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新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク - 山口浩 / 経営学

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性的少数者としての一部オタク

ここでいわれているような規制が行われれば、一部オタクがこれら規制対象となったコンテンツを楽しむ権利を阻害するだろう。しかし一部オタクたちは、そうした内容のマンガ等を消費することで、実際に行えば犯罪となるような性的嗜好を犯罪を犯すことなく充足させ、社会と円満に共存している。それが規制されることは、不当な権利制限とはいえないだろうか。三次元、すなわち実際に行うことができない行為を二次元、すなわちマンガなどで疑似体験して解消することは、規制されるべき行為なのだろうか。

もちろん、それが目的に照らして有益であり、かつ不可欠な規制であれば、やむをえまい。しかし、実際はそうではない。

ポルノグラフィの流通が性犯罪の増加につながるかどうかは、各国で研究されているが、政治的な意図をもった結論ありきの一部研究以外では、そのような関係は見出されていない。日本でも同様である。

Milton Diamond, Ph.D. and Ayako Uchiyama (1999). “Pornography, Rape and Sex Crimes in Japan.” International Journal of Law and Psychiatry 22, 1: 1-22.

http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

日本で問題となったマンガについては、問題視されているものの多くは実際には成人向けではなく一般向けのものだが、1980年から1990年までの10年間でマンガ雑誌の売上げはほぼ倍増、マンガ単行本の売上げは3倍以上に増大となったが、強姦で検挙された刑事責任年齢少年男子は半分以下に減少(984名から445名)している。

松文館裁判 意見証人意見書(MIYADAI.com blog 2003-05-03)
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=59

そもそも、こうした創作物においては、被害者はいない。児童ポルノ規制において、児童に対する性虐待の防止は最大の法益ではないかと思うのだが、少なくとも日本の児童ポルノ規制を推進している人々は、マンガなど被害者のいない表現物を規制対象としたい意向を隠さない一方で、いわゆる着エロなど性虐待の成果物を規制対象外としていることには特段の問題意識を感じていないかのようである(この、着エロなどを対象外としていることについては、上記のブーアブキッキ氏も問題視していた)。

さらにいえば、一万歩譲って、そうしたマンガなどが犯罪を助長するなどの有害性を持っていたとしても、そもそも有害かどうかだけで決まる話でもない。たばこや酒、ギャンブル(日本では合法的なものは「遊戯」と呼ばれる)のように、健康や社会生活の安定に害がありうるにもかかわらず一定の制約つきで許されている場合は少なくない。

単に害があるかないかではなく、どの程度の有害性なのか、それはメリットを上回るほどのものなのか、規制以外に方法はないのか、どのような規制が有効なのか、規制の弊害は何かなど、総合的にその影響や意義を考えなければならない。そうした議論の積み重ねなしにただ規制してしまえばいいと主張するのは、てんかん患者には自動車運転免許を与えるな、HIV感染者は就職させるなといった主張と同じ類いの妄言だ。

科学的根拠に欠ける規制強化論者は、根拠がないとの指摘をいくら繰り返しても、聞く耳をもたないことが少なくない。科学的エビデンスをいくら積み重ねても放射能の恐怖を言い立て福島からの移住を叫ぶ人々を思い出す。

さまざまな「根拠」をつけて正当化されてはいるが、その裏にあるのは、つきつめれば「このような表現は保護する価値がない」といった価値判断、あるいは「ああいうのは嫌い」といった感情論である。

2017年4月に行われる予定の消費税率引き上げの際、同時に導入される予定のいわゆる軽減税率の対象品目に書籍など出版物を含めるべきかという議論において、「有害」出版物の存在が問題になっているのも、同じ理由だ。
軽減税率、出版物の線引き難航 自公が議論(朝日新聞2015年12月15日)

http://digital.asahi.com/articles/ASHDG6T2LHDGUTFK01K.html

青少年への悪影響が懸念される出版物を対象とすることには慎重論があり、その扱いや線引きが焦点となりそうだ。

とはいえ、表現の自由論だけでは、一般の人々に対する説得力が今ひとつ弱いのも事実だろう。表現の自由は「有益な表現だから守る」わけではなく、むしろ「無益、あるいは有害な表現であっても守る」という類のものだからだ。一部オタクたちが愛好するマンガやアニメなどに、一般の人たちが何か「積極的」な価値を見出すのはなかなか難しいだろう。

