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内田聖子さんに聞いた(その1)TPPがもたらすものは、本当にメリットなのか?「参加を決めるかどうかは、まだこれから」

関税だけでなく、サービスや投資の自由化、知的財産や食の安全の取り扱いなど、参加12カ国による幅広い分野での共通ルールを定めるTPP(環太平洋経済連携協定)。交渉内容は市民だけでなく、国会議員にさえも秘密のままに進められ、今年10月に「大筋合意」が発表、11月5日には協定文書(英語)が公表されました。
そもそも「国益がなければ脱退もあり得る」と言われていたTPP。果たして、本当にこのTPP参加に「イエス」と言えるのでしょうか?――国際NGO「PARC」事務局長の内田聖子さんにうかがいました。

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内田聖子(うちだ・しょうこ) NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)事務局長・理事。自由貿易、多国籍企業などの調査研究、政策提言、キャンペーンなどを行う。TPPに関しては国際NGOとして交渉をウォッチ、TPP反対の立場からの発言を行っている。「STOP TPP!!官邸前アクション」呼びかけ人。

※このインタビューは2015年11月6日に行なったものです。

政府発表のTPP概要は、
全体の30分の1!?

編集部
 TPP(環太平洋経済連携協定)の協定文書がニュージーランド政府のHPで公表され、日本でも、和訳の概要が掲載されました。交渉開始から5年、日本が参加してからは2年が経ちましたが、TPPの全容がこれで明らかになったといえるのでしょうか?

内田
 ようやく秘密裏に進められてきた協定内容が公表されました。しかし、ニュージーランドが公表した英語の協定文書は第30章まであって、それだけでも約1000ページ。細かい取り決め内容が書かれた「付属書」は約5000ページで、あわせて約6000ページもあります。一方、日本政府が掲載した和訳の概要は、たったの約200ページ。全体のたった30分の1です。条文も飛び飛びにしか訳されていません。この概要で合意内容の評価をしろと言われても、出されていない情報が多すぎます。意図的に訳していないところがあるのではないかと、疑いたくなります。

編集部
 協定文書全文の和訳は、政府からいつ出るのでしょうか?

内田
 日本政府は来年早々に国会でのTPPの審議を進めて、2月頃には署名をしたい考えだといわれています。その直前には全訳を出すといわれていますが、明らかになっていません。署名直前に出されても判断できませんよね。交渉の過程で全文訳に近いものは作っているはずなので、審議に間に合うように、早くきちんとした協定文書の全文和訳を出してほしいと要求しているところです。

編集部
 新聞などの報道を見ると、発表された概要を基にした分析が出てきています。懸念されているISDS条項(※)にも一定のブレーキがかけられたなどと評価していて、大きな批判の声はあがっていないようですが、実際はどうなのでしょうか?

ISDS条項:国や自治体が、市場参入規制や国内企業保護を行ったとみなされる場合に、外国投資家に国家を訴える権利を与える条項。国内で起きた問題であっても、国内法に基づく国内裁判ではなく「国際投資紛争解決センター」などの国際仲裁機関で判断が下される

内田
 ISDS条項についても、食の安全についても、政府はずっと「大丈夫だ」と言い続けてきました。そうした政府の見解をメディアがそのまま書いてしまう傾向があって、それがミスリードの原因にもなっています。しかし、本当に大丈夫なのかどうかは、協定文章の文言を詳しく分析してみないとわからないことです。まるでもうTPPは決まったかのような印象ですが、まだ協定の内容がやっと出てきた段階。本当に日本が批准すべきなのか、国会で審議するのはこれからです。

編集部
 まだ詳細が分らない部分も多く、市民の多くが合意内容を理解できているとは到底思えません。

内田
 「大丈夫だ」といくら政府が言っても、協定文書に「日本の食の安全は守ります」などとはっきりと書かれているわけではありません。書かれているのは一般的な原則であって、文言の“解釈次第”で意味が変わってしまうこともあります。政府の言うことが本当に正しいのか、実は将来的に日本のデメリットになる可能性のある文言が埋め込まれていないかということを、専門家の協力を仰ぎながら分析していかないといけない。
 たとえば、報道でも取り上げられましたが、日本は決められた5カ国から要求されれば、7年後に再協議に応じるという内容があります。いま「聖域を守った」などと言っていても、7年後には変わってしまう可能性があるんです。

