記事

自民党と代理店の陰謀は実在する?西田亮介氏と読み解く「メディアと政治」

1/3

近年、マスメディアで度々目にする「官邸の巧みなメディア戦略」といったフレーズ。政権与党の「メディア戦略」とは、一体どのようなものなのか。マスメディアと自民党の関係、ネット選挙活動などを分析した「メディアと自民党」 (角川新書)を10月に出版した、西田亮介・東京工業大学准教授に話を聞いた。

自民党「メディア戦略」の歴史

-「政党のメディア戦略」というと、いわゆる「プロパガンダ」のようなものを思い浮かべがちです。しかし、西田先生の著書では、民間企業がやっているような広報活動やマーケティング活動に近い印象を受けました。

民間企業であれば常識的な広報やメディア対応が、政治の現場ではかなり場当たり的に行われてきました。そのような中、自民党だけが戦略的意図を持ってメディアと対峙し、様々な取り組みを行っているため、際立って見えるのです。その意味では、官邸と自民党の広報は、企業広報やマーケティングにも似ています。事実、民間企業や広報パーソンとの交流も活発です。

もちろん、広報に関する部局は、どの政党にもあります。しかし、まともな企業広報で行われてているような、ある種の"PDCAサイクル" - 目的を持って、それにそう計画を立て、情報を発信、結果をきちんとモニタリングして、次の計画にフィードバックしていく。 - を、完璧ではないにせよネットにも、そして4マス(新聞・雑誌・テレビ・ラジオの4媒体)に対しても横断的かつ意欲的に行っているのは自民党だけだと言っていいと思います。

最近では官邸にも同じことが指摘できます。第二次安倍内閣以後、広報予算も増えています。かつては自身も露出していた世耕弘成(内閣官房副長官)さんが全くメディアに出て来なくなったことによって、黒子として機能していることがよく分かります。また、今井尚哉(内閣総理大臣秘書官)さんといった方々のこの分野での貢献は動きが際立っています。

-「自民党だけが、そうしたメディア対応ができている」というのは、世耕官房副長官の存在など属人的な理由からでしょうか。それとも、資金力や構造的な理由があるのでしょうか。

もちろん広報において属人的な要素を排除することは出来ませんが、官邸と自民党については、仕組み化が進んでいます。また自民党は長い間、政権与党だったため、ある種のメディアの怖さや旨味、機微もよくわかっています。

例えば、自民党と広告代理店・電通の関係は、それこそ1950年代からです。自民党が60年安保に対する肯定的な言説を電通経由で喚起しようとしましたが、田原総一朗さんがまさに『電通』(1984年)という本の中で赤裸々に描写しています。そういう時代から広告代理店やメディアとのリレーションを培ってきた歴史が自民党にはあるのです。長く与党の座にあり情報も集中しますし、メディアや広告代理店とのリレーションも深い。有利な立場にありました。

しかし、80年代末~90年代頭にかけて、リクルート事件や東京佐川急便事件などの影響で、自民党のイメージはどんどん悪くなっていきました。こうした流れが55年体制の崩壊につながっていくわけですが、その中で自民党はネガティブなイメージを払拭できないままでした。

そこで90年代末から、「自らのイメージが悪化したのはなぜなのか?」という自己分析を始めました。女性の支持者が減っているといわれれば、女性誌に広告を出してイメージ調査を実施したり、グループインタビューをやってみたり、マーケティング活動を行ったのです。

作家の大下英治さんの『権力奪取とPR戦争』にも描かれていますが、当時は与野党共に政治に新しいマーケティング、PRの手法を取り込もうという動きがありました。「マニフェスト」というキーワードもそうです。民主党で言えば、"年金選挙"といったキャッチフレーズがありましたが、あれも広告代理店のフライシュマン・ヒラード・ジャパンや博報堂と一緒に考えていったものです。野党についていえば、岡田克也さんにストライプのスーツを着ることを助言したのも彼らでした。

