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- 2016年01月14日 22:22
特集:地政学的リスクと2016年の日本経済
2/3●リスクのように見えてリスクではない
2016年版の”Top Risks”で最も注目すべき点は、Red Herringsではないかと思う。ここでユーラシアグループは、「米大統領選」「中国のハードランディング」「アジアの地政学」はいずれもリスクに非ず、と宣告している。すなわち、ドナルド・トランプ氏が大統領に選ばれる可能性は”A lottery bet”(宝くじ並み)であるし、中国はいざとなれば改革を先送りして社会の安定を優先するだろうし、アジアの3首脳たる安倍首相とモディ首相と習近平国家主席は緊張ではなく、安定化を目指しているとのこと2。そうだとしたら、日本経済として心配すべきことはあまりない。地政学的リスクというものは、「9/11同時多発テロ」(2001年)とか「アラブの春」(2011年)など、普段からまったく想定していないことが起きてしまうから混乱が生じるわけである。今のように中東情勢から北朝鮮まで、危険があることが自明な状態においては、異常事態が起きたからと言ってそれほど慌てる必要がない。さらに言えば、テロ事件などが実態経済に大打撃を与える、ということはそうそうあるものではない。
むしろ「地政学的リスク」なるものは、市場が混乱しているときの便利な理由づけ(Easy Excuse)として使われているのが実態ではないか。安全保障上の問題を取り去って考えれば、今日の世界経済が直面しているのは、①石油価格の下落、②米国の利上げ、③中国経済の不透明性、という3つの問題に集約できる。しかもこれら3要素は、下記のように互いに影響を及ぼしあっている。
① →② :石油価格の下落は、インフレの低下を招くので米国の利上げを遅らせる(年2~3回程度?)。他方、米国経済にとってはプラスに働き、景気を浮揚させる効果がある。従って、雇用情勢は改善するけれどもインフレ率は低いままである。
② →③ :米利上げ観測によってもたらされるドル高は、人民元の上昇圧力となって中国の景気を悪化させると同時に、中国からの資金流出懸念を伴う。現に中国の外貨準備は、昨年9月の3.5億ドルから12月の3.3億ドルまで急減している。
③ →① :中国経済の減速によるエネルギー需要減が、石油価格下落の構造要因となっている。ただし石油価格の下落は中国経済にとってもプラスなので、「製造業は過剰設備で不況」「個人消費は好調で『爆買い』持続」という二面性が生じる。
結論としてどうなるかといえば、(a)石油価格の下落は長期化しそうであり、(b)米国の利上げはゆったりとしたペースとなり、(c)中国経済は不調な製造業と好調な非製造業で明暗が分かれることになる。これらはすべて、日本経済にプラスに働くはずである。
●石油価格に起きている構造変化
ところで筆者は昨年11月末、某媒体から「2016年のビックリ予想」という宿題を頂戴した。そこで、「石油価格が1バレル20ドル台をつける」との回答を提出した。ところがその後、12月4日にOPEC総会が開催されてみると、案の定、減産は決まらず、石油価格は40ドル割れする。その後も右肩下がりが続き、今週は本当に12年ぶりでWTI価格が30ドル割れしてしまった。もはや「ビックリ」でもなんでもない、普通の予想になってしまったし、もちろん筆者の回答は紙面で取り上げられなかったのである。
なにしろ今後は、制裁を受けていたイラン産原油も国際市場に出てくるし、米国は40年ぶりに石油輸出を再開する。産油国の財政はどこも青息吐息で、誰かに減産してほしいけれども自国はやりたくない。サウジアラビアまでもがシェア確保を最優先している。
つまりこの先、石油の供給は減らない。逆に需要側は、「新常態」となった中国を筆頭に、新興国経済が軒並みスローダウンしている。この調子では、石油価格が再浮上するのは当分先のことになるだろう。
2014年夏に下落が始まってから、資源の専門家たちはずっと楽観的であった。「いったん下がってもまた元に戻る」「生産コストからいって80ドル以下はあり得ない」などといった強気論をよく聞いたものだ。「掘削リグがこれだけ減ったからもう大丈夫」という説明も何度も耳にした。ところが今では、強気論者はほぼ絶滅危惧種になりつつある。
あらためて思い起こすのは、経済予測でもっとも当たるのは人口動態であって、もっとも外れるのは石油価格であるということだ。だからエネルギーの世界においては、何があっても驚いてはいけないのである。
われわれが生きてきたこの短い期間においても、1973年の石油ショック、1980年代後半の逆オイルショック、そして2003年以降の高値ラッシュなど、石油の世界では何度も「パラダイム転換」が起きてきた。すなわち、皆が今まで「当たり前」だと思ってきたことが、ある日突然に変わってしまうのだ。だからこそ専門家が間違える。専門家であればあるほど、古いパラダイムに精通しているからだ。
FTのマーティン・ウルフ記者は、石油が有限で価格は長期的に上昇するという考え方はもう当てはまらない、と言う。流れを変えたのはアメリカのシェール開発であった3。
シェールオイルの採算は1バレル50ドルから60ドルといったところだが、その生産性は2007年から14年にかけて30%も改善した。米国の石油生産量は、需要拡大の2倍の速さで増大した。その結果、石油供給の価格弾力性が高くなった。すなわちシェール生産は投資も回収も早いので、値段が上がれば生産し、下がれば休むことが可能になる。これでは固定費の高い、巨大な油田を抱えている伝統的産油国はお手上げである。変動費の石油(シェール)と固定費の石油(既存の大油田)では勝負にならないのだ。
そんなわけで、2016年の世界経済は産油国にご用心ということになる。「サウジの体制改革がどうなるか」が、今週のThe Economist誌のカバーストーリーになっていることは象徴的だろう。さらに言えば、産油国の国家戦略ファンド(SWF)がカネに困って持ち株を処分してくるかもしれず、国際商品を派手に手掛けていたグローバルファンドが手仕舞った、という話も聞く。当面は金融市場の混乱が続くことは避けられまい。
- 吉崎達彦(かんべえ)
- 双日総合研究所取締役副所長・同主任エコノミスト。



