- 2016年01月11日 09:32
北朝鮮の愚行に暴挙と反発しているだけでいいのか
北朝鮮が去る六日に三年ぶり四回目の「核実験」をやったとの報道が世界をかけめぐりました。これが「初の水爆」ではないかとの見方や、2000年以降に核爆発を伴う核実験を実施した国はこの国をおいてほかにないこともあって、大きく取りざたされました。北朝鮮のこうした動きが「核廃絶」を待望する世界の流れに逆行することは紛れもない事実で、断じて許容できないことはいうまでもありません
▼ただ、だからといって外は国連やら米国などの核保有大国が、内にあっても与野党こぞって「許せぬ暴挙」というだけではどうでしょうか。いや、「中国に説得させよう」「経済制裁を加えよ」といった対応をすればいいではないかとの主張もあります。もっとも、これとて毎回のことで、効果なし。却って孤立化を招いて一層の危機的状況を招くだけとの懸念もあります。そんな折も折、朝日新聞7日付一面の「天声人語」欄と「折々のことば」欄は妙に好対照をなす記事で、強い印象を受けました
▼「天人」は、「国際社会での孤立を深めるだけなのに、なぜ暴走するのか」とする一方、「世界を驚かす愚挙」との至極まっとうな糾弾ぶり。25年前に天人子が平壌に行った際に握手を交わした、かの国の独裁者と一女性市民の両者の手のひらの感触の違い(温かい柔らかな手と冷たく荒れた手のひら)を比較しながら、北の指導者が「狼藉を働く度に」、「女性の荒れた手が思い出されて悲しくなる」と結んでいました。読み終えて、ひょいとその左上にあるコラムを見ると、谷崎潤一郎の『刺青』の言葉を引いて、鷲田清一さんが面白いことを言っているのです
▼それは「世の趨勢からあえて外れるのは損得勘定からすれば「愚」であろう」が、「世の習いにすり寄らない、そんな生き方をも懐深く抱擁する社会は、危機をしたたかにくぐりぬける別の選択肢を用意しているともいえる」と。次元を異にするものの比較とは分かっていながら考えさせられました。北朝鮮が世界の生き方から逆流する「愚」を犯しながら、米国を始めとする国家群に対抗るべく、別の選択肢を用意しているかどうか。そんなもの恐らくはもっていないと思います。しかし、核大国に対して虚勢を張ってでも肩を並べようとする生き方に、「断じて許せぬ」とただ情緒的に反発しているだけでは、こっちのほうも「懐深く抱擁する社会」とはとても言えないような気がしてなりません。ここは彼我のとことんまでの「知恵比べ」です。(2016・1・11)