編集部
 将来的にデメリットになり得るような可能性を残した文言になっていないか、概要を鵜呑みにせず、きちんと確認する必要がありますね。

内田
 貿易文書の文言には、裏の意味がこめられている場合が多いんです。その真意を読み解くには、「どの国が何を主張したことで、文言がどう変わったのか」という交渉の経緯を明らかにする文書が重要です。しかし、そうした交渉文書や交渉にかかわるメール、資料などは、TPP発効後4年間も秘密にされることになっています。発効してからでは遅すぎる。大体、交渉経過を隠したいということは、明らかになると反対されるようなことがあるからじゃないでしょうか。

情報公開されないまま、
なぜ批准が急がれるのか

編集部
 そもそも、すべての情報が市民に公開されていない状態で、TPPに参加するかどうかを判断しなくちゃいけないことが問題ですね。

内田
 その通りです。TPPほどの秘密主義が貫かれている協定はあまり例がありません。これだけ多岐にわたる分野の取り決めがあり、11月に大量の協定文書が出されたばかりなのに、政府は来年の参院選の前には批准したいと急ピッチで進めようとしています。まだ国会議員でさえ中身を把握できていないのに、時間が足りなさすぎます。アメリカでは議会の力が強いので、これまでも国会議員が請求すれば文書を見ることができていましたが、日本はそうではありません。国会も市民も無視して、進められようとしているのが一番問題です。

編集部
 なぜ、そんなに政府は手続きを急いでいるのでしょうか?

内田
 中身はどうであれ、アベノミクスの“成果”として、来年の選挙に向けたアピールがしたいのでしょう。10月に開催されたアトランタのTPP閣僚会議で、12カ国の合意を急いだのは日本だといわれていますが、それも政権の株をあげたいという気持ちがあったからではないでしょうか。農家がTPPで大きなダメージを受けることは間違いありませんが、早く農業対策費をばらまいて、選挙までに反対の声を抑えたいと焦っているはずです。「国のため」とか言いながら、結局は自分たちのことだけを考えているのではないでしょうか。

編集部
 TPPでは、最初から日本の農業は打撃を受けるといわれてきましたが、一方で攻めの分野といわれていたはずの自動車でも関税の撤廃期間が25~30年と非常に長く、今回の合意内容で、日本が大きなメリットを得られたようには感じられないのですが。

内田
 2013年3月に、日本が他国に遅れて交渉に参加を決めた時点から、すでに自動車分野でかなりの譲歩をのまされていました。
 では、なぜメリットが少ないTPPに参加したのか。それは、アメリカからのプレッシャーがあったからでしょう。辺野古新基地問題や安保法制にも共通する日米関係のおかしさがここにも表れています。
 自動車業界も政権との関係があるので大きな批判はしていませんが、合意内容を冷ややかに受け止めています。個別でみればTPPで利益をあげる業界もあるでしょうが、それを「国益」と呼べるのかといえば違いますよね。10月中旬に日本農業新聞が行ったTPP大筋合意に関する意識調査では、安倍内閣への支持率は18%にまで落ちこみました。しかし一方で、政府からの農業対策費が必要になるという矛盾があって、組織としての反対運動はあまり盛り上がっていません。表立って声をあげるのは難しいという農家からの苦しい声も聞きます。

TPPだけじゃない。
日米間で進められた取り決め

編集部
 与党がこれだけ圧倒的多数だと、反対しても仕方がないという気持ちがあるのでしょうか…。もうひとつお聞きしたいのですが、TPPに参加する12カ国全体での協定以外に、これまで二国間での協議も進められてきました。「交換文書(サイドレター)」と呼ばれるものは、どういうものなのでしょうか?

