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テロリストの息子 / ザック・エブラヒム(佐久間裕美子 訳)

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母が息を飲む。イブラヒムが息を飲む。警官の一人が呆れた表情で、SWATの隊員に手を振る。隊員は銃を降ろす。

母は、父のベッドに駆け寄る。イブラヒムは、母にスペースを与えようとゆっくりとあとに続いた。

ババは意識不明で、腰まで服を脱がされた体は悲惨に腫れている。6台もの機械にワイヤーやチューブでつながれて、首には郵便局担当の警官に撃たれた箇所に、縫われた長い傷があった。まるで首に巨大なキャタピラーが付いているようだ。看護婦たちがベッドのそばで忙しく働いている。邪魔されたことに不満げだ。

母が、ババの肩に触ろうと手を伸ばす。体は硬くて、皮膚は冷たく、彼女はひるむ。「死んでしまったの?」震える声で彼女が聞く。「ヤ・アッラー。もう死んでしまった!」

「ノー、死んではいません」。看護婦の一人が、いらだちを隠そうともせずに言う。暗殺者の家族。「手は出さないで。触ってはいけません」

「夫なんです。なぜ触ってはいけないの?」

「規則ですから」

母は、あまりのつらさに理解することができない。けれどあとになって、看護婦たちが恐れていたのは、母がチューブやワイヤーを引き剥がして、父を死なせることだったのだと考えた。母は父のそばに手を置く。耳元にささやきかけようと屈み込む。大丈夫、そばにいる、愛してる、もし私が来るのを待って頑張っていたのなら、大丈夫、そばにいるから、愛してる、楽にしてもいい。──母は看護婦たちが見ていない隙に、頬にキスをする。

しばらく経って、集中治療室のそばの小さな会議室で、医師が母に、父が一命を取り留めたことを伝える。医師は、この夜、彼女が初めて出会った思いやりのある人物だった。彼のまっすぐで人間味ある同情に触れて、母は初めて涙を流す。彼は母が気を取り直すのを待って、あとを続ける。ババは体内の血液の大半を失って、輸血を施された。首のどこかにまだ銃弾があるけれど、頸動脈がほぼ切断された状態だったから、銃弾を探す危険を犯したくなかった。銃弾が体から出なかったことが、父の命を救ったのだ。

母が伝えられたことすべてを消化するあいだ、というか、少なくとも消化しようとするあいだ、医師は母のそばに座っている。そして警官たちが戻ってくる。彼らは母とイブラヒムをエレベーターに先導し、降下のボタンを押す。エレベーターが到着してドアが開くと、一人が指を差して再び言った。「乗れ」

外は明るくなり始めていた。いつもなら空が美しく見えたはずだ。けれどラビ・カハネの死がちょうど確認されたばかりだった。銃弾はラビの体のほうは通過して外に出て、父を殺しかけたのと同じ傷で彼は死んだのだった。駐車場はなおもパトカーと衛星中継車で埋め尽くされていて、すべてが醜く、母もイブラヒムも、朝の礼拝はできていなかった。母はふたつのことを考えて自分を慰める。ひとつは、父が何かに取り憑かれてこんな酷い行為に及んだのだとしても、彼が誰かを傷つけることは二度とないということ。もうひとつは、彼が生き残ったことは天からの贈り物だということ。

その両方について、母は間違っていた。

第2章 現在

殺意に満ちた憎悪を教え込まなければならない理由がある──教え込むだけじゃない、力づくで植えつけなければならない。こんなことは自然に起きる現象じゃない。噓っぱちだ。何度も、何度も、繰り返される噓。それも財力がなくて、世界を別の仕方で見るという選択肢を奪われた人々に与えられる噓。僕の父が信じた噓。父が、僕に引き継がせようと望んだ噓。

