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真心を包み込む、リンボウ先生の手紙の流儀

昨年、家族へしたためた手紙をまとめた『イギリスからの手紙』を上梓した「リンボウ先生」こと作家の林望さんに、真心を伝える手紙の要諦を聞いた。

自作のカードで手紙を楽しむ

平安時代の貴族には「後朝(きぬぎぬ)の文」という習慣がありました。当時の通い婚では、ご婦人の閨に通う男性は夜明け前に引き揚げるのが礼儀でしたが、自邸に帰ったらすぐに歌を詠んで、まだ一夜の余韻が残っているうちに女性のもとへ届けなければなりませんでした。これが「後朝の文」。色男であるには、まめでなければならなかったわけです。

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作家・日本文学者 林 望氏

異性にもてるということに限らず、今でも他人とよい関係を結ぼうと思ったら面倒くさがってはいけません。すでに印刷済みの「お礼状」に署名だけして送るなんて、実に失礼なことだと思います。例えば、作家の丸谷才一先生は、私が本やお中元をお送りすると、必ず表書きも文面もすべて自筆の葉書をくださいました。そういうところに丸谷先生のお人柄が表れている。ほんの2、3行の手紙でも私のために書いてくださったと思うと嬉しかったですね。

そういうよいところはぜひ学びたいと思い、私も必ず年賀状には直筆でひと言添えるようにしています。ただし私の場合、普段の手紙は、パソコン上に用意してある便せん用のヘディング付きシートに書き、プリントアウトした後、直筆でサインを入れるようにしています。

手紙は直筆であるかどうかよりも、一人ひとりの相手に向けて書くという姿勢のほうが大切です。相手と自分との関係というのは、常にユニーク(唯一、独特)なものです。だから、それが仕事上の付き合いにしろ、個人的な交誼にしろ、相手と自分にしかわからないような共通の話題を織り交ぜて書く。「この間、食事した寿司屋は美味しかったですね」などというものでいいのです。また、例えばお中元にメロンをもらったら、必ず食べてから感想を添えてお礼を申し上げる。箱も開けないうちに書いたお礼状なんて、まったく意味がありません。

不思議なもので、心が込もっている手紙かどうかは、文面から自然に伝わるものです。たまに、書道のお手本のようなきれいな文字だけれど、まったく内容のない儀礼的なことしか書かれていない手紙が届くことがありますが、ああいう手紙なら書かないほうがいい。手紙はきれいな字で書く必要はないのです。

汚い字というのは、ある意味その人の個性であり、その独特の文字で書くことに手書きの意義があるわけですから。それでも気になるなら、私のようにパソコンで書けばいい。そのほうが相手も読みやすいし、いくらでも推敲できます。書き損じて何度も書き直す必要もありません。

こうして便せんに書いた手紙を、自分で描いた絵や自分で撮った写真などを印刷した2つ折りのカードにきちんと折ってはさみ、封筒に入れて送るのが私の流儀です。原則として葉書は使いません。

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手製の便せんとカードをセットにし、封書で送るのがリンボウ先生の手紙の流儀(下)。自身の手による絵や写真などを印刷したカードは、相手や季節によって使い分けている(上)。

手紙で一番大事なのは「親書の秘密」です。葉書で送るということは、誰に読まれても構わない程度の内容だということ。封書には、私からあなたへ、他の人に読まれたくない心をこめて送る手紙という意味があります。封を切って手紙を出すときの、ちょっとしたワクワク感も封書のいいところですね。

夏だったら夏の風景を描いたカードを、大学時代の親友には当時の記念写真のカードを、ひとつひとつ相手や季節に合ったカードを。こういう手紙をもらったら喜んでもらえるだろうなと考えながらカードを選んだり、文面を考えたりするのが、私なりの手紙の楽しみ方です。

手紙の精髄はラブレターにあり

手紙に限らず、相手のことを思い浮かべ、語りかけるように書くということが文章の骨法です。書き慣れていない人は構えてしまい、いきなり「拝啓 時下ますますご清栄の……」と書き始めたりしますが、あれはいけません。時候の挨拶にしても、誰に対しても「薫風さわやかな季節になりまして」なんて書かない。例えば、相手が信州に住んでいるなら「東京はすっかり春になりました。信州はまだ雪が残っているでしょうか」、相手が沖縄の人なら「もう沖縄はすっかり真夏でしょうね」となるかもしれません。時候の挨拶を書きたくなければ書かなくてもいい。手紙に「型」なんてないのです。

ビジネスパーソンの方は手紙を書く機会も多いでしょうが、だからこそ、通り一遍の内容のものはそこら中を飛び交っています。ですから「手紙の書き方」みたいな本は読まないほうがいい。同じ手間をかけるなら、礼儀正しい文面の中にも「あなただけはちょっと特別です」とプライベートな関係をにおわせたいところです。例えば営業で初めて訪問した相手へのお礼状に、「今日、初めてお目にかかりましたが、あのように真摯にご対応いただくことは珍しいことです。心からありがたく思っています」としたためるようなことでもいいかと思います。

「後朝の文」ではありませんが、手紙の精髄はラブレターにあるのではないでしょうか。手紙というのは相手のことを思って、真心を伝えるものです。たとえビジネス上の手紙でも、心の奥底にはラブレター的なものをもって書くといいかもしれません。

私はこれまでにいただいた大事な手紙は、特別な箱に入れて残しています。いずれもその手紙を受け取ったときのありがたいと思ったり、嬉しいと思ったり、そういう気持ちが喚起されるようなものばかりです。例えば、亡くなった私の師匠が、イギリスに留学中の私にくださった励ましのお便りなんかは、当時、ほんとうに涙こぼるる思いで読みましたから、今も大切にしています。

逆に言えば、そういう心がこもっていない手紙は、紙くずとして捨てられていく。その違いは文字や文章の巧拙ではありません。その人が私のことを思って、真心を込めて書いてくださっているかどうかなのです。

作家・日本文学者 林 望
1949年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。日本古典籍の調査研究のためイギリスに滞在した経験を綴ったエッセイ『イギリスはおいしい』で、91年作家に。当時、家族に送った手紙をまとめた『イギリスからの手紙』を、昨年上梓した。

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