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台湾総統選挙の結果について - 矢野義昭

台湾の総統選挙は予想通り民進党の蔡英文候補の圧勝に終わった。定数113議席の立法院の選挙でも、民進党は過半数を制した。民進党の勝因としてはまず、昨年3月の学生の立法院占拠に象徴される台湾の若者を中心とした民心の変化が挙げられる。

1.台湾人としてのアイデンティティの勝利

 台湾人としてのアイデンティティは90年代半ば以降、大きく変化している。92年の世論調査では、台湾人との意識は18%未満であった。しかし、その後台湾人との意識は年々増加している。国民党とはいえ本省人であった李登輝総統が、1996年の民主的直接選挙の下で勝利し、「中華民国在台湾」と称して台湾が「一つの国」であるとの立場を明確にした。

 この頃から、国民の間で台湾人としての意識が高まるようになった。特に、教育改革が進められ、台湾人という国民意識が教育の場で堂々と教えられるようになった影響は大きい。この時代に学校教育を受けて育った若者たちが、今では「時代力量」を結成し第三極となるなど、政治を動かす中心勢力になりつつある。

 現在の世論調査結果によれば、台湾人との意識を持つ人が約6割を占めており、それに対して中国人との意識を持つ人は3.5%程度に過ぎなくなっている。特に若い世代ほどその傾向が強く、世代交代に伴い外省人、本省人の区別も薄まってきている。

2.大陸への経済的依存の低下

 もう一つの大きな要因は、中国経済への依存度の低下である。民進党の陳水扁政権成立後は、政権運営の未熟さもあり経済面、行政面での混乱が強まり、結局内部の汚職問題が発覚して国民の失望を招いた。陳水扁総統は国民党の候補者が分裂したことにより選出されたという幸運もあり、必ずしも実力が認められて有権者の過半数の支持を得て勝利したわけではない。

 他方では、民進党政権下でも中国経済の急成長を背景に、政治面での冷却化とは別に、大陸への投資と中台貿易の急拡大など台湾の経済面での大陸依存が深まった。8年前の選挙では、それまで民進党の支持基盤であった経済界が国民党の馬英九政権支持に回り、馬英九候補は勝利した。

 しかし昨年末頃から顕著になってきた中国経済の失速傾向により、台湾の特に経済界は、対中依存体質から日米や東南アジア諸国との経済関係を再び重視しようとする姿勢に転換している。また、馬英九政権は大陸との経済関係を強めることにより、台湾に繁栄と安定がもたらされると約束して政権を奪還したが、その約束は成果を生まなかった。馬英九政権の下での大陸との経済交流拡大は一部の財閥や富裕層には富をもたらしたものの、台湾企業の大陸進出に伴い台湾国内経済の空洞化が進み、特に若者の就職難をもたらした。

 昨年3月の学生たちの「ひまわり運動」による立法院占拠のきっかけとなったのも、馬英九政権が、大陸に対するサービス業の開放をうたったサービス貿易協定批准を巡る立法院での審議を一方的に打ち切ったことにある。この協定が発効すれば、台湾経済を底辺で支える小売業、サービス業などが打撃を受け、失業率がさらに高まることが懸念された。そのため、学生の行動は一般大衆からも広く支持された。今回の民進党躍進の背景には、幅広い国民一般大衆の、馬政権が採ってきた大陸との経済交流拡大路線が生んだ台湾国内経済の疲弊と雇用の悪化に対する不満が潜在している。

3.不信を招いた馬英九の大陸寄り政策と蔡英文総統の対日関係重視

 さらに、馬英九の大陸寄りの政治姿勢により台湾の民主と自由が損なわれるのではないかとのインテリ、学生層の危惧も、馬英九、国民党への反発を招いた。特に、「九二共識(1992年コンセンサス)」といわれる、国民党と大陸との間で「一つの中国」という認識について合意したとの口頭了解に対する、台湾国民の不信感は根強い。馬英九総統は昨年11月の習近平国家主席との会談でも、「一つの中国」に同意したと受け取られている。また、馬総統が、蔡英文総統が就任するまでの4か月間に、両岸の政治統一を容認するような発言をするのではないかとの疑念ももたれている。