1990年11月5日に父が行なったことは、僕の家族をめちゃめちゃにした。おかげで僕らの家族は、殺害の脅迫とメディアからの嫌がらせ、遊牧民のような生活と恒常的な貧困にさらされることになった。何度も「新しい出発」を繰り返したけれど、その先にはたいていの場合、以前より悪い生活が待っていた。父がやったことは、まったく新しいタイプの不名誉で、僕らはその巻き添えだった。父は、知られているかぎり、アメリカ本土で初めて人の命を奪った最初のジハーディスト(イスラム教の聖戦主義者)だったのだ。父は、最終的にアルカイダを名乗ることになる海外のテロ組織の支援を受けて活動していた。

そして、父のテロリストとしてのキャリアはまだ終わっていなかった。

1993年の初頭、父はニューヨーク州のアッティカ刑務所の監房から、ジャージーシティのモスクの関係者とともに、世界貿易センターの一度目の爆破事件の計画を立てるのを手伝った。その中の一人に、フェズ(トルコ帽)とウェイファーラーのサングラスを身につけたオマル・アブドッラフマーンがいた。メディアは彼を「盲目のシャイフ」と呼んでいた。その年の2月26日、クウェート生まれのラムジー・ユーセフとヨルダン人のイヤード・イスマイールが計画を実行に移した。爆薬をいっぱいに積み込んだ黄色いライダーのバンに乗って、世界貿易センターの地下の駐車場に突っ込んだのだ。彼らが、そして父が抱いた恐ろしい期待は、タワーの片方がもう片方を倒して、この世のものとは思えないレベルの犠牲者を出すことだった。けれど結局、4階分のコンクリートに、30メートルほどの幅の穴を開ける爆発を起こし、1000人強の無実の負傷者、そして6人の死者(うち1人は妊娠7カ月の女性だった)を出すという結果でよしとせざるをえなかったわけだ。

父の行為について悲しくも自分が知っていたことから、子どもたちを守ろうとした母の努力と、知ることを必死に避けた子ども心のおかげで、僕が暗殺と爆破事件の恐怖を全面的に消化するのは、何年もあとになってからのことだった。また、父が家族にしたことに対して、自分がどれだけの怒りを抱えているのかを認めるのにも同じくらいの時間がかかった。その当時の自分には、とうてい飲み込めないことだったのだ。恐怖、怒り、自己嫌悪といった感情を腹の中に抱えていたけれど、消化する作業を始めることすらできなかった。93年の世界貿易センター爆破事件のあと、僕は10歳になった。感情レベルでは、すでにパワーを落としつつあるコンピュータのような状態だった。12歳になる頃には、学校でのいじめに遭いすぎて、自殺を考えた。シャロンという女性に出会って、自分という人間に、また自分のストーリーに価値があると思えるようになったのは、20代の中盤になってからだ。それは、憎むことを教え込まれた少年と、違う道を進むことを選んだ男性の物語だ。

僕はこれまでの人生を、何が父をテロリズムに惹きつけたのかを理解しようとすることに費やしてきた。そして、自分の体の中に父と同じ血が流れているという事実と格闘してきた。僕が自分のストーリーを語るのは、希望を与えるような、誰かのためになるようなことをしたいからだ。それは狂信の炎の中で育てられながらも、代わりに非暴力を受け入れた若者の姿を見せること。自分を崇高な人物として描くことはできないけれど、僕ら一人ひとりの人生にはテーマがあって、僕の場合はこれまでのところ、たとえば、こういったものだ。誰にだって選択する権利がある。憎むことを教え込まれても、寛容な生き方を選択することはできる。共感の道を選ぶことはできるのだ。

7歳のときに、自分の父親が、理解できない犯罪のために収監されたという事実は、僕の人生をほとんど台無しにした。けれどそれは同時に、僕の人生を可能にもした。父が刑務所にいながらにして、僕を憎悪で埋めることは不可能だったから。それ以上に、自分が悪魔として描いたタイプの人々と僕が知り合い、彼らもまた、僕が心にかけたり、僕のことを気にかけたりする人間になりうるという事実を発見することを阻止できなかった。偏見は経験に打ち勝つことはできない。僕の体が偏見を拒否したのだ。