内田
 TPPでは、12カ国の全体協議だけでなく、その過程で二国間でもいろいろな取り決めを交渉してきたわけです。日本の場合は、その相手国のほとんどはアメリカです。今回公表された「交換文書(サイドレター)」に、その取り決めの内容が記されているのですが、これも和訳されているのは短い概要だけ。しかも、公表されているものがすべての内容なのかどうかもよくわかりません。
 日本はTPP交渉に遅れて参加したときに、並行してアメリカと二国間協議を進め、TPPの発効前からその内容を実行するという約束をさせられています。「サイドレター」と呼ばれるのは、その約束が書かれているのが協定文書などではなく、ただの“手紙”だからです。要するにアメリカからの日本への要望書です。これこそが日米の関係性を表していて、協定なんか結ばなくても、アメリカからの強い要望があれば日本はやらなくてはいけないのです。非対称、不平等な関係を象徴するものです。

編集部
 日本政府は言い訳のように、「法的拘束力を有するものではない」と交換文書に書き添えていますが、実質的には拘束力があるってことですよね。

内田
 日本は自ら「どうぞどうぞ」といろいろな条件をのんで、差出しているようにしか思えない。たとえば、今回のTPPで、日本は自動車に関してかなり長い関税削減期間を認めていますが、並行協議のなかで日本が協定違反を犯した場合には、アメリカはさらに期間を延長できることになっています。また、投資の分野では、規制改革について日本国政府が外国投資家等から意見及び提言を求める、とも書かれているんですよ。規制改革会議は、これまでも雇用、医療などの規制緩和に口を出して政策を進めてきましたが、なぜそこに、わざわざ外国投資家を入れなくちゃいけないのでしょうか? こんな文言がさらっと入っているんですよね。協定文書や交換文書の全文をちゃんと読み込んでいくと、こうした問題がいろいろ隠されているのではないかと思います。

「そんな社会を本当に選択したいのか?」

編集部
 そもそも農業のようなものを「商品」として競争にさらしていいのか疑問があります。国内自給率を高めることは安全保障上も重要ですし、食の安全性が、輸出入をメインとした利益追求型の市場で守られるのか不安を感じている人は多くいると思います。同じことが、農業や食品だけじゃなくて、医療や保険、雇用などにもいえますね。

内田
 経済の数字だけでは示せないものがあるはずですよね。国内の食料自給率を下げる代わりに、外国産の安いものが入ってよかったねと喜ぶ。一部の国内農家だけが付加価値のある和牛や果物を海外の富裕層向けに売る。政府が言っているような、そんな農業の在り方って、ものすごく不自然です。
 TPPは、まさに「そんな社会を選択したいのか?」という問いかけなのです。そして、おそらく日本の多くの人たちはそれを選択したいとは思っていないのではないでしょうか。「TPPについてどう思いますか?」と聞かれると、「よくわからないけど、損しないならいい」という人もいる。でも、「自給率についてどう思うか」「食の安全基準についてどうしたいか」「農業の多面的機能の重要性についてどう考えるか」とひとつずつ聞いていくと、TPPによって進められようとしている流れとは矛盾する回答をする人が多いんです。TPPに批准してしまう前に、そういう議論が必要じゃないでしょうか。

編集部
 「規制緩和」、「自由化」と言われると、時代の流れには逆らえないのかな、というムードもありますが。

内田
 全部の規制を残せといっているわけではありません。でも、競争原理にあてはまらないものがあるのは当然です。社会は強い者だけが生き残ればいいというものではありません。ある程度、国が責任をもって守るべきものがあるのは、当たり前。特に、農業、雇用、医療、食の安全は、規制緩和で危機にさらされかねません。
 それからTPPだけではなく、同時に国内の規制緩和の流れもちゃんと見ていく必要があります。協定文書には書かれていないからと安心していても、アメリカや投資家などからのプレッシャーで、日本が自主的に規制緩和していく可能性もあります。
 安保法制の反対運動の最中に、「患者申出療養」という医療制度が通ってしまったのをご存知でしょうか? 保険外の診療を可能にする混合診療の事実上の解禁です。国民皆保険制度をおびやかし、医療格差につながるのではと懸念されています。私たちが当たり前だと思ってきた暮らしの基盤が、まさに足元からくずれようとしている。
 アメリカでは格差が大きく広がっていますが、それが私たちの望む社会のあり方なのでしょうか。TPPは、いまそのことを私たちに問うているのです。

(その2に続きます)

構成/中村未絵・写真/塚田壽子

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