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2人のシリア人、難民と移民の分かれ目は?

 外国で仕事を見つけ、そこで暮らすことを選んだ人たちを何と呼ぶだろうか。国外居住者や移民、難民を区別する境界線はどこにあるのだろうか。出身国や経済状況は言葉の定義にどんな役割を果たすのだろう。それに、国を出ようとする本人の意志や、受け入れ国の認識はどう影響するだろうか。

 ドイツで暮らす2人のシリア人歯科医の話は、こうした疑問に対する答えが状況とタイミング次第であることを示している。2人はともにキリスト教徒のシリア人で、国を出る前にすでに職に就いていた。1人は自身の専門分野を確立する機会を求めて1992年にドイツに入国した。もう1人はシリアの内戦とイスラム過激派から逃れて、2014年にドイツに入国した。

 1人は国外居住者となり、もう1人は難民となった。

 1人はドイツで家族を作り、事業を始め、59歳の今はシュトゥットガルトで歯科医院の共同オーナーとなっている。もう1人は国から家族を連れてきた。シリアのダマスカスで開業していた歯科医院は閉鎖し、再びダマスカスに戻れるかどうかは分からない。ドイツで歯科医院を開業した1人が同じ歯科医で同郷でもあるもう1人を自身の歯科医院に招き入れた。ドイツでの仕事の仕方を見せるためだ。

 取材に訪れたとき、歯科医院はホリデーシーズンらしくポインセチアや赤いオーナメントで飾られていた。2人の男性は何も恐れるものはないと話したものの、匿名を希望した。彼らの話は状況とタイミングがいかに国外居住者と難民の境界を形成するかを物語っている。

 1990年代のシリアは安定した国だった。少なくとも暮らしぶりの良い中間層にとってはそうだった。2人とも「ダマスカスは不夜城と言われていた」と話す。彼らは地中海式の生活スタイルが恋しいと言う。ドイツで2人が感じているような閉ざされたドアの中の暮らしではなく、家の外に生き生きとした活動がある暮らしだ。

 2人のうち、国外居住者と認定された年長の男性はシリアで収入もよく、歯科医院を所有していたが、1つだけできないことがあった。「歯科医として精神疾患を抱えた患者を診たいと思っていた。だが、シリアではそれができなかった。家族はそうした患者を家の中に隠し、治療のために外に連れ出さなかった」と言う。1991年に男性はドイツで甥の家族と一緒にクリスマスを過ごした。そこでドイツの大学には精神疾患を持った患者に対する歯科治療を学べるコースがあることを知る。

 ドイツで男性は妻と出会い、ここで暮らすことを決めた。ドイツの歯科医師免許を取得するために、数年かけて必要な専門知識と言語能力を身につけた。ドイツは過去数十年間、トルコからの低スキル労働者を受け入れてきた経緯があり、彼はドイツの一般市民から同じような経済移民だとみられることにしばしば苦しんだ。

 雇用主である誰かがこの男性にドイツへの着任を命じたわけではないものの、彼は管理上、自主的に渡航してきた海外居住者に分類される。別の国で自身の専門スキルを生かすことを意図し、経済的・政治的理由からその国への移住を強制されたわけではなく、自ら滞在することを選択した人のことだ。

 海外居住者から移民への身分移行は1997年にドイツの市民権を獲得した時点で完了した。彼は新天地に落ち着くのに伴い、次第に故郷との関係を絶ち始めた。シリアの歯科医院を売却したこともそのひとつだ。「まるで木の根をほんの少しだけ残して徐々に切っていくようだった」と話す。「辛かったが、私自身の決断だった。ここが好きだから」

 43歳の彼の同僚は徐々に故郷に別れを告げるようなぜいたくはできなかった。2011年に内戦が始まった後、ダマスカスの安定した暮らしは急速に失われた。2011年にディレクターとして働いていた歯科診療所で彼はイスラム教過激派に人質にとられた。彼らは薬剤と医療器具を要求した。従業員の父親がなんとか犯人らを説得し、彼は解放された。2012年11月には自身が開業する歯科医院と診療所の間の道で誘拐された。数時間後、誘拐犯らは身代金を取りに行かせるため、彼を家に帰した。

 だが彼は身代金を持って戻る代わりに、妻と1歳の息子を連れて車に乗りレバノンへ逃げた。持っていたのは旅行鞄3個とポケットいっぱいの現金だ。家族の預金は今もシリアの銀行に預けたままになっているが、国際的な経済制裁でシリアが国際金融市場から遮断されているため、外国から銀行にアクセスすることはできない。

 レバノンの首都ベイルートでの暮らしは高くついた。就労の機会は彼にも、建築家である彼の妻にもなかった。8カ月間そこで暮らした後、ブルガリアへの渡航ビザ(査証)をなんとか買うことができ、欧州連合(EU)域内に入ることができた。「ソフィア(首都)の空港に到着したとき、ビザを持っていたのに、シリア人は難民の列に並ばなければならないと言われた」と彼は2013年の当時を振り返る。このエピソードは人によっても国外居住者と難民の定義が違うことを物語っている。

 シリア難民とされた彼とその家族はブルガリアでさらに8カ月を過ごした。その間、収入はなく、手持ちの現金が減るだけだった。2014年、密航業者にお金を払ってドイツに渡った。

 暮らしは良くなった。歯科医院で良き助言者に会うこともできる。妻は工務店でインターンを始めた。だが、妻はいまでもダマスカスの暮らしを懐かしく思っている。一家には少なくとも3年の保護期間が与えられている。その後、シリア情勢が不安定なままであるかどうかが考慮され、彼らの身分が再検討されることになる。仮に帰国できないと判断されれば、彼らはドイツでの定住権が得られることになる。

 彼とその妻がいまだにドイツ語に苦労するなか、4歳になった息子は託児所に1年間通ったおかげもあり、流ちょうなドイツ語を話す。この子がいずれ両親と一緒に平和を取り戻したシリアに帰るのか、それとも移民の子として両親の祖国から遠く離れた土地で成長していくのか、現段階では分からない。もう1人の歯科医の娘は後者だ。ドイツ語を話しながら成長し、アラビア語は大学で学ぶことを選んだ。

 彼らの子供たちは引き続き身分や資格で苦しむかもしれない。ドイツ社会では彼らは「移民の背景」を持つ住民となる。この落ち着きの悪い響きを持つ言葉は移民という複雑な現象をとらえ、わざわざ2世代目まで追跡しようとする、また別の分類だ。

 だが、子世代は親世代よりもっと特定の言葉で分類するのが難しいかもしれない。生まれながらに受け継いでいる伝統から切り離されたような思いをする人がいるかもしれない。一方で、その土地で主流の文化に完全に溶け込む人もいるかもしれない。あるいは自身をグローバル市民ととらえ、仕事や他の理由で、さらに他の国に移住しようとする人もいるかもしれない。

(執筆者のザビーネ・ムスカート氏はジャーナリストでウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニスト。最近、米国から祖国ドイツへ戻った。)

By SABINE MUSCAT

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