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「理想」が「現実」に勝利した台湾選挙 台湾から緊急リポート! - 野嶋 剛

 台湾の選挙で、賭博が盛り上がるのは台湾では周知の事実だ。巨大な資金が動くとされ、勝敗のみならず、票数までも賭けの対象となる。2004年に陳水扁総統が選挙投票日前日に銃撃された事件は、その後も真相が明らかにならないミステリーになっているが、賭博関係者が起こしたという説がいまも根強く語られており、そう信じている台湾人も実に多い。

 賭場の胴元もそれぞれ政党に情報源を持っているので、彼らの見方は馬鹿にはできない。我々外国人はどうしても得票率で分析してしまうが、台湾の賭博関係者は、たいてい得票差を賭けの基準の一つにしている。

 今回、賭博業界はもちろん蔡英文の勝利を予想していたが、得票差ではかなり見方が割れていた。その筋の関係者に聞いたところでは、選挙前1カ月の時点では、最も掛け率が低かったのは蔡英文が150〜200万票差で勝利する、というあたりだったという。過去最も差がついて2008年の馬英九圧勝のときは、220万票差だったので、そこまでは達しないとのう読みがあり、250票差から100万票差の範囲で賭けが成立していたという。300万票差の大差、あるいは、50万票差の接戦になると、賭けは成立しなくなったらしい。

 ところがふたを開けてみれば、蔡英文と朱立倫の票差は300万票。賭場はどうなったのだろうか。賭けが不成立ならばかえって損はしなかった胴元はホッと一安心したかも知れない。ただ、300万票差という情報は、投票日直前にいろいろ取材した結果、民進党の幹部や地元メディアのベテラン記者、某大学の政治研究者が口をそろえて「可能性がある」と語っていたので、選挙戦終盤においては、想定内の数字になっていた。それぐらい最後の段階で国民党の失速は如実だった。

立法委員選挙でも大敗した国民党
今回の選挙の最大の「異変」

 総統選だけではなく、同日に行われた立法委員選挙では、台湾の政治観察をしている人間からすれば、総統選挙以上に驚きを感じる結果となった。立法委員選挙は小選挙区制であり、なんといっても日本と同じで地盤や人脈を長く持っている人が強い。国民党は長い一党専制時代のお陰もあって地元の利権構造をがっちり握った組織があり、浮動票が影響しやすい総統選では負けても、立法委員選挙では過去に一度も民進党に遅れは取ってこなかった。

 しかし、結果的には、113議席のうち、民進党は68議席を獲得。ヒマワリ運動の参加者が主体となってつくった新政党「時代力量」も5議席を獲得し、台湾の主体性や独立を求める人々の勢力は73議席となり、全体の3分の2に接近している。これこそ今回の選挙の最大の「異変」かもしれない。

 では、民進党勢力と国民党勢力との間で、でこれだけの差を広げたものは、何だったのか。馬英九総統の対中接近路線にノーを突きつけた、と見る人もいるだろう。台湾の人々のバランス感覚としては、確かに、その部分もあったと思う。しかし、台湾において、まったく不人気で支持率が10%を切っているために「9%総統」と悪口を言われた馬総統にとっては唯一、世論調査で「評価する」が50%を上回ったのが中国政策だった。

 そのため、対中接近が不満で国民党が敗北したと言い切ることは論理的に難しい。中国への嫌悪感は社会に広がってはいるが、かといって中国と縁を切れとか、日本のように中国崩壊論の本が売れるような状況にはなく、依然として数十万人が台湾から中国にわたってビジネスに従事するなど、経済での一体化は日本の比ではない。

「台湾は台湾であろうとする心」と
「安心できる生活を営みたいという心」

 では、台湾の人々は何を思って、今回、民進党にこれだけの票を投じたのだろうか。このことを理解するには、台湾の人々の投票行動を左右する「二つの張力」について考えてみることが近道かもしれない。

 台湾の政治では2つの「張力」がいつも戦いを繰り広げている。それは「台湾は台湾であろうとする心」と、「安心できる生活を営みたいという心」である。両者は通常は対立するものではないが、台湾においては時に二者択一の相反する回答が出る項目となり、対立の火種になりやすい。

 前者の「台湾は台湾」を背負うのは、民進党を中心とするグリーン陣営であり、今回躍進した「時代力量」もここに入る。一方、後者の「安定」を背負うのは国民党を中心とするブルー陣営である。この2つの心理は、常に台湾の人々の心のなかに、人によって割合の大小の差はあれ共存している。台湾で長年続いた外来政権統治に反発する心理と、厳しい国際情勢による将来への不安感が創り出した台湾特有の現象であり、理想と現実の絶え間ないせめぎ合いが台湾人の心の中では起きている。

 台湾では、中国との関係について対立を望まない「現状維持」が圧倒的な世論の支持を受けながら、自らを中国人ではなく、台湾人であると考える「台湾アイデンティティ」の持ち主の割合が急速に増え続けている。別の言い方をすれば、経済的に中国と近づきながら、政治的に(あるいは社会心理的に)中国とはますます離れていくという矛盾した状況であると言えるだろう。

 今回敗北した国民党の選挙で特徴的だったのは「我々に任せておけば、中国とも米国ともうまくやっていける。民進党に任せておいたら大変なことになる」という主張だった。安全をたてに取った、一種の恫喝とも言える。総統候補である朱立倫は、そうした危機意識をできるだけ有権者に持たせようと努力していた。だが、それは2008年や2012年の総統選では通用した手法だったが、今回は通用しなかった。なぜなら、現実主義的なアピールだけでは、理想を求める台湾の人々の心をつかむことができないからであり、2014年の貿易サービス協定に反対するヒマワリ運動が成功した本当の意味に、国民党や候補の朱立倫は十分に気づけなかったのかもしれない。

中国との関係は深まったが生活は豊かにならなかった

 また、中国との関係が深まったこの8年間において、地価は上昇し、中国人観光客はあふれたが、台湾人の生活は決して豊かにはならなかった。私と同世代の台湾の知人からこんな話を聞いたことが印象に残っている。
「私が20年前に大学を卒業したとき、初任給は2万元だったが、地価は新築マンションで一坪5万元。10年働けば、小さな家が買えるという希望があって、ほぼその通りになった。私の息子は高校生だが、いまの大学生の初任給は平均3万元で、地価は中古マンションで一坪50万元。一生かかって買えるかどうかの値段で、結婚、出産を考えたら、夢も希望もない話で、少しは馬政権になって状況が良くなるかと思ったが、そうはならなかった。中国と貿易が増えても、観光客が増えても、大した違いはないと実感したんだ」

 台湾経済の雇用難や賃金の低迷、産業の空洞化はグローバリゼーションのなかで日本や韓国などほかの国々でも同様に起きていることで、馬総統の責任とは言い切れないところも多い。しかし、「中国と関係を良くする」ことの目標が「生活の向上」にあるならば、その目標が実現しない以上、中国との関係だけを売り物にしている国民党が見捨てられるのは自然の流れである。

 台湾の人々は、蔡英文に「台湾は台湾という道をしっかり歩んで欲しいが、中国ともほどよい距離を保って付き合ってほしい」という願いを持っている。そのことを十分に知っている蔡英文は、だからこそ、当選後に最も注目された当選演説のなかで、支持者に向かって「現状維持は私が台湾の人々に対して行った約束であり、国際社会に対する約束でもあり、言った以上は必ず守る」と言い切った。これが目下のところ、蔡英文が発信した最重要メッセージだ。

 民進党が「台湾は台湾」という道を捨てないことは誰もが知っている。しかし、「現状維持」を守れるかどうかには不安を抱いている。そのことに対して、蔡英文ははっきりと、両立を約束したと読み解くべきである。

色褪せた「中国国民党」と「一つの中国」

 三度目の政権交代となった台湾の民主化は着実に成熟していき、台湾社会における台湾アイデンティティの強化は今後も不可逆的に続いていくだろう。一方で、情勢の変化に応じて、「安定」を求める張力が高まる日もいずれやってくる。その日のために国民党はどのように備えていけるのか。敗者となった国民党が再起を図るには、今回の敗因を深く受け止め、問題が山積する党の再生に取り組むしかない。「台湾は台湾」ということが大前提となった社会のなかで、「中国国民党」という党名と「一つの中国」という蒋介石時代の看板を抱えながら、生き残れるほど台湾政治は甘くないことを、今回の選挙は示したのである。

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