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究極のマネジャーは「合唱指揮者」である

文筆家 荻野進介=文

日本に数えるほどしかいなくて、しかも就くのに相当ハードルの高い職業。指揮者もその1つだろう。その指揮者のなかにも、合唱指揮者と呼ばれる人がいるのをご存じだろうか。

オーケストラを前にタクトを振るのが普通の指揮者だ。それに対して、合唱指揮者は合唱団を指揮するというよりは指導する。合唱は、「声」という人間そのものが出す音を相手にするため、音取りが難しい。しかも、声には「言葉」が関係する。発音が悪ければ、矯正までしなければならない。

三澤洋史氏は日本人合唱指揮者の代表ともいえる人物で、現在、日本のオペラの殿堂、新国立劇場専属という立場にある。「オーケストラは外国から偉い指揮者が来ていきなりタクトを振っても、それなりの音が出ますが、合唱はそうはいきません。声合わせ、言葉の矯正、それに暗譜までさせなければならない。そうやって作った音を、今度は指揮者に渡し、場合によっては指揮者の要望を汲んで音を作り直すまでが私の仕事です」。

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三澤洋史氏

合唱の音作りでは、指揮者よりも現場に近い立場にあると同時に、指揮者の下につく中間管理職でもある。指揮者が中小企業の社長だとしたら、合唱指揮者は部長、あるいは指揮者がプロジェクトマネジャーだとしたら、サブマネジャーという位置づけだろうか。オペラは音を売る。企業は商品やサービスを売る。売れるものを作って客に届けるという意味では、劇場も企業も同じだ。さらに、三澤氏は劇場専属という身分だから、より企業人に近い。

ここでは、三澤氏の合唱指揮者としての仕事ぶりを通して、企業のマネジメントに応用できる点を探ってみよう。

個人の能力を引き出すリーダーの究極はマイルス・デイヴィス

まずはリクルートである。演目ごとに団員を決める決定権は三澤氏が握る。新国立劇場の合唱団には契約メンバーと登録メンバーという2種類の団員がいる。前者は基本的に40人。(小演目を除き)すべての演目に出る権利と義務を有する。後者は約50~60人。こちらは双方に、出演を依頼する自由、その依頼を断る自由が保証されている。全員、年1回オーディションを受けなければいけない。登録から契約に替わるのは難しいが、自分のソリストとしての活動の自由を得たいために、あえて登録に留まるメンバーも少なくない。

40人のオペラなら契約メンバーで足りるが、それ以上になると、登録メンバーから人を選んで足す。契約メンバーのほうが能力が高いわけではない。「契約メンバーはどんなオペラも平均点以上にこなせる万能選手。他の人と歩調を合わせられる協調性も必須です。

一方の登録メンバーは、声がパワフルだけど、デリケートな音色が出せない人、声量はないけれど、デリケートな表現ができる人といったように、得意分野を持つ個性派が多い。そういう人をパズルのピースのように、うまくあてはめて音をブレンドしていくのです」。

入りたての新人には「どう? 慣れた」、「わからないことがあったら、聞いていいよ」と努めて声をかける。グループでの練習時にはベテランならわかっていることでも、わざと基本を強調する。新人だけを集めた稽古も行う。

ある程度まで慣れてきたら、全員で音合わせだ。その際に大切なことは何か。「1人ひとりが自分の力を十二分に発揮できることです。指揮者である僕がこの音色と強さで、この人はここで力を入れて、この人はここで力を抜いて、というようにまとめるのは簡単なのですが、僕は嫌い。プロ集団ですから、それぞれが個性を発揮しながら、最終的に1つの音にまとまっていくのがいい。僕には理想の音があるんですが、100%それを強制するのではなくて、あえて95%に留め、残り5%を各自のクリエイティビティに期待します」。

三澤氏が理想としている指揮者はマイルス・デイヴィス。彼は指揮者ではなく、正確にはジャズ・トランぺッターであるが、三澤氏いわく、彼は指揮者顔負けの類いまれなリーダーなのだという。「ジャズという音楽は本来は個人プレーの集合体なのですが、マイルスはそこにグループという概念を持ち込んで、インタラクティブなアンサンブルをみごとに形にしたのです。彼は1人ひとりの能力を最大限に引き出し、各人が自分でも信じられないような音を奏でているという魔法のようなことを実現していました。マイルスは一緒にやっていたプレーヤーが彼自身をも超えていくのを明らかに楽しんでいた。究極のリーダーシップです」。

音作りに行きづまったら、団員をうまく導く。たとえば、ピアニッシモ(きわめて弱く、の意)と書かれた個所では音程が下がりがちになる。声を小さくすることを意識すると、音程まで下がってしまうからだ。そういう個所はあえて音程を高く歌わせてみる。

また、落ち着いてうまく歌えているけれど、もう少しきらびやかな音が欲しいという個所はわざと大きく歌わせてみる。こうやって、時には1人ひとりの発声まで踏み込んで指導する。

