- 2016年01月07日 12:12
宗派対立が周辺国にも拡大 判断誤ったサルマン強硬体制 - 佐々木伸
シーア派の宗教指導者の処刑をめぐって起きたサウジアラビアとイランの対立は、サウジに続き、隣国バーレーンとスーダンがイランとの断交を決定。アラブ首長国連邦(UAE)が駐イラン大使の召還を発表するなど周辺諸国に拡大した。今回の宗派対立激化の背景には「イランの強迫観念に取り憑かれたサウジのサルマン体制の判断ミスがある」(ベイルート筋)ようだ。
潜在的な対立が噴出
水面下で繰り広げられてきたペルシャ湾岸の2大国、サウジとイランの覇権争いが一気に噴出した感がある。サウジは断交後、イランへの渡航禁止やイランとの商業関係の断絶も発表した。両国は1988年にも、メッカ巡礼で、イラン人巡礼者とサウジの治安部隊が衝突し、イラン人275人が死亡した事件をきっかけに2年間断交した過去がある。
両国はその後、潜在的な対立はありながらも表面上は平穏を装ってきた。しかし2011年の「アラブの春」で、抑圧されてきたサウジやバーレーンなど湾岸諸国のシーア派は支配層であるスンニ派王家への不満を爆発させ、反政府運動を活発化させた。
特に小国バーレーンは支配層であるスンニ派は少数派で、多数派のシーア派による反政府抗議行動が頻発。サウジが戦車部隊をバーレーンに送り込んで反政府行動を鎮圧した経緯がある。サウジやバーレーン王家では、こうしたシーア派の反政府行動の背後でイランが糸を引いているとして警戒心が高まった。
サウジなど湾岸諸国はこれ以上イランの影響力が地域に拡大するのを阻止するため、シリアの内戦でイランが支えるアサド政権に敵対する反体制派を支援。サウジはさらに隣国イエメンで起きた内戦でも、イランがクーデターを起こしたシーア派のフーシ派を扇動しているとして、イエメンに軍事介入した。
昨年9月のメッカ巡礼の圧死事故では、イラン人450人を含む2411人が死亡、イラン側がイラン人元外交官を誘拐するためにサウジが事故を利用していると非難するなど両国の対立と敵対心が深刻化していた。こうした潜在的な不満が臨界点にまで近づいていた時に、サウジによるシーア派指導者ニムル師の処刑が実施された。
王家の内紛も関係か
湾岸諸国のシーア派反体制派の象徴的な存在であるニムル師を処刑すれば、イランとの関係が険悪化し、国連の仲介で25日からジュネーブで始まる予定のシリア和平協議も破綻しかねないことはサウジも十分予想できたはず。にもかかわらず処刑を断行して今日の“中東分断”を招いたのは、イランのシーア派革命に対する恐怖感がサウジの判断を誤らせたからだろう。
今回の処刑については「サウジに対する人権の尊重を再確認したい」(米国務省声明)と米国ばかりか、欧州連合(EU)や国連からも批判が強い。サウジは内政干渉と反発を強め、“子分格”のバーレーンやUAEなどを総動員して処刑を正当化しようとしているが、追い込まれた感があるのは否めない。
イランに対する恐怖感とともにサウジの判断を誤らせた大きな要因は対米不信である。オバマ政権は中東地域からの米軍撤退をしゃにむに進め、アジア重視戦略を打ち出して中東への関与を薄めつつある。「サウジからすれば、米国が中東から逃げ出し、自分たちが見捨てられつつあるとの思いが強い」(ベイルート筋)。
イランの核合意で米国がイランと急接近したのも米国に対する不信感を増大させることになった。「米国はもう頼みにならない。自分たちで守るしかない」(同)という感情がイエメンへの軍事介入に踏み切らせ、そしてニムル師の処刑によってシーア派やイランに対して断固としたメッセージを示そうとしたようだ。
サウジのこうした独立独歩の動きと強硬路線は1月のサルマン新国王の誕生の結果であり、王室内部の内紛とも密接に絡んでいると見られている。サルマン国王はすでに80歳と高齢で、病弱だ。しかし新体制発足後、イエメンへの軍事介入に象徴されるような強硬方針を打ち出し、イランへの敵意をむき出しにしている。
国王の決定には、息子で副皇太子のムハンマド国防相(30)が深く関与し、イエメン軍事介入を推進したといわれている。しかしこれに対して皇太子のムハンマド内相が批判的で、両者の間で次期国王をめぐる熾烈な権力闘争が行われていると伝えられている。
この激化する権力闘争を背景にニムル師処刑の決定が行われことになった。サウジとイランとの対立には、サウジ王室の内紛が深刻な影を落としていることを見落としてはならない。
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