という気持ちから来ていると思う。学生がレポートを書くのにウィキペディアを丸々コピペしたりして問題になるのは時々聞く話だ。
記事を書く難しさ
日本語版の記事数は2016年1月時点で世界13位。アジアの中でもセブアノ語、ワライ語、ベトナム語に次いで第4位。日本の人口(日本語話者数)や日本のネット利用率の高さから考えても少なすぎる数字だ。もっとも、セブアノ語版やワライ語版などは、ボットで記事を粗製濫造しているとも聞くから、必ずしも記事数が多ければよいというものでもないが。なぜ日本語版の記事がこんなに少ないのかはよく分からないが、私もウィキペディアの充実のために記事を書こうと思ったことがある。しかし記事を書くのは予想外に難しいということが分かった。
有名な項目についてはもうすでに記事がある。まだ記事がないのは無名な、マイナーな項目だが、そのようなマイナーな項目はそもそも参考文献が少ない。自分の見識や見解だけで記事を書くと「要出典」のタグを付けられてしまうので、権威(参考文献)を探さなければならないのだが、それが平凡社や小学館の百科事典ぐらいしかなかったとすると、それはその百科事典の丸写しになってしまう。あるいは、ウェブで情報を探して英語版ウィキペディアくらいにしかその項目についての説明がなかったとすると、それはやはり単なる英語版ウィキペディアを翻訳しただけ、ということになってしまう。
ウィキペディアの記事を書くのは意外に難しいのだ。
ウィキペディアの面白さ
“アンチ”ウィキペディアの存在として「アンサイクロペディア」というものがある。ジョーク版ウィキペディアといったところか。アンサイクロペディアに集う人たちはウィキペディアの多すぎる「要出典」タグを皮肉り、「ユーモアを解さない人たち」と言う。
だが、本当にウィキペディアは面白くないのだろうか。
例えば、【野比のび太】という項目がある。
のび太というのは漫画『ドラえもん』に出てくる架空の人物である。その架空の人物についての項目が14000字を超える長文で驚くほど詳しく書かれている。過去の厖大な漫画やアニメを「出典(参考文献)」として、性格やら特技やらについて事細かに書かれているのである。
例えば、ウィキペディアに拠れば、のび太の特技の一つは射撃で、「1個の空き缶にピストルの弾丸6発を空中で全弾命中させるという離れ技も見せている」のだそうだ。そしてその特技について「ドラえもんに至っては「現代では全く役に立たない能力」と断じている。」と書かれている。
私は、こうしたところに、ウィキペディアのユーモアセンスを感じる。
のび太について知りたいと思ったときに、紙の百科事典を引いても載っていない。こういうのはウィキペディアにしか載っていない。もちろん、のび太のことを好き勝手に面白おかしく書こうと思えばいくらでも書けるが、ウィキペディアの面白いところは、こんな漫画の登場人物について、大真面目に書いているところにある。真面目に調べて書いているからこそ面白いのである。
多すぎる要出典タグは時に煩いと感じられるかもしれないが、【野比のび太】の項目などは、確かな典拠がウィキペディアを面白いものにしている一例と言える。
ウィキペディアの存在意義と課題
こうして考えると、ウィキペディアの存在意義というのは、紙の百科事典には決して拾われないような項目の充実ぶりにある、と言えるかもしれない。同時にそういった隙間をより充実させていくことが課題とも言えるだろう。また、利用者側の課題としては、やはりウィキペディアに過度に依存しすぎない、ということが挙げられると思う。ウィキペディアの文章を丸々コピペ、などという行為は、「典拠を示しなさい」「原典に当たりなさい」というウィキペディアの精神の真逆を行っている。
「ウィキペディアを鵜呑みにしない」という言葉をウィキメディア財団は嫌がらないだろう。
15周年、おめでとう。



