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「“教養”があればブラック企業に騙されない!」内田樹 特別インタビュー - なぜ孔子は「礼・楽・射・御・書・数」を必須としたのか?

田端広英=構成 森本真哉=撮影

哲学者、思想家、倫理学者、武道家などいくつもの顔を持つ現代日本屈指の教養人・内田樹氏。混迷する今の時代にこそ「教養」で武装する必要があると説くそのワケは……。

「ブラック企業」での雇用条件のひどさがしばしば問題にされます。もちろん企業側が悪いのですが、気づかずにそういう企業に就職してしまう側にも責任の一端はあります。「怪しげな会社」というのはたとえ事業内容を知らなくても雰囲気でわかるものだからです。会社のドアを開けて、社員と一言言葉を交わしただけで、「ここはやばい」と感じて一目散に逃げ出すぐらいの感受性がないと世の中は渡れません。

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内田樹●神戸女学院大学名誉教授。哲学者。武道家。凱風館館長。合気道凱風館師範(合気道7段)。

「電車の中で化粧をする女性」もよく見かけます。これも問題なのは、そういう行為そのものが生きる力を衰えさせていることに彼女たち自身が気づいていないことです。彼女たちは周囲の刺すような視線を浴びてもまったく動じる気配がない。普通なら、あれだけ冷たいまなざしで周囲から見つめられたら「寿命が縮む思い」がするはずです。でも、彼女たちはそれに気づかないで平然としている。

ブラック企業に就職してしまう人も、電車の中で化粧する人も、どちらも周りから発信されている「シグナルが読めない」点が共通しています。目に見えないもの、言葉で表されないものに対する感受性が著しく鈍っている。

『論語』に言う「君子の六芸(りくげい)」、すなわち「礼、楽、射、御、書、数」は知的成熟のための必須の教養です。この全学科に共通して要求されている資質は「目に見えないもの」に対する感受性と開放性です。

「六芸」の第一に挙げられているのが「礼」です。これは礼儀やマナーのことではありません。「鬼神に仕える」作法のことです。「この世ならざるもの」をただしく畏れ、ただしく祀(まつ)り、それがもたらす災いから身を守るための実践的な方法です。それをまず身につける。

現代人はもうこうした感覚を失いつつありますが、人類の歴史数万年のうち、「この世ならざるもの」との付き合いが薄れたのはほんのここ百年ほどのことです。それまで「鬼神に仕える」作法は人が生きる上で最優先で身につけるべきものでした。

「そんな非科学的なことを」と笑う人がいるかもしれませんが、神社仏閣・教会などの霊的なセンターがない地域、霊的な防御の弱い地域では、あきらかに人間の生きる力は弱まります。自殺率は高くなるし、カルトも広まりやすいし、家庭内でのいさかいも増えるし、子供の学力も下がる。「微(かす)かなシグナルを聴き取る力」が衰えれば当然そうなります。日頃から身の回りの「畏れるべきもの」に礼を尽くし、それからのメッセージに耳を傾ける習慣を持たなければ、コミュニケーション能力が劣化するのは当たり前です。それが「礼を失する」ということの本義です。

画像を見る この世界には「人知の及ばぬ境域が存在する」ということをわきまえること、それが「教養」の第1歩です。神社仏閣の前を通ったとき、親が足を止めて遥拝(ようはい)するだけで、そうした感性は子供たちのうちに自然に養われます。はじめは動作を真似(まね)しているだけでも、そのうち「どうもこの場所は雰囲気が違う」「手を合わせると体感が変わる」ということが、子供たちにもわかってきます。

六芸の第二は「楽」、つまり音楽です。考えればわかりますが、今この瞬間に鳴っている単独音というものは実は存在しません。音楽というのは「もう聴こえなくなった音」がまだ聴こえ、「まだ聴こえない音」をすでに聴く能力があってはじめてメロディーもリズムも感知される。過去を引き留め、未来を先取りする力がなければ、音楽は存在しない。「今ここには存在しない音」を聴く力がなければ音楽は聴くことも演奏することもできません。孔子自身は琴を弾じましたが、子供の時から楽器を演奏し、音楽を聴くことは「この世ならざるもの」に接近するための正統的な道筋なのです。