家族としての試練を経験するあいだ、母のイスラム教に対する信条が揺らぐことはなかった。けれど彼女も、大半のイスラム教徒と同様に、決して狂信主義者ではなかった。18歳になって、ようやく世界の端っこを見始めたとき、僕は、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ゲイ、ストレート、誰であろうと、もはや人が何者かということを基にその人を評価することはできないこと、そして、その話をした次の瞬間から、僕は人を人間性で判断すると、母に告げた。母は僕の言葉にうなずきながら耳を傾けた。母には、それまで僕が聞いた中でいちばん力強い言葉を発するだけの知恵があった。「人を憎むのはもううんざり」

母にはうんざりするだけの理由があったのだ。僕らの長い旅は、彼女にいちばんの負担をかけた。しばらくのあいだ彼女は、髪を隠すヒジャーブだけではなくて、目以外をすべて覆い隠すニカーブというヴェールを身につけていた。敬虔なイスラム教徒だったうえに、自分が誰だか他人に知られてしまうことを恐れていたのだ。

最近になって、僕は母に、1990年11月6日の朝、イブラヒム叔父さんとベルビュー病院を出たとき、その先に何が待ち受けているのか知っていたかどうかを尋ねた。母は躊躇せずに「ノー」と答えた。「普通に暮らす母親の生活から、メディアを避けながら政府やFBI、警察、弁護士、そしてイスラム教のアクティビストとやりとりする狂気の日々、プライバシーのない生活に変わってしまった。まるでひとつの線を越えたように。その線を越えたら、ある人生から別の人生に移行した。そのあとどれだけ大変になるか、想像もつかなかった」

父は今、イリノイ州マリオンの連邦刑務所に収監されている。扇動的陰謀、恐喝幇助の殺人、郵便局担当の警官の殺人未遂、殺人遂行における銃火器使用、殺人未遂における銃火器使用、銃火器所持ほかの罪状で、仮釈放の可能性のない終身刑プラス15年の判決を受けて。正直に言うと、僕の中にはまだ彼に対する感情が残っている。蜘蛛の巣ほどの薄さになっていたとしても、絶やすことのできない一縷の哀れみと罪悪感のようなものが。自分がかつてババと呼んだ男が、恐怖心と不名誉から家族がみな名前を変えて暮らしているのを知りながら、監房の中で生活している。そのことに思いを馳せるのは難しい。

父のことは、もう20年も訪ねていない。これは、その理由をめぐる物語だ。

リンク先を見る テロリストの息子 (TEDブックス)
著者/訳者:ザック・エブラヒム ジェフ・ジャイルズ
出版社:朝日出版社( 2015-12-05 )
定価:¥ 1,296
Amazon価格:¥ 1,296
単行本(ソフトカバー) ( 188 ページ )
ISBN-10 : 4255008957
ISBN-13 : 9784255008950


画像を見る ザック・エブラヒム(Zak Ebrahim)
1983年3月24日アメリカ・ペンシルべニア州ピッツバーグ生まれ。工業エンジニアのエジプト人を父に、学校教師のアメリカ人を母に持つ。7歳のとき、父親がユダヤ防衛同盟の創設者であるラビ・メイル・カハネを銃撃し殺害した。彼の父、エル・サイード・ノサイルは服役中に1993年の世界貿易センターの爆破を仲間とともに共同で計画する。エブラヒムはその後の少年時代を街から街へと移動して過ごし、彼の父を知る人々からは自分が何者かを隠して暮らした。彼は現在、テロリズムに反対する立場をとり、平和と非暴力のメッセージを拡散させることに自分の人生を捧げている。

佐久間裕美子(さくま・ゆみこ)
ライター

1973年生まれのライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。1998年からニューヨーク在住。 新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。これまで、アル・ゴア元アメリカ副大統領から ウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。 翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』(NHK出版)、著書に『ヒップな生活革命』(朝日出版社)。

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