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ソ連が日本の国連加盟を拒否したという史実をさりげなく隠蔽する朝日新聞

朝日新聞の土曜版、青beに、「サザエさんをさがして」という連載記事がある。かつて朝日新聞に連載されていた4コマ漫画「サザエさん」の作品一本一本を切り口に、当時の世相を紹介している。
 11月7日のテーマは「国連加盟」だった。
 記事を読み進めて、おや、と不審に思った。

このサザエさんの漫画が載ったのは1956年12月17日。当時の朝日新聞を見ると、日本の国連加盟が連日のように紙面を飾っている。
〔中略〕
 19日朝刊はまるで国連特集だ。あるページには機構図を大きく載せ、〔中略〕別のページには創設時の51カ国を列記し、あとに続いて何年にどの国が加盟したかを記している。
 日本の加盟は80番目だった。
 東京・渋谷の国連広報センター。「4年ごしだったんです」と根本かおる所長が日本の思いを説明してくれる。「52年、サンフランシスコ講和条約が発効したときにすぐ申し込んだのですが……」
 以来、加盟の機会は何度かあったものの、国家間の思惑にほんろうされてなかなか実現しなかった。大国・ソ連との間に国交が結ばれていなかったことも大きかった。
 「55年には16カ国が加盟したのですが、それにも含まれなかったんですね」と根本さん。
 転機は日ソの国交が回復したことだった。国連加盟の決定を報じる12月13日の朝刊には「日ソ国交回復成る」の記事も載っている。日ソ国交回復と同時に日本の国連加盟が実現した構図になる。


 「サンフランシスコ講和条約が発効したときにすぐ申し込んだのですが」の後の「……」で省略されている語句は何だろうか。
 申し込んだにもかかわらず、何故すぐには加盟できなかったのだろうか。

 「以来、加盟の機会は何度かあった」のに、それを実現させなかった「国家間の思惑」とは、具体的に何を指すのだろうか。

 「大国・ソ連との間に国交が結ばれていなかったこと大きかった」と「も」を用いているが、ではそのほかにどんな大きな理由があったというのだろうか。

 「日ソ国交回復と同時に日本の国連加盟が実現した構図になる」とはどういう意味だろうか。読みようによっては、日ソ国交回復と日本の国連加盟には直接の因果関係がないかのようにも受け取れる。
 日ソ国交回復が成ったから日本の国連加盟が実現したと何故直截に書かないのだろうか。

 この奥歯に物の挟まったようなあいまいな表現は一体何なのだろうか。
 予備知識のない者がこの記事を読んだ場合、ソ連が拒否権を行使したためにわが国はなかなか国連に加盟できなかったという史実を読み取ることは難しいのではないだろうか。

 サンフランシスコ平和条約の発効によってわが国は独立を回復し、国連へ加盟を申請した。しかしソ連はサンフランシスコ条約に加わっておらず、日本の国連加盟を拒否した。1956年に日ソの国交が回復した。ソ連は拒否権を行使しなくなり、日本はようやく国連に加盟できた。
 ――というのは公知の事実ではないのだろうか。

 何か私の理解が誤っていたのかと思い、ネットで確認してみた。

 国立公文書館の「公文書による日本のあゆみ」というサイトで、国際連合憲章及び国際司法裁判所規程・御署名原本が紹介されている。
 その説明文中に、こうある。

昭和27年(1952)6月日本は国際連合に加盟を申請しました。日本の申請は、同年9月の国連安全保障理事会では10対1の圧倒的多数の賛成を得ましたが、ソ連が拒否権を発動したため、否決されました。同年12月の国連第7回総会は、国連憲章が規定する加盟条件を日本が満たしていることを認め、日本の加盟を承認するべきであると決定し、この決定を安全保障理事会が了知するよう要請する決議を採択しました。その後、昭和31年(1956)10月の日ソ国交正常化を経て、同年12月12日の安全保障理事会で日本の国連加盟が承認され、同月18日の総会は全会一致で加盟を承認。日本は80番目の国連加盟国となり、国際社会に本格的に復帰しました。