これまでの表現の自由論に加えて、彼ら一部オタクを性的少数者の一部であると位置づけ、そうしたコンテンツを消費することを性的少数者の権利であると主張してみてはどうであろうか。かつてそうだったように、性的少数者の中に、性的指向や性自認における少数者と同様、性的嗜好における少数者も含める、ということだ。

性的少数者である一部オタクたちは、犯罪に走るでもなく、誰に迷惑をかけるでもなく、社会と協調し平穏に暮らしながら、静かにマンガやアニメなどを楽しんでいる。それは、犯罪者の活躍を描いた映画を楽しんで見る観客が自ら犯罪を犯すわけではないこと、疾病を抱えた人が薬を飲みながら平穏な社会生活を送ることなどと似ている。

映画やマンガなどに影響されて犯罪に走る者も中にはいるかもしれないが、それは薬の乱用による副作用のようなものだろう。表現物の規制に走る前に、犯罪者に対する処罰や治療、あるいは犯罪を予防するための教育などで対処していくべき問題だ。上記のような表現規制への動きは、性的少数者への不当な差別以外の何物でもない。

もちろん、現状で何も変える必要がないというわけではない。対応が必要な分野はある。

上記の通り、現在の児童ポルノ禁止法は、着エロのようなものを規制対象としていない点で、法の目的と規制内容の間に齟齬がある。性虐待と無関係の表現規制を行おうとしている点もさることながら、何より実際に起きている性虐待を放置したままである点は容認できない。早急に法改正すべきであろう。これらに対しては、さらに厳しい取り締まりと被害者の保護、被害者予備軍をこれらから守るための諸施策がとられるべきである。

「児童ポルノ」でなく「児童虐待記録物」と呼ぶべきであるとする主張があるが、賛成だ。児童に限らず、ポルノコンテンツの制作過程において、性虐待が行われるケースは少なくない。業界構造に踏み込む政策的対応が求められる。

また、一般の人々の不快感の多くは、こうしたマンガ等の内容そのものより、それらが街中にあふれていることに向けられている。このことを考えれば、販売方法には改善の余地がある。成人指定となっている書籍についてはすでに販売場所の分離などがなされているが、問題は一般向け書籍における性表現だ(コンビニなどで売られているのはこちらだ)。

成人指定とすることで販売場所などの制約を受け、売上が落ちることを懸念しているのだろうが、こうした販売方法が表現規制への積極論を引き出しかねない状況に対して、もう少し敏感であるべきだろう。

多様性こそ豊かな文化

繰り返すが、LGBTの運動自体を否定するものではない。しかし現在のあり方は、社会における多様性を認めていくべきとする旗印に沿ったものとはなっていない部分があるように思う。

多様性を謳いたいのであれば、名称として、一部で提案されている、より包括的なGSDのようなものの方がより望ましいと思うが、仮にそのように変えたとしても、現在は残念ながら、それにふさわしい状況ではないのではないか。

もし、性的嗜好に関する少数者を性的少数者に含めることが、LGBT運動を貶めるものと考えているのであれば、それは内なる差別感情を暴露するものであり、少なくとも多様性を謳う主張とは相容れないだろう。

本稿は、マンガやアニメ、ゲームなどのさらなる規制をはかる動きに対して、表現の自由の観点に加えて、性的少数者の権利という観点から反論していくことを提案するものである。表現の自由は、それが民主主義社会の根本原則であると同時に、多様な表現が文化を豊かにし、社会の発展をもたらすとの考えに基づくものであろう。

多様な表現が文化を豊かにするのは、多様な人々が表現を発信できるからであると同時に、それを受け取る人々が多様だからでもある。

架空の表現が現実の犯罪に結びつくといった理由で規制強化を主張する人は、彼ら自身が架空と現実の区別がついていないだけでなく、自分たちの内なる差別意識が無関係な他人の権利を不必要に侵害し、傷つけていることに気付くべきだろう。

人口が減少に転じ、相対的な経済力も低下傾向にある我が国にとって、豊かな文化は、今後拠って立つべき付加価値の源泉である。

多様性を認め、互いを尊重しあう社会をめざすことは、少数者が生きづらさを感じずにすむ社会であるだけでなく、誰もが文化に貢献できるという意味で「一億総活躍社会」の旗印にふさわしいものであり、また、世界からさまざまな文化を取り入れさらにそれらを改良しながら独自の文化を作り上げてきた日本の伝統に沿ったものともいえるのではないだろうか。

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画像を見る 山口浩(やまぐち・ひろし)
ファィナンス / 経営学
1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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