 このような馬総統の大陸寄りの政治姿勢が、台湾にも香港のように、将来なし崩し的に中国の民主化弾圧、抑圧政策を受け入れさせることになるのではないかとの懸念が広がったことも、今回の勝利の背景にある。特に、習近平政権は、民主派、少数民族の独立運動、キリスト教徒、言論人などに対する弾圧を強めており、最近も、香港で出版関係者が行方不明になるといったことが相次いでいる。このような大陸での中国共産党一党独裁体制強化の動きも台湾の民心を国民党から離れさせたと言える。

 では、蔡英文総統の下で、台湾の安全保障政策、対外政策はどのような方向を目指すのであろうか。外交面では、大陸との関係も冷たいながらも当面は安定的に推移するとみられる。

 蔡英文候補は勝利しても、当面は独立論を封じて、両岸関係の安定化を重視した現実的な大陸政策をとるとみられる。陳水扁政権が失敗し、馬政権も果たせなかった、経済の立て直しで実績を上げ、国民の幅広い信頼と支持を得ることが蔡英文総統にとり、当面の最大の課題となるであろう。

 他方の習近平政権も、株価の下落に象徴される経済の不調、腐敗一掃キャンペーンに名を借りた江沢民派との国内権力闘争の激化、昨年の軍事パレードで明言した軍改革の実施など、国内の権力基盤と体制固めに忙しく、習政権にとっても当面は対台湾関係は小康状態が望ましいであろう。

 日本との関係は蔡英文総統の登場に伴い、さらに深化することみられる。台湾にとり重要な外国は米国と日本であり、蔡英文氏は在野の時から米国のみならず日本も訪問するなど、日本との関係も重視している。日本が最も期待されているのは経済面での支援であろう。日本は、蔡英文政権の経済再建政策を側面から強力に支援し、台湾経済の大陸依存脱却を加速させつつ、台湾経済の安定的な成長と雇用問題の解決を実現し、蔡英文政権の政権基盤の安定化に寄与すべきであろう。そのための対台湾投資、日台間の貿易、人的交流の拡大、金融支援、先端技術分野での協力強化、留学生と研修生の受け入れなど、経済、金融、技術、教育面での協力強化が求められる。

4.最も懸念される力のバランスの変化

 しかし、最も問題になるのは、安全保障面での台湾支援である。その背景には、米中と中台間の軍事的な力のバランスの変化がある。

 米国のシンクタンクの見積もりや国防総省の議会への報告によれば、現状でも、軍事的には中国による台湾周辺の小諸島への侵攻は可能であると評価している。さらに2020年代初めころには、現在の中国の海空軍の増強近代化、水陸両用戦力、空輸能力の強化などのペースが続けば、台湾側が軍の近代化などを行っても台湾海峡の海空優勢は大陸側に奪われ、台湾本島への侵攻も可能になると予測されている。

 また米中間でも、「接近阻止・領域拒否」戦略が効力を高めている。現在でもすでに、中国本土には1千基を超える短距離弾道ミサイル、5~6百発の核・非核弾頭の戦域ミサイル、地上配備戦闘爆撃機などが配備され、質量ともに年々増強されている。このため、すでに米空母も台湾海峡に入れない状況になりつつある。

 このことを如実に示しているのが南シナ海の現状である。中国は、南シナ海で国際海洋法条約に反する岩礁埋め立てと3本の3千メートル級滑走路の建設を強行している。これに対して、米国は艦艇や爆撃機を時折行動させているものの、力により原状復帰させることまではしていない。逆に中国は民間機の試験飛行を行うなど、既成事実を積み重ねている。この南シナ海での米中の動きは、「接近阻止・領域拒否」戦略が実効性をすでに持っていることを示している。

 人民解放軍は党の軍事力であり、その最高の指揮権と統帥権は習近平中央軍事委員会主席に集中されている。習近平は就任以来、「中華民族の偉大な復興」のための「富国強軍」を重視政策として掲げ、軍に対しては主権、とりわけ「核心的利益」の断固たる護持を要求している。

 台湾は最優先されるべき「核心的利益」であり、必要とあれば武力統一も辞さないとの中国共産党の方針には、いささかも変化はない。また、尖閣諸島も2013年の米中首脳会談で習主席は、「核心的利益」であると発言したと報じられている。今後も中国の台湾、尖閣侵攻を目的とする軍事力の質的量的増強は、経済成長が鈍化しても、従来のペースで継続するとみるべきであろう。

