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鮮魚のアマゾンに! 元銀行マンの七転八起【1】 -対談:八面六臂社長 松田雅也×田原総一朗 - 田原総一朗の「次代への遺言」

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最初の起業は失敗倒産寸前に……

【田原】先が見えちゃうとつまらないですからね。それからどうしたんですか?

【松田】東京の小さなベンチャーキャピタルに転職しました。仕事は楽しかったですよ。会社の近くに住んで、毎晩終電が終わっても働いていました。数字も積み上がって、会社のナンバースリーまで出世しました。

【田原】でも、そこも2年で辞めたそうですね。

【松田】会社のトップと価値観が違ったのです。その会社のトップは社員に激しく詰め寄るタイプ。組織をどう運営するかという哲学のところで、何度も衝突して辞めてしまいました。退職後は、マッキンゼーの採用試験を受けましたが、これは失敗。それなら自分で会社をつくるしかないと思って起業したのです。

【田原】それは八面六臂とは別の会社ですか。

【松田】はい。私が起業したのは、2007年。当時すでに電力の自由化が始まっていましたが、民間電力会社から電力を買う事業者はほとんどいなかった。まだ普及していないなら逆にチャンスだと考えて、民間電力会社の電力を売る会社をつくりました。

【田原】電力ビジネスはどうだったんですか?

【松田】うまくいかなかったです。民間電力会社のプランなら電気料金が数%安くなりますが、その程度のメリットでは、東京電力さんから電力を供給されるという安心感にかなわなかった。半年やってもほとんどお客さんが取れず、あと1カ月で資金が底をつくというタイミングでこの事業は断念しました。とりあえず営業力はあったので、その後は携帯電話や求人広告を売ったりしながら食いつないでいました。

【田原】その後は?

【松田】銀行員時代の先輩の紹介で、ある物流ホールディングスの新規事業を手がけることになりました。ソフトバンクから回線を仕入れ、それに独自のサービスをつけて提供するMVNO事業です。この仕事は事業をつくってスケールさせるという点で、とても勉強になりました。子会社の責任者としてゼロから事業を立ち上げて、初年度の売り上げは800万円。翌年は3億円。さらに次の年は10億円近くというところで結局は辞めてしまいましたが。

【田原】どうして辞めたの? うまくいっていたのに、もったいないじゃない。

【松田】子会社の責任者といっても、自分で株を持たない雇われの立場でしたからね。やりたいことがあっても親会社の意向でできなかったりして、俺は本当にこんなことがやりたかったのか、いや違うだろうと。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

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