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台湾総統選挙と立法院選挙結果-蔡英文総統の誕生を歓迎する - 平林 博

一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長 平林 博

 台湾で8年ぶりの政権交代が決まった。

 まずは、確立した民主主義のもとで総統選を制した蔡英文民進党主席と台湾の有権者に祝意を表したい。

 我が国にとっても、極めて望ましい結果である。中国への傾斜を強めてきた馬英九政権は国民の支持を失った。新政権は、台湾のアイデンティティーと我が国との関係を重視する政権になると期待される。

1.1月16日の総統選挙において、民主進歩党(民進党)の女性党首・蔡英文氏が、政権党である国民党候補・朱立倫氏を、689万票対381万票の大差で破った。5月20日に政権交代が実現するが、すでに馬英九政権はレ―ムダックになった。

 立法院においても、定数113議席のうち、民進党は40議席から68議席に伸ばし、単独多数を制した。国民党は29議席マイナスの35議席にとどまった。第3勢力である「時代力量」(時代の力、「ヒマワリ学生運動」から生まれた新党)が5議席を獲得した。中国とのサービス貿易協定反対に端を発したこの運動は、政党への変貌を遂げ、今回立法院での重要な地位を占めるに至ったのである。まさに、台湾の多様性を象徴する現象である。

 国民党の最大の敗因は、馬英九総統が「一つの中国原則を確認したうえで解釈はそれぞれに委ねる」という「92年コンセンサス」(法的な合意文書なない)のもとで中国との関係強化に前のめりになりすぎたことだ。今や多数となった本省人とくに若者を中心に、台湾自身のアイデンティティーが薄れていくことへの強い危惧があった。

 馬英九総統は、昨年11月7日シンガポールにおいて、習近平国家主席との間で、1949年の中台分裂後初めての首脳会談を行った。得意の絶頂であった。中国の一部には、この会談を行った二人の首脳はノーベル平和賞に値するとの過剰(?)評価も現れた(精華大学公共管理学院の台湾研究者、鄭振清)が、これは結果的には馬英九総統を「褒め殺す」ことになった。選挙中は、中国は逆効果になることを恐れて表向きの干渉を控えたが、行政府、立法府双方における民進党の躍進は中国への警戒がもたらした側面が強い。

2.対日関係においても、馬総統は、中国への傾斜に反比例するように冷たかった。

 台湾の歴史教科書も改訂され、これまで日本の台湾統治は「日本統治」と呼称していたのを「日本植民地統治」と呼称する教科書も出現した。ちなみに、教科書においては、台湾は「中華文化が中心」とし、多様性を否定するような叙述もみられる由。

 馬英九政権は、尖閣問題では、これまで以上に主権を強硬に主張した。中国のあからさまな尖閣諸島に対する強硬策に便乗するかのようであった。

 12月の日韓両政府間の韓国人元慰安婦に関する「最終的かつ不可逆的合意」が成立すると、台湾人元慰安婦に対しても同様の措置を日本に要求する指示を在日台湾代表部に下した。台湾人慰安婦は、アジア女性基金の償い金と日本政府による福祉医療資金ならびに日本の首相による反省とお詫びの手紙を受け取り、すでに解決済みであるにもかかわらず、である。もっとも、蔡英文氏も、この問題では馬英九総統の姿勢を支持したし、女性であるだけに、どういう姿勢をとるか、予断は許さない。

3.筆者は台湾問題については素人であるが、直感的に思うのは、次の諸点である。

(1)中台分裂後67年も経ち、中台は政体も社会も全く違った行き方を確立したにもかかわらず、馬英九政権は、中国重視のあまり台湾のアイデンティティーや独自性を自ら否定ないし過小評価した。すでに、中国から渡ってきた外省人は全人口の10%であり、90%はもともとの台湾人(本省人)およびその後台湾で生まれた世代を含め「台湾人」なのである。

(2)中台は経済関係を進めてきたが、多くの台湾人はそれを歓迎しつつも、中国の影響力の浸透を警戒した。とくに、習近平政権は国内では強権独裁ぶりを強化させ、基本的人権への抑圧を強めてきた。「一国二制度」の約束のもとにある香港においてすら、民主的運動や報道の自由などへの弾圧を強めている。多くの台湾人は、台湾が香港ひいては中国内におけるような民主主義的価値の否定や基本的人権の抑圧が台湾にも及ぶのではないかと恐れたのである。

(3)特に台湾の若い世代には、このような傾向が強いようだ。若い世代は、総統選においては蔡英文氏を、立法院選挙においては「時代力量」を支持したようである。我が国では、本年7月に予定される参議院選挙から、有権者の年齢が18歳に引き上げられる。台湾における若者の力は、我が国の若者にも少なからざる刺激とインスピレーションを与えるであろう。我が国の政治家も、古いマントを脱ぎ棄てて、新たな時代に対応できるよう身を引き締めるべきであろう。

(4)蔡英文主席も、中国との関係では「現状維持」が選挙公約である。中台の経済は互恵関係にあり、相互に相手を必要としているからである。また、各種の対話も継続するであろう。しかし、台湾のアイデンティティーや民主主義を断固守るというのが、今回二つの選挙で台湾人有権者が出した結論であり、蔡英文氏は尊重する必要がある。

 しかし、中国は、いずれ台湾に対し陰に陽に各種の圧力や嫌がらせを行ってくる可能性は排除されない。

(5)南シナ海問題への影響にも注視する必要がある。蔡英文新政権の誕生は、日本と東南アジア、インド洋などへと通ずるシーレーンでの自由通行などにとって朗報である。新政権はこの問題に対し慎重な態度をとるであろうが、中国の覇権主義的行動への牽制になることを期待したい。

(6)蔡英文主席は、当選確定後の内外メディアとの記者会見において、「日本との関係を非常に重視している。関係を強化し続ける。」と述べた由。尖閣諸島については、「主権は台湾に属する」としながらも、この問題が双方の関係発展に影響することを望まない。」と述べた趣である。我が国としては、このような蔡英文新政権との関係を緊密なものとするために努力する必要があろう。たとえば、TPPについて蔡英文政権がこれを望むのであれば、我が国は支持すべきであろう。

(了)

平林 博(ひらばやし ひろし)
1940年、東京都生れ。1963年、東京大学法学部卒、外務省入省。フランス留学、ハーバード大学国際問題研究所フェロー、在イタリア・フランス・中国・ベルギー・米国各大使館在勤の後、外務省経済協力局長、内閣官房兼総理府外政審議室長(現在の内閣官房副長官補)、駐インド(兼ブータン)特命全権大使、駐フランス(兼アンドラ、兼ジブチ)特命全権大使を歴任。2007年、外務省退官。 現在、(一社)日本戦略研究フォーラム会長、(公財)日印協会理事長、三井物産㈱取締役、第一三共㈱取締役、東横イン㈱取締役を務める。 主な著書に『あの国以外、世界は親日!主要国を歴任した元外交官による「新・日本論」』(ワニブックス)、『フランスに学ぶ国家ブランド』(朝日新書)、『首脳外交力、首相!あなたがメッセージです!』(NHK出版協会)、『日本とインド、いま結ばれる民主主義国家』(共著:文藝春秋社)、『愛される国日本』(共著:ワニブックス)等。

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