自民党において、さらにアグレッシブになったのは、小泉内閣(2001年〜2005年)以降でしょう。現在の官邸、自民党広報の萌芽はこの時期に見出すことができます。小選挙区制導入(1994年)以降、"とにかく,次の選挙で勝たないとどうにもならない"ということに気付き、メディアに対してより積極的になっていったのです。政治のほうが被る影響が大きかっただけに、変化も早かったといえます。小泉さんには、「自民党をぶっ壊す」といった印象的なキャッチフレーズを使ったり、型破りな首相というイメージがあります。ですが、元々はボソボソ喋る人で、我々が知っている、闊達自在に、メッセージを発する「小泉純一郎」タイプではなかった。PR会社プラップジャパンの矢島尚氏がコンサルティングに入り、メディア対応のトレーニングを積んだ結果、身振り手振りが段々付いていって、あのスタイルになっていったようです。。

当時、安倍さんや塩崎恭久(厚生労働大臣)さんといった現政権に繋がる人達が党や政府の要職を務めていました。世耕さんは党の委員会でメディア対応が必要だと繰り返し主張していました。公募選挙の導入もこの時期です。世耕さん自身、大学院でコミュニケーションを専攻したというのは有名な話です。

ただ小泉内閣の時代の官邸、自民党の広報活動には、行き過ぎたところもありました。例えば、郵政民営化のタウンミーティングにヤラセがあったことが明らかになり、バラマキ型の広報は難しくなっています。また、2009年の自民党から民主党への政権交代で野党になったことで、自分たちからメディアがあっという間に離れていって、寂しさや、メディアの怖さを痛感した経験もありました。メディアの重要性、怖さが身にしみているというわけですね。

自民党のネットへの対応としては、郵政選挙(2005年)の前にはブロガーの交流会をやっていました。2008、9年頃から準備を始めて、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)を作るなど、ネットも含め無党派層の取り込みを含めたアプローチの開発を小泉内閣時代も、その後野に下ってからも着々と続けていました。

ネット選挙が解禁された2013年の参院選の時には、ネット選挙分析チームとして「トゥルース・チーム」を設置しました。そこでは単にネットの言説動向を分析するだけではなく、そこから得られた示唆を現場の選対に戻すという活動を毎日やりました。応援演説で使うフレーズや、今日は何を話題すればいいのか、という内容をFAX1枚にまとめて流していました。現物の資料を入手できたので、『メディアと自民党』に収録しましたが、なかなかよくできています。"FAX"と聞くと、アナログで時代遅れなように感じるかもしれませんが、現場でFAXしか読まれないのであれば、理に適っています。

この時期、野党のメディア戦略はどうだったのでしょうか。他方で、民主党は、2000年代前半には、代理店に加えて、フライシュマン・ヒラード・ジャパンと組んでいました。田中社長らの書籍にも描かれていますが、民主党は郵政選挙に負けた責任を取らせる形で契約を解除してしまいました。ネットに関しても、"ネット選挙解禁"や"記者会見のオープン化"を、風向きがちょっと変わったらやめてしまっています。組織能力を向上させ、広報技術を洗練していった自民党と比較して、知見や経験を蓄積することはありませんでした。

このような経緯のなかで結果的に、自民党だけが、現代的な「メディア戦略」の知見を蓄積していくことになったのです。

あわせて読みたい

「自民党」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    本厚木が1位 住みたい街は本当か

    中川寛子

  2. 2

    桜問題で安倍前首相に再び窮地

    ヒロ

  3. 3

    安倍前首相の疑惑「詰んでいる」

    ABEMA TIMES

  4. 4

    バイキングで疑惑報道の社長怒り

    SmartFLASH

  5. 5

    安倍氏に弁護士「虚構だった?」

    郷原信郎

  6. 6

    小林麻耶 実母が海老蔵宅に避難?

    SmartFLASH

  7. 7

    GoTo見直し 協力体制みえず幻滅

    中村ゆきつぐ

  8. 8

    赤旗は佐藤優氏批判する資格なし

    鈴木宗男

  9. 9

    集団免疫 日本が目指すのは無謀

    ニッセイ基礎研究所

  10. 10

    GoToは75歳の年齢制限を設けよ

    永江一石

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。