上司たる指揮者に直言「自己満足を優先するのがマエストロか?」

完成させた音を今度は指揮者に渡す。「多くの合唱指揮者はある程度の音ができたところで、指揮者に“あなた好みの色に染めてください”と丸投げする場合が多いんですが、僕はそうしない。自分が指揮者となりすぐにコンサートを開けるくらいの状態まで、音を作り込むんです。そのやり方は私が最も尊敬するノルベルト・バラッチュに影響されて始めたんです」。

それまで多く接してきた外国人の指揮者は合唱にあまり思い入れがなく、練習もおざなりでGOを出してしまうケースが多く、三澤氏は残念に思っていた。そんなとき、バラッチュと知り合ったのだ。「彼は時には指揮者と喧嘩してまでも、自分が作り上げた合唱音楽を守り抜きます。僕が彼から学んだのは、合唱指揮者は合唱の下ごしらえをして指揮者に渡す仲介者ではないということ。合唱というサウンドを作り出す芸術家だということです」。

一方、そのバラッチュはある意味で反面教師ともいう。三澤氏は、指揮者が合唱を変えたいと伝えてきた場合、彼のようにはねつけるのではなく、意図をくみ取り、方向転換もいとわない。上司の言い分と自分のやりたいことをすり合わせ、部下である団員の力を存分に発揮させて観客を満足させる。そんな役どころなのだ。

ただ、指揮者が合唱の価値を台なしにする行動に出た場合は話が別だ。

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本番のオペラのときには、三澤さんは観客席背面の音楽や照明の管理をする部屋から指揮。いわば黒子のような存在で合唱団をサポートしている。

三澤氏は新国立劇場の本番中によく客席後方のガラス張りの監督室から、ペンライトを合唱団に向けて振る。オーケストラ・ピット内の指揮者は低い位置にいるので、舞台奥のメンバーにはその動きがよく見えない。タイミングが狂ってしまうのである。そこで、監督室にあるモニターテレビとスピーカーを通して指揮者とオーケストラの動きをチェックし、合唱のスタートや終わりをペンライトで示すのだ。

これに難癖をつけてきた外国人指揮者がいた。イタリア人のリカルド・フリッツア。指揮者は自分であり、合唱指揮者がペンライトで指示するなんて、とんでもない、というわけだ。

これに対して、三澤氏は年下のフリッツアにこう説明した。「僕はあなたを支援する。しかし、合唱団員は演技しながら歌っているので、低いところにいるあなたが見えないのです」と。

それでも彼は納得しない。とうとうオーケストラ付きの舞台稽古が始まると、完全にオケとのタイミングがずれ、合唱がもたついてきた。ついに指揮者が折れた。ペンライトでの指示出しを許したのだ。合唱団はいきいきとした音を出せるようになった。

が、ここまでは第一幕。3年後、フリッツアが再び来日、新国立劇場で別の公演を指揮した。相変わらず、タイミングがずれる。なのに、三澤氏がペンライトを振ることを拒絶。三澤氏は切れた。「あなたはよりよい公演よりも自己満足を優先するのか。あなたという指揮者を見ようとしても見られない半分以上の合唱団員がどれだけ阻害された気持ちで歌いだせなくなっているのがわからないのか。合唱団の能力は3割も出ていない。あなたはそれに気づかない、その程度の音楽家なのか」

その剣幕に恐れをなしたか、フリッツアはその日は練習を放棄し、劇場を出て行ってしまった。

翌日のこと。昨日は言い過ぎた、ごめんなさい、と謝る三澤氏に「いや、昨日は何も起きなかった」と彼は言い、こう続けた。「これからのことを考えよう。おまえはどうしたいんだ?」。ペンライトのフォローを切り出すと、「俺の動きを見られない団員たちだけのフォローならば」という条件で認めてくれたのだ。三澤氏は大喜びし、公演も大成功。それ以来、フリッツアとは大親友になったという。

ミドルに必要なのは職人魂+リーダーシップ

三澤氏の仕事ぶりから窺えるのは、己の分を守り、自らの責任において、合唱という“商品”のパーツを徹底的に磨き込む職人魂である。ただ、磨き込むといってもまったくの自己本位ではなく、団員たちの力が最大化するように支援する。

そして、その合唱をオーケストラというパーツと組み上げ、最終商品化する際には、自分が責任を持つ合唱というパーツがオーケストラと調和し、最大限の価値を発揮するように、最後まで関与する。

日本企業の職務や役割は曖昧だ。欧米をはじめ他国のように、「仕事に人がつく」のではなく、「人に仕事がつく」からだ。異なる職務の異動を繰り返し、幅広い職能を身に付けられるという意味で、いい面もあるが、悪い面もある。三澤氏が持ち合わせているような職人魂と、時には激しく上司と議論する風土が育たないことだ。三澤氏が喧嘩できるのも自分の仕事に誇りを持ち、日々切磋琢磨しているからだ。

よい商品やサービスは苦しみ抜いた葛藤の中から生まれる。三澤氏のように、職人でありながら、リーダーシップも発揮できる人。そんな人が今、求められているのだろう。

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