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レヴィナス『モーリス・ブランショ』新装版のためのあとがき

最初に出てから23年後にエマニュエル・レヴィナスの『モーリス・ブランショ』が復刻されることになった。初版が出たときにもさして売れず、絶版になっていた本が、四半世紀を閲して再び日の目を見ることになったわけだから、レヴィナス先生も草葉の陰からきっとお喜びくださるだろう。

本書の復刻に少し先行して『タルムード四講話』『タルムード新五講話-神聖から聖潔へ』の新装版が人文書院から出た。ブランショ論もタルムード釈義もトピックとしてはあまり(というか全然)アクチュアルではない。どうひいき目に見ても、2015年の日本の思想状況が待ち望んでいるコンテンツには思えない。それが復刻されるということは、どこかに潜在的な読者がいるのだろう(この「あとがき」を読んでいるあなたは間違いなくその一人である)。

レヴィナスをぜひ今読みたいと思っている日本人読者がどれくらい存在するのか、なぜレヴィナスを読みたいと思うに至ったのか。私の書いたレヴィナス研究『レヴィナスと愛の現象学』は文藝春秋から文庫化されて、累計24000部に達した。私の書くレヴィナス論は他の哲学研究者の書き物に比べるとかなり読みやすいものではあるけれど、それでもレヴィナス哲学に特化した研究書が文庫化されて、これだけの部数売れるというのは率直に言って「異常」である。ブランショ論の復刻を奇貨として、いささかの紙数を割いて「レヴィナスを読む人たちが何を求めているのか」について私なりの仮説を語ってみたい。

1970年代末まで、フランスの現代哲学書を読む読者の中核をなしていたのは研究者か批評家か編集者かそのどれかの職業を志望する若者たち(私もその一人)であった。それは狭いけれどそれなりに安定した「マーケット」だったと思う。学生や院生にとっては、それは「就活」のための予備的訓練でもあったわけだから、現代思想を学ぶそれなりの実利的理由もあったのである。『パイデイア』、『現代思想』、『ユリイカ』、『エピステーメー』といった雑誌がしばしばフランス現代思想について特集を組んでいたのは、それだけの「市場のニーズ」が存在したということである。

でも、その「マーケット」は80年代なばかに消失した。理由は簡単で、1950年代から70年代までは世界が「移行期的混乱」のうちにあったが、それが終わったからである。

若い人はご存じないだろうが、60年代のはじめキューバ危機の頃は「世界はこのまま核戦争で滅びるだろう」という予測はかなり蓋然性の高いものだった。当時、世界が滅びるまでのさまざまなプロセスを描いたたくさんのSF小説が書かれ、映画化された(人は恐怖に直面したときにはそれから眼を逸らすより、むしろその諸相を細密に描くことで恐怖を抑制しようとする)。

そのあとも文化大革命があり、ベトナム反戦運動があり、世界中で若者たちの叛乱があり、世界は絶えざる地殻変動的な激震のうちにあった。そういう時代に人間は空想的・思弁的になる。人間はいったいどうしてこれほど愚鈍なのか、どうしてこれほど邪悪になれるのか、そういう問いがリアルなものになる。そういう時代に人文学的な知への「市場のニーズ」が生まれる。

身も蓋もない言い方をすれば、「非常時」において人は哲学や宗教や人類学や歴史学など、ものごとを「根源的に考える」学知に惹きつけられる。逆に「平時」においては、経済学や金融工学や国際関係論やマネジメント論などの、目の前にある具体的なシステムをどう制御して実利を上げるかという「実学知」に対する需要が増す。そういうことである。だから、89年にベルリンの壁が崩れ、91年にソ連が解体して、「歴史の終わり」が到来し、これからあとは全員がグローバル資本主義システムにいかに最適化するかという競争にあらん限りの知的資源を投じるべきだというところに話が落ち着いた後は、人々はもう人文学に見向きもしなくなった。

そういう時代が四半世紀ほど続いて、今また東西冷戦とは違うかたちの地殻変動期に私たちは踏み込みつつある。グローバル資本主義がある閾値を超えて加速したせいで、国民国家という擬制が液状化を始めたのである。

国境線を越えて資本・商品・情報・人間が高速度で行き交っているうちに国境線が意味を失い始めた。とりわけ国民国家としての凝集力の弱い地域から「破綻国家」が出て来た。中東、北アフリカ、西アジアではもう安定的に体制が維持できている国を探す方が難しい。

凝集力の劣化は日本国内でも始まっている。階層の二極化と貧困層の増大、政治思想の二極化と政治過程における対話能力・合意形成能力の際立った劣化、あらゆる指導的セクターにおける反知性主義の跋扈。かたちの上では官邸の独裁な指導力が突出しているけれども、それは三権分立、主権在民という戦後民主主義の「天蓋」が崩れたことの帰結であって、指南力のある新しい政治思想が国民の輿望を担って登場したということとは違う。

私たちは再び、ほぼ半世紀ぶりに、地殻変動期に遭遇している。そういうときに相変わらず「成長戦略」とか「官製相場」とか「非正規雇用によるコストカット」といった「平時的」イシューにしか頭を使わない人たちと、「そんなこと言っている場合じゃないのではないか・・・」としだいに不安になっている人たちの間では選好する書物に違いが出て来て当然である。

メディアで行き交っている言葉に納得できず「そのような表層的な知性の使い方では、今起きている出来事のほんとうの意味は把持できないのではないか」と思う人たちは直感的に「非常時用」の書物を探し始める。レヴィナスはそのような文脈の中で選ばれた。私はそう推論している。

レヴィナスが読まれることは一人の(自称)弟子としては素直にうれしく思う。けれども、レヴィナスのような根源的知性に対する需要が高まるのは、「平時」が終わりつつあることの徴候だと思うと、複雑な気持ちになるのである。

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