 コトバンクで「国際連合」を引くと、検索結果の中に、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説がある。
 その文中の「国連と日本」の項にこうある。

日本は戦後、独立を回復するとまもなく、1952年(昭和27)6月23日、国連加盟の申請を行った。しかし、米ソ対立の激しいなか、ソ連はアメリカの推す国は日本をはじめどの国の加盟も拒否権をもって阻止した。1955年になって、日本を含む18か国の一括加盟案が上程されたが、国民政府(中華民国)がモンゴル人民共和国の加盟に反対したため、ソ連は日本にのみ拒否権を行使し、モンゴルとともにこのときも日本は加盟の機を逸した。結局日本の加盟は、翌1956年の12月、日ソ国交正常化交渉の成立をまって実現することができた。なお、日本は国連加盟前に、すでに国際司法裁判所とすべての専門機関に加盟していた。


 やはりそうだろう。

 「サザエさんをさがして」のこの回の記事は、いったい何故こんな持って回った表現をとっているのだろうか。
 冷戦時代じゃあるまいし、共産主義社会実現の理想に燃えてソ連を擁護しているのではもちろんないだろうし、かつていわゆる進歩派に見られたような、ソ連に批判すべき点があったとしても、それを指摘するのは、結果的に保守政権を利することになるから、控えるべきであるといった、党派的な思考法をとっているわけでもないだろうに。

 それとも朝日的には、ソ連を正面から批判することは未だにはばかられるのだろうか。
 ソ連崩壊から20年以上を経ているというのに。

 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説でわかるように、1955年に中華民国がモンゴルの加盟に反対しなければ、ソ連はわが国に拒否権を行使せず、わが国の加盟が実現したのかもしれない。断固とした拒否で一貫していたのではなく、容認の余地はあったのかもしれない。
 先の記事の表現は、そうした事情を考慮した上でのものかもしれない。

 だとしても、当初のわが国の申請を拒否したのは事実だし、結果的には1955年にも拒否したのだし、別にここまでぼやかすこともないと思うのだが。

 それとも、何かまだ私が気付いていないほかの理由があるのだろうか。

 記事の末尾に「依光隆明」と署名がある。
 調べてみるとこの記者は、元々高知新聞の記者で、社会部長や経済部長を務めた後、朝日新聞にヘッドハンティングされたという。
 そして、特別報道部長に就任して、現在も連載されている「プロメテウスの罠」を企画、展開した人物だという。現在は朝日新聞編集委員だという。
 そのような記者にして、何故このような記事になるのか。
 あるいは、そのような記者だからこそ、このような記事になってしまうのか。

 ハフィントンポストに、日本ジャーナリスト教育センターが、ジャーナリストキャンプ2014なる催しで行われた「日本のジャーナリズムは「危ない」 ソーシャル時代に必要な記者のスキル」と題する依光氏らによる座談会を掲載している。
 その中で、氏は「ソーシャル時代に求められる記者のスキルは何ですか?」という質問に対して、次のように述べている。

依光:相手の立場を分かっておく必要があります。「この人はどう思っているのだろう」を考えるのが大事であり、「自分はこう思う」というのは、究極、新聞記者にはいらないのでは、とさえ思います。常に気を付けているのは「ファクトは何か」ということです。「論」というのはかっちりしたファクトがあって初めて成立します。ファクトは隠れていることが多くて、掘り出すには労力がいります。個人的には「~という」「~だそうだ」「約~」はできるだけ消すように事実関係を突き詰めています。あとは、人の言うことを信用しないこと。飲み屋でママさんが「あなたかっこいいわね」というのは絶対嘘ですから(笑)官僚や政治家はその場の言葉がうまい。そういうことを考えるのは初歩の初歩ですが、その積み重ねだと思います。


 ファクトを掘り出す労力が必要なのは、政治家や官僚の言葉だけではなさそうである。

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