 日米が、従来のような安全保障面での対台湾政策を続け、中国が従来のペースで軍事力の増強近代化を続ければ、時間とともに米中、中台間の力のバランスは中国側に有利になる。

 そのような変化を放置しておけば、例え台湾国民が蔡英文候補のもとに結集して自由、民主と台湾の主権を守ろうとしても、武力に訴えてでも「核心的利益」である台湾の統一を成し遂げようとする中国の覇権拡大に抵抗し続けることは、時間とともに困難になるであろう。

 台湾の実質的な独立と主権を支えるには、台湾に対する軍事的な支援が欠かせない。2015年12月、オバマ政権は米台関係法に基づき、ミサイルフリゲート艦2隻など約2200億円相当の武器を台湾に売却することを議会に報告した。その中には、離島防衛のための水陸両用戦闘車量も含まれている。人民解放軍による金門、馬祖、澎湖諸島などへの侵攻に対する逆上陸のための装備であり、これら小諸島への侵略を抑止するための措置と言える。これまでのオバマ政権の姿勢から台湾援助に一歩踏み込んだ措置であり、南シナ海での滑走路建設など、中国側の派遣拡大に対する警戒感を示したものと言える。

 日本としては、最も安全保障上緊密な関係にある台湾に対し、本来ならば安全保障面でも、より強力な支援態勢をとるべきであろう。特に、先島諸島と台湾本島とは唇歯輔車の地政的位置関係にある。台湾防衛のためには先島諸島への侵攻又は制圧が必要となり、先島への侵攻には台湾本島からの反撃に対処しなければならない。

 しかし、日台関係法もなく国交もない現状では、例え集団的自衛権の行使が認められても、日本は台湾に対して武器援助など軍事面での直接的な支援はできない立場にある。日本としても、日台関係法を制定し、武器援助ができる態勢を構築する必要がある。

 できうれば、日台国交回復を成し遂げ、正式の相互防衛が可能になる態勢を創ることが望ましいが、大陸側との国交断絶、緊張激化という事態も予測され、慎重な対応が必要であろう。ただし、大陸による台湾への武力侵攻など、緊急時には、日本としても軍事面での支援に踏み切るという選択肢も検討しなければならない。台湾有事は、日本にとり最も切実な集団的自衛権の発動の対象事態と言える。その備えが日本には求められている。

 また平時から、台湾海峡での情報・偵察・警戒監視、対潜哨戒、防空面などでの、日台の実質的な共同対処態勢の構築、シーレーン防衛、対潜作戦、ミサイル防衛などでの地域的な分担のための調整などを、できる限り進めねばならない。

 台湾との間の尖閣問題を巡る協議と合意の形成、防空識別圏の問題を巡る協議、信頼醸成のための措置での合意など、外交・防衛面での懸案事項を解決することも必要である。

まとめ:日台は運命共同体

 台湾が中国大陸の共産党独裁政権下に入れば、南西諸島の防衛は困難となる。さらに、現在の沖縄の政治状況から見れば、琉球独立論が高まり、米軍撤退、平和裏の人民解放軍進駐といった事態が生ずるおそれもある。

 そうなれば、韓国も中国寄りの政策をとらざるを得なくなり、日本本土は四面楚歌となり、生命線であるシーレーンも寸断され、繁栄も独立も危機にさらされるであろう。

 台湾の独立維持は日本にとっても安全保障上の喫緊の課題である。正に日台は運命共同体と言える。台湾の独立保持のための安全保障上の支援を可能にする具体的な枠組み作りへの勇断が、いま日本には求められている。
矢野義昭(やの よしあき)
1950(昭和25)年大阪生れ。昭和47年京大工学部機械工学科卒。その後同文学部中国哲学史科に入学、昭和49年卒。同年久留米幹部候補生学校に入校。普通科幹部として第6普通科連隊長兼美幌駐屯地司令、第1師団副師団長兼練馬駐屯地司令などを歴任。平成18年小平学校副校長をもって退官(陸将補)。現在、JFSS政策提言委員、拓殖大学客員教授。核・ミサイル拡散、対テロ、情報戦などについて研究。 著書『核の脅威と無防備国家日本』(光人社)、『日本はすでに北朝鮮核ミサイル200基の射程下にある』(光人社)、『イスラム国 衝撃の近未来』(育鵬社)等多数。

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