次が「射」、つまり弓です。私の合気道の先生は弓道の家元でもありますが、弓の特徴は「的は襲ってこない」ことだとよくおっしゃっています。他の武道では必ず相手の攻撃にどう対処するかという問題設定がなされていますが、弓道にはそれがない。的に向かって心を鎮め、弓を引き、ただ放つだけ。矢を放つまで何時間かけてもかまわない。そこで求められているのは、敵に対する反応の速さや闘争心ではなく、自分の内面を精密にモニターして心身を整える技術です。

学校体育や競技スポーツでは、こうした技術はまず重んじられません。例えばボールの投げ方については外形的なフォームを指導しますが、身体をモニターすることは教えない。仮にそのフォームでどこかに痛みが出たら、それは身体の使い方に無理があるということです。身体のどこにも痛みや詰まりやこわばりのない状態を達成するためには、自分の身体の状態を精密にモニターする技術が要ります。でも、今のスポーツでは、逆に痛みを薬剤で抑えたり、「根性」によって耐えたりして「痛みを感じない」鈍感な身体を作ることで対処しようとする。痛みや不具合を感じることができないほどに鈍感な身体では、現実の危機を回避することはできません。

「御」は、「馬を御する」こと、つまり野生の異類とコミュニケーションする能力のことです。野生獣の巨大な力を統御し、それを人間の身体に同期させ、取り込む技術です。孔子は内陸の人でしたから馬を御する技術を重んじましたが、彼が沿岸部の人だったら波や風を御して船を操る技術を教養科目に選んだかもしれません。現代なら、動物の世話をすることも「御」のよい訓練になるでしょう。

最後の2つが「書」と「数」です。現代でも「読み書き算盤(そろばん)」は学びの基本とされていますが、孔子の言う「書」と「数」はそれとは少し異なります。ユダヤ教の神秘主義では数そのものに神秘的な力があると考えますが、現に数学史をひもとけば、アラビア数字を使った筆算法が「発明」されるまでは、一般人にとって計算ができるということは魔術に近いものだと書いてあります。

「書」もそうです。孔子の時代には文字そのものに現実を変成できるほどの魔術的な力が宿っていると考えられていました。古代の人たちは数字や文字の扱いを学ぶときも「この世ならざるもの」の切迫を強く意識していたのです。

このような「教養」は外形的なパッケージされた知識として身につけることができるものではありません。いずれも長期にわたる体系的な訓練を必要とします。速成で身につくものではない。子供たちが身の回りにいる「教養ある大人」を手本として、それを模倣しながら自然に身につけていくしかありません。

ですから、子供にとって一番大切なことは「教養ある大人」「生きる知恵と力を備えた大人」に出会い、その人に師事する機会を得ることです。いい「先生」に出会うことができる能力、それも大切な「生きる力」です。

でも、なかなか現実の生きている「先生」に出会うことは難しいかもしれません。そのために書物があります。生身の人間のリアリティーには及びませんが、その代わりにいつでもそばにいてくれます。書物は、最初は意味がわからなくても、本のほうから逃げ出すことはありません。いつでもこちらの都合で取り出すことができる。そして、こちらの成熟の段階に合わせて、繰り返し読むことができます。

何より書物の最大のメリットは、「遠い国の人」「もう死んでいる人」を「先生」にできることです。「教養」を深めるために読むべき本の条件があるとすれば、それは「できるだけ遠い昔」の、「できるだけ遠い国」の人の本を選ぶことです。文化的文脈の決定的な違いにもかかわらず、それでもなお「リーダブル」な部分がその書物のうちにあるならば、それは人間性の本質にかかわる知恵です。それこそ学ぶべき「真の教養」だと私は思います。
内田樹
神戸女学院大学名誉教授。哲学者。武道家。凱風館館長。合気道凱風館師範(合気道7段)。1950年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。編著書に『日本の反知性主義』『街場の憂国論』など多数。2011年11月、神戸市内に武道と哲学のための学塾「凱風館」を開設。少年部は幼稚園年中から中学